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つぐみは慌てる祐介に呼び止められた。
祐介はかなり急いでいたようで、肩で息をしている。
「慎、見なかった!?」
あまりの慌てぶりに呆気にとられながら、見てませんと答える。
「そう・・じゃあ、杵淵は今どこに?」
つぐみは不思議そうな顔をした。
「今日はサークルに顔出すって言ってたんで、そろそろ向かってるんじゃないかと・・」
杵淵先輩が、どうかしたんですか?と聞くつぐみに、祐介はこう言った。
「一緒に来る?鮎川ちゃんにも関係あることだけど」
そう言われて、つぐみは不安を胸に、ついて行くことにした。
そこは、テニスコートから少し離れた、別棟脇だった。
慎は杵淵をそこまで引きずって行くと、まず顔を殴りつけた。倒れ込む杵淵の胸ぐらを掴んで引き起こすと、そのまま壁に叩きつけ、締め上げる。
「お前は俺に殴られる理由が分かってるよな。お前のような特別なんの取り柄もない奴が、調子にのって二股か?」
慎の表情は、激しい怒気と冷酷さを含んでいた。
祐介とつぐみはやっと2人を見つけた。祐介は予想通りの展開に、慌てて止めに入った。
実は慎は今までも何度か障害沙汰の事件を起こしており、警察に厄介になったこともあるのだ。
「慎!やめろって!一回落ち着け!」
そう言って慎の腕を杵淵から離そうとするが、思いっきり振り払われて吹っ飛んだ。
そのあまりの様子に、つぐみは声も出ず、青ざめて口元を手で覆った。
慎がそのまま杵淵の首を掴んで締め上げるのを見て祐介は、
(ヤバい、完全にキレてる)
と焦った。殺しかねないのではと思う勢いだ。
再び慎に掴みかかり、杵淵から慎を引き離そうとする。
「慎ちゃん!?ちょっと一回、手、はなしてみよっか!?」
慎は祐介に構わず言った。
「俺に手を出すなとか偉そうに言っておいて、てめぇの方がよほどタチが悪いじゃねぇか。ふざけんなよてめぇ・・つぐみのことを何だと思ってやがる!」
その言葉を聞いたとき、つぐみは全てを理解した。そして慎が怒っているのが、自分のためであることも。
つぐみは慎を止めに入った。慎の腕にとりつき、言った。
「一ノ瀬先輩、もうやめて下さい!お願いだから、やめて下さい!」
その声に慎が気づいた。横を見ると、つぐみは泣いていた。
その涙をみて、慎は動きを止めた。掴んだ杵淵を苦々しげに一瞥すると、慎はやっとその手を離した。まだ怒りが収まらぬ様子の慎だったが、なんとか、祐介行くぞ、と言って去ろうとしたので、祐介は慌てて慎の後を追う。
去り際に祐介は後ろのつぐみを見た。つぐみは、頷いたように見えた。
つぐみは、大丈夫ですか、と咳き込む杵淵に駆け寄った。杵淵は顔を殴られたのか、既に青く腫れていた。つぐみはタオルを濡らしてきて杵淵の頬にあてた。
「・・ごめん」
杵淵が、小さく言った。
「・・亜衣に、言えなくて、次に会ったときに言おうと思って、でもまたどうしても、言えなくて・・そうやって、ずるずる、今日まで・・」
つぐみは小さく息を吐いた。
「もういいです。杵淵先輩には愛想がつきました」
杵淵は、俯いたまま、黙っていた。
「私は、もう2度と、杵淵先輩と2人では会いません。先輩は、亜衣を大事にしてあげて下さい」
杵淵は、そのまま、もう一度「ごめん」と呟いた。
つぐみが杵淵のところを去って、歩いていくと、そこには慎が待っていた。
「・・帰るぞ」
それだけ、いつもの不機嫌で言った。
つぐみは、慎に頭を下げた。
「先輩、ありがとうございました」
慎は、そんなつぐみを不機嫌にしばらく見ていたが、そのうちこう口を開いた。
「いい子ぶんなよ、この偽善者が」
つぐみは、え?と顔を上げた。
「お前のようなお人好しは、どうせまた、自分は大丈夫だから亜衣と上手くやれとか言ったんだろ?それがいい子ぶってるって言ってんだよ」
慎の顔は怒っていた。
「あんなコケにされたんだぞ、我慢してんじゃねーよ偽善者が。俺はな、例えお前があいつを許しても、絶対にあいつを許さない。それもこれも、お前が怒らないから、俺が代わりに怒ってやってるんだぞ!」
感謝しろ!とばかりの慎の口調に、なんだか、つぐみは泣けてきた。よかった、いつもの一ノ瀬先輩だ。
つぐみの眼から涙がどんどん溢れ出してくる。それを見て、慎は安心したようにつぐみを抱きしめた。
「どこまでお人好しなんだお前は。こんなときくらいちゃんと怒れよ。お前はほんと、そういうとこあるよな・・」
つぐみは、確かに、そういうとこあるかもしれない、と思いながら、今まで胸に溜まったものを流すかのように泣いた。
こんなに泣いたのは、何年ぶりか、思い出せなかった。
ひとしきり泣いた後、つぐみがふと空を見上げると、空はとても晴れやかだった。それはつぐみの心を現しているようにも見えた。
あの黒いものは、もういなかった。きっと、この無茶苦茶な一ノ瀬慎に恐れをなして、逃げていったんだろう。そんなことを考えて、つぐみは少し笑った。
こうして、3年間こじらせ続けたつぐみの恋は、呆気なく終わりを迎えたのであった。
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