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板垣はときどき、教科書の内容とは関係ない話をする。それは地方の珍妙な祭りの話だったり、とある土地の変わった風習の話だったりするが、どれもなかなか面白くて生徒たちに評判がいい。
授業は真面目に聞いていない生徒も、板垣の与太話には熱心に耳を傾けていたりする。
「四国。漢字では数字の四に日本国の国と書きます。
みなさんには、あまり耳馴染みのない言葉でしょうね。歴史にもほとんど名前が出てこない場所ですから。
四国出身でもっとも有名なのは、坂本龍馬でしょうかね。あとは、板垣退助や文豪の正岡子規などがよく知られていますね。
また、四国には空海にゆかりがある寺院が八十八カ所あり、そこを巡る八十八か所めぐりというものが昔は行われていたそうですよ。
八十八か所の中心には剣山があります。
この剣山はかつて鶴亀山と呼ばれた聖なる山で、そこにはモーセの契約の箱が隠されており、空海は契約の箱の在り処を隠匿するために剣山が見えない場所に八十八か所の礼所を定めたという説があります。
空海の作ったかごめ歌は、暗にそのことを示しているなんて研究もされているんですよ」
つらつらと語られる八十八か所めぐりにも、モーセの契約の箱とやらにも興味はない。
かごめ歌については、幼い頃かごめかごめをして遊んだことがあり、不吉な匂いを醸す歌詞はどんな意味なのだろうと興味を持ったこともあったが、今は別にどうとも思っていない。
歌はメッセージの一種ではあるが、音のよさで言葉を選んだだけで、意味があるようで意味のない歌詞のものだってある。
伊月は板垣の声に向けていた意識をよそへやった。颯介にちらりと目を遣る。窓側から二列目で前から三番目の席に座っている颯介は、まだぐっすりと眠っていた。
気持ちよさそうな颯介を見ているうちに、あくびがこみ上げてきた。もう一眠りしようと目を閉じかけた伊月の耳に、ほんの少し興味深い話がとびこんできた。
「また、剣山には恐ろしい魔物が眠っているといわれています。空海は自分の死後も魔物を封じるために剣山を囲うように霊場を配置し、人々を巡礼させたという説もあります。もし現在も四国に行けるなら、長期休暇をとって巡礼してみたいですね」
四国。板垣がかつて日本にあった島だといっていたが、いったいどこら辺にあったのだっただろうか。
日本地図の四十三の都道府県は小学校の頃に授業で習って、完璧とはいい難いがだいたい記憶している。その中には、四国と呼ばれる場所はなかった。
場所くらいなら、ネットで昔の日本地図を検索したらすぐにわかるだろう。それより気になるのは、なぜ四国がなくなったのかだ。
大して興味なんてなかったけど、なんとなく気になってしまい、伊月は残りの間ずっと四国がなくなった理由を考えていた。
あと数分で授業が終わるという時、板垣の恒例の言葉が飛び出した。
「何か質問はありますか?」
恐らく形式的に聞いているだけで、板垣は質問を望んでいるわけじゃない。今まで誰かが質問したこともない。
だが、伊月はどうしても四国のことを尋ねてみたかった。
気になるならあとでネットか図書館で調べればいいのだろうが、そこまでする気はない。軽く尋ねるにはいい機会だと思って手を挙げた。
「あの、四国ってなんでなくなったんですか?」
質問されるなんて思っていなかったのだろう。板垣は一瞬だけ目を見開いた。板垣の瞳がゆっくりと弧を描く。
「蓮水くん。学校では習わないけど、四国は数百年前に原子力発電所で爆発事故が起きて、放射能汚染されたのだよ。それに、爆発の影響で地割れして、そこから天然の有毒ガスが噴出するようになってね。それからずっと立入禁止となっています」
