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その日もいつも通りテニスサークルの男子部室には人がたむろしていた。
「じゃあさ、サークル内だったら誰がいい?」
と、誰かが言い始めた。
「やっぱ奈江ちゃんだろ〜」
ポニーテールもたまらんよな、と方々から声が上がった。
慎はそれを興味なさそうに聞いていたが「慎は?誰か狙ってる子いるの?」と話を振られた。
「別にいないかな」
「向こうから来るからですって?モテる奴は嫌味だね〜」とからかわれ、言ってねーだろ、と返す。
中には奈江ちゃんだけは汚さないで〜っと懇願する声もあがり、場は笑いに包まれた。
「俺はねー、鮎川ちゃんかなー」
祐介がそう言うと、今まで興味なさそうだった慎が驚いてこっちを見たのが祐介にはわかった。
「は?なんでだよ、あんなブス」
と、慎がくってかかったきたので、逆に祐介は驚いた。
「え、友達みたいな感じで、いいじゃん。明るいし、会話してても楽しいし。雑用とか率先してやってくれるしいい子じゃん」
と言うと、鮎川ね、確かに気ー使わなくていいよね。とか、いやー俺ないわーとか好き勝手言い始めた一同の中で慎は黙りこくっていた。そのうち誰かが部室の端で準備をしていた杵淵にも、お前は?と話を振った。
「俺も、鮎川」
えー、つぐみ人気じゃん!と皆が盛り上がっている横で祐介は、杵淵を凝視している慎の方が気になっていた。
皆が出て行った後、祐介は慎に声をかけた。
「慎ちゃんは、なんだってそんなに鮎川ちゃんのことを気にしてるのかな?」
祐介は慎とは小学校から一緒で、昔から一緒にいた。慎にとって、祐介達少数の友人以外の人間は、好きでも嫌いでもない"なんの興味もない”人間だった。今まで慎を近くで見てきた祐介にとって、慎のつぐみに対する反応は珍しいものであった。
「別に、気にしてなんかない。あの女は気に入らないだけだ」
それが気にしてるって言ってるんだけどね、と祐介は内心思ったが、口には出さなかった。
「賭けは、どうなったの?」
「やめた。賭けにならねーから、つまんねーし」
祐介と目を合わすことなくそう言うと、慎は足早にコートに向かった。その様子を見ていた祐介は、
(もしかして、失敗したのかな)と思った。
なるほど、プライドの高い慎には気に触ったのかもしれない。いずれにせよ、たとえ負の感情だったとしても、慎が特定の人物に・・しかも女に、興味を示すのは珍しいことだった。
これはちょっと面白そうだ。そう祐介は思った。
その日の練習後、つぐみが片付けをしていると、男子の先輩達に「おーい、鮎川」と声をかけられた。
「俺らこれから飯行くけど、お前らも来る?」
と誘われて、すぐにピンときた。隣に奈江がいたのだ。
(はーん。奈江目当てだな)
と思ったので、奈江どうする?と聞いた。奈江が嫌ならもちろん断るつもりだ。
そこへ祐介が「鮎川ちゃんが行くなら俺もいこーかなーっ」と入ってきた。そして後ろにいた慎に「慎は、どうする?」と聞くと、慎は少し躊躇したが「まぁ・・行ってもいいけど」と、いつも以上の仏頂面で言った。
「わ、わたしも行きます」と言ったのは奈江だ。
「・・じゃあ、私も」とつぐみ。
・・つぐみは移動中、嫌な予感に苛まれていた。まさか慎が出てくるとは思っていなかったのだ。
奈江が慎に対して恋心を抱いていることは、うすうす感じていた。だから行くと言ったことも。
つぐみは里子の一件を思い出していた。あの後、里子を追いかけて一緒に帰った。里子はずっと泣いていた。その後もすっかり気落ちして元気がない。
つぐみは心配そうに奈江を見つめた。あの恋愛モンスターの里子ですらあんな有様なのだ。奈江のように純粋な女の子が同じような目にあったとき、どうなってしまうのだろう。
女の子の傷つく姿は、もう見たくなかった。
一同は駅前のバルに来ていた。
場は和やかだった。普段はこういう場所が苦手な奈江も、つぐみのおかげでだいぶリラックスして会話ができていた。
