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加藤奈江は、憂鬱そうにため息をついた。
「奈江、どうしたの?」
顔をあげると友人達が心配そうに見ていた。いや、なんでも。と答えたが、友人の1人が
「まぁた一ノ瀬先輩のことでも考えてるんでしょ?
奈江が1番重症だもんね」
と言ったので慌てて否定する。
彼にビラを貰ったあの後、あまりのイケメンの登場に友人みなで盛り上がった。あの人なんて名前かな。聞けばよかった。絶対テニスサークル入ろう!などと言い合って楽しみにしていたのだが、その数日後には彼がどういう男なのかが耳に入ってきた。
・・一ノ瀬慎はイケメンだが、女に関しては酷い。学内でも被害者が多く、今はそれでもいいと言うセフレが複数名いる。・・というものだった。
これには全員がっかりしたが、まぁ、あれだけカッコよければそりゃそうか、現実はそんなもんと受け入れた。しかし奈江だけはずっと気落ちしている。
あの時の胸の高鳴りが忘れられない。あの時、彼が言った言葉ー・・
「どこかで会ったことあったっけ?」
あれはどういう意味だったんだろう?本当にどこかで会った?そんな覚えはないけれど、彼が自分に他の人とは違う何かを感じてくれたのならそれだけで嬉しかった。あれ以来、一ノ瀬先輩の姿を見かけるとそれだけで幸せな気分になれた。とても自分から声をかけることは出来ないが、同じサークルに入ったらもっと話ができるのでは・・。そんなことを考えていたのに。
はじめて彼の噂を耳にしたときは信じられなかった。というか、信じたくなかった。
しかし、それから何度か親密そうに女性と歩いている姿を見かけたし、その相手がいつも違うことが噂は真実だと物語っていた。
「奈江さ、そんなに好きならテニスサークル入っちゃえば?」
友人の1人がそんな事を言い出したので、奈江は驚いた。
「奈江は超かわいいんだしさ。一ノ瀬先輩も本気で好きになるかもしれないよ。がんばってみれば?」
「え・・。そんなことないよ」と謙遜したが、友人達はいや〜っと
「奈江は高校でもファンクラブあったんだから!自信持ちなって!奈江に好かれて嬉しくない男なんていないでしょ」と押しムードだ。
そんなことを言われても、奈江には自信はない。告白してきた男子と友人達に勧められて付き合ったことが一度だけあったが、それもうまくいかずにすぐに別れてしまった。ファンクラブがあったらしいという事は聞かされているけど、恋愛経験はむしろ友人達より低い。そんな自分がまさか一ノ瀬先輩のような遊び人を振り向かせるなど、想像も出来ない。
「まぁでも、諦められないなら頑張るしか選択肢ないよね。」
言われて、確かに。と思った。
新歓コンパは明日の18時から。あの時貰ったビラを奈江はまだ捨てられずに持っていた。
とりあえず、これだけ行ってみようか。そうしたら少しは話せるかも。もしかして奈江のことを覚えてくれているかもしれない。サークルに入るか入らないかはその後考えればいいように思えた。
ふと、廊下から窓を見ると下を歩く一ノ瀬慎の姿を見つけた。そしてその横には女性を連れている。しばらく横の女性と何かを話しながら歩いていたが、ふと女性が慎の腕に抱きついた。
「!」
動悸が激しく苦しいような感覚を覚え、奈江は思わず胸を押さえた。
(嫌だ。あんな姿を見ているだけなんて)
こんな気持ちは生まれて初めてだった。
一ノ瀬慎に抱きついた女ーー秋元里子ーーはテンション高く思いを寄せる王子様に話しかけた。
「リコはほんとぉ〜に一ノ瀬先輩を見たときに運命を感じたんですよぉ。鐘が鳴るって聞いたことあるけど、本当なんですねぇ」
見上げるとそこには驚く程端正な美貌がこちらに向いていた。そこには呆れたような表情が浮かんでいるが、里子は気にせず見惚れた。こんなにかっこいい人は今まで見たことがない。髪も顔も体も全てが完璧。
「あんたさ、随分と積極的だけど、1年だろ。こんな目立っていいのか?俺のことを好きなやつ、そこら中にいるぞ」
「周りのことは気にしません!先輩と私の恋路を邪魔する奴とは闘いますから、リコは!」
「はぁ・・」
変な奴に捕まった、と慎は思ったが、彼女の明るさと強さにはわりと好感をもてた。ネガティブな奴は見ていてイライラする。あまり好きではない。
「あんた、名前なんだっけ?」
「だからぁ、アキモトリコですってば!」
里子の読みは本当はサトコなのだが、ダサいので勝手にリコと名乗っていた。高校の頃からだ。
「リコはなんで俺のことが好きなの?」
「え?なんでって言われましても・・そりゃカッコいいし、全部ですよ」
慎は里子を嘲るように口元に笑みを浮かべた。その表情が氷の様に冷たかったことは、里子からは見えなかっただろう。
「最初に言っとくけど、俺は1人の女と付き合ったりとか、しないから。体だけの関係でもいいって言うなら考えるけど。だからあんたみたいな恋愛バカは他の運命の王子様を探した方がいいと思うぞ。」
言われてさすがの里子も一瞬考えたようだが、すぐにこう言った。
「先輩、諦めさせようとしてます?無駄ですよ?私、先輩に夢中ですし。それに私・・」
里子は慎の腕に一層身体を寄せた。
「エッチも、けっこういいと思いますよ」
慎が里子の方を見ると、里子は頬を少し赤らめながらもまっすぐこちらを見ていた。
「・・・ふーん・・」
里子は、実は緊張していた。でもそうでも言わないと興味を持ってもらえないと思ったし、慎の周りにはいつも人がいて、今日はやっと巡ってきたチャンスだった。これを逃すと次はいつ2人で話す機会があるかわからない。何としても連絡先を交換するくらいには進展しないと。
気恥ずかしさと、慎がどう答えるのか、心臓を打つ回数が自然と多くなる。
少しの間をおいて慎が口を開いた。
「じゃあ、試してみようか」
里子は嬉しさなのか恥ずかしさなのか身体が熱くなるのを感じた。よりいっそう赤くなった顔を隠す様に視線を外して言った。
「じゃ、じゃあ、今度あらためてデートとか・・」
言いかけたところで慎に腕をつかまれる。
「ここでいいじゃん」
「え?」
ぐいっと手を引かれ、近くの建物に引き込まれる。そこは別棟で講義ではなく主に部活動や実験などの課外活動に使用されている。小さい建物で昼間はあまり使われていなかった。
慎は入ってすぐの部屋の中に強引に里子を引き入れると壁際に押しつけた。
「せ、先輩・・」
戸惑う里子を逃がさないように自分の両手を壁につけて、そのまま至近距離で里子を見つめた。
里子の心臓は自分に聞こえる程、高鳴っていた。
自分を見つめる慎があまりにかっこ良く、それにこんな場所に強引に連れ込まれたことなど初めてだったし・・
先程言われた「身体だけ」という言葉を忘れたわけではなかったが、慎に抱かれてみたいという気持ちの方が遥かに優ってしまっていた。
里子に抵抗する気配がないことを確認した慎は、里子の耳元でささやいた。
「あんたみたいなバカそうな女、あまり嫌いじゃないんだよな」
ヤリ捨てても罪悪感ないし。このまま付き纏われても面倒だし。
・・というのは口には出さなかった。
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