開始して程なく、皆が奈江に好みのタイプの男性を聞いてきた。奈江はこの質問も嫌だった。実際のところはわからなかったが、自分以外の女の子はまたか、としらけているのではないかと心配になってしまうのだ。
しかし、つぐみは、
「ききたい、ききたい!」と1番目を輝かせてきたので、また先輩達に
「お前は男か!」とツッコまれていた。それ以外にも、つぐみは会話の途中で必ず奈江に話を振ってくれるので、奈江にはとても話しやすかった。
「えっと・・優しくて、誠実な人、ですかね」
と言うと、つぐみの横にいた祐介が、
「えっ、全然しん・・」
慎ちゃんと真逆じゃん、と言おうとしたのをいち早く察したつぐみに口を押さえられた。どうやら祐介も奈江の気持ちに気づいているようだ。
(先輩っ。奈江死にますよ?)(あーごめんごめん)と小声でやりあっていると、
「なにじゃれてんだよ。イチャつくなら向こうでやれ」
と慎があまりに冷たい声で言ったので、一同は一瞬静まりかえったが、つぐみが
「わたしのために、ケンカはやめてっ・・」
と大袈裟にぶりっ子を演じたので、
「それはない!」と一同揃ってツッコミを入れ、場を和やかなムードに引き戻してしまった。
このつぐみのコミュニケーション能力には奈江はもちろん、祐介や慎でさえも感心するものだった。
自分で笑いもとれるが、人にツッコミを入れて笑いをとることもある。ネガティブな話はまずしない。それだけではない、感がよく、会話に入って来れない人には名指しで話を振って上手く馴染めるように自然と取り計らっていた。
人の話を聞くのも上手い。ただ聞くだけではなく話の腰を折らない程度に自分の意見なども入れてきて、そのタイミングが絶妙だった。
また、つぐみは人の見ていないところでも細かい気配りができる人間だった。普段のサークル活動においても雑用や片付けを率先してやっていたし、祐介や慎もこのところ、その事に気づいていた。
男性グループにも女性グループにも学年問わず好かれていたし、つぐみの周りには自然と笑顔が溢れていた。それはきっと彼女特有の能力であるように思えた。
話に花が咲いてすっかり遅くなったので会はお開きとなった。
つぐみと奈江は先輩達に、またいこーぜーと声をかけられた。奈江もだいぶ馴染んだようだ。
奈江とつぐみが帰ろうとすると、突然、奈江が足を止めた。
「つぐみ、あの・・ちょっと用事があるから、先に帰っててくれるかな」
奈江は真剣な面持ちで、だが頬を染めていた。
つぐみは嫌な予感がした。
「もしかして、一ノ瀬先輩と約束してるの?」
そんなそぶりはなかったが・・
奈江は驚いた顔をした後、すぐに顔を真っ赤にして、しどろもどろ言った。
「い、いや、約束なんてしてないんだけど・・
こんな機会はこの先ないかもしれないし、先輩に声をかけてみようかなって・・」
奈江が恥ずかしそうに話すのを見て、つぐみは目眩がする思いだった。
「・・奈江。気持ちは分かるけど、一ノ瀬先輩は奈江が思っているより・・」
酷い男だ。そう続けようとしたとき、
「わかってる・・。わかってるけど、止められないの。どうしても、諦めきれないの。だから私、できるところまで、頑張ってみたいと思って・・。」
奈江は俯いて、胸を押さえた。自分のような恋愛経験もさほどない女、とても無理。きっと傷つくと思いながらも、もっと、少しでも近づきたいと思ってしまう。
「・・なんかあったら、電話して・・」
つぐみはそう言うのが精一杯だった。
「・・うん。・・行ってくるね、じゃあ」
そう言って、奈江は慎が進んだ方向に追いかけて行った。
つぐみは心配で胸が潰れそうだった。あとは一ノ瀬慎のモラルに賭けるしかない。あんな見るからに純粋そうな子を、弄ぶようなことだけはしないで欲しい。
つぐみはしばらく奈江が消えた方をみていたが、やがて諦めたように踵を返した。
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