四国にまつわる神秘的な話を聞いた後だったのでもっと謎めいた理由を期待していたが、答えは割と現実的なものだった。腑に落ちたが、なんだか拍子抜けだ。
「そうなんですか。ありがとうございます」
伊月が軽くぺこりと頭を下げると、板垣は満足げに微笑んだ。
チャイムが校舎に鳴り響き、授業の終わりを告げる。六限目は音楽なので教室移動だ。音楽の教科書と筆記用具を持ち、伊月は席を立った。
音楽室は自由席だ。いつも通り颯介と一緒に音楽室に向かい、隣に座った。着席するなり、颯介の黒い瞳がまじまじと見つめてくる。
「オマエが授業で質問なんて、珍しいじゃん。どうしたんだよ、伊月」
「おまえ、起きてたのかよ。ずっと寝てたかと思ってた。別にどうもしねーよ。なんとなく気になっただけ」
「ふうん、そんだけか。てっきりオレは、オマエもあの噂を知ってんのかと思った」
「あの噂?なんだよ、それ」
「いやー、オレのいとこが超オカルトマニアなんだけどな、そいつがいうには四国っていう廃島には魔物が住んでるんだとよ。好奇心旺盛な連中が自分たちで船を買って四国の近くに行ったきり、魔物に喰われて一人も帰ってこなかっただとか、ときどき、四国から魔物の呻き声が聞こえるとかそんな噂があるらしいぜ」
「くだんねー噂だな。一人も帰ってこなかったのに、誰がその話を伝えるんだよ?それに、呻き声だって海風の音や潮の声だろ」
「あー、そりゃそうだな。よく考えてみれば全滅したなら、なんで知ってんだよってカンジだよな」
颯介がケラケラと笑いながら仰け反った。四国には魔物がいるなんて噂、初耳だ。そもそも四国という名前自体あまり記憶にない。歴史で坂本龍馬や板垣退助について学んだ時は四国じゃなくて昔の土佐という名前で習ったから、四国という名前など知らないも同然だった。
日本地図から消えた現在立入禁止の島。いかにもオカルティックなネタだ。妙な噂の一つや二つあって、耳にしたことがあっても可笑しくないのに。
「四国に魔物か。おれ、そんなの聞いたことないんだよな……」
伊月はスマホで『四国』『魔物』というキーワードをネットで検索してみた。しかし、何の情報もひっかかってこない。魔物という言葉に反応して、ファンタジー系なサイトやゲームのサイトばかりが出てきた。
四国だけで入れてみると、放射能や有毒ガスによる汚染、立ち入り禁止という検索結果が出てきたが、件数は極めて少なく大した情報はない。それ以外は空海や八十八か所めぐりなどの情報しかなかった。
「颯介のいとこ、どこで四国に魔物が出るなんて情報仕入れたんだろうな?そんなの、ぜんぜんひっかかってこねーんだけど」
「ホント、それらしい情報なんてないじゃん。アイツの適当なホラ話かもしんねえな」
右側の前髪だけ残して、全体的に後ろにざっくりと雑に流した黒髪をくしゃくしゃと掻きながら、颯介が大きな欠伸を漏らした。颯介は頭が回るタイプだが勉強は大嫌いで苦手だ。今日は体育の授業がなく、ずっと座学だったのでかなり退屈しているらしい。
切れ長の吊り目は半目で、きりっとしたくの字の眉も気怠げに顰められていた。
「あー、カラダ動かしてえな。なあ伊月、学校終わったらどっか遊びにいこーぜ」
「いいけど、おまえ部活ないの?」
「あるけど、今日はオマエと遊びてー気分」
「なんだよそれ。ま、いっか。どこがいいだろーな。体動かしたいっんだよな」
「ファニープレイスでも行かね?」
ファニープレイスは複合的な娯楽施設で、ボーリングからインドアスカッシュ、ダーツやビリヤード、バスケや卓球やバスケ、カラオケまでなんでもできる。三時間でドリンクバー付きの何でもやり放題のパックは、学生なら千円と財布にも優しい。
「いいな、それ。決まりだな」
放課後の遊ぶ算段を終えたところで、音楽の教師が入ってきた。若くて可愛いと男子生徒の間でひそかに人気の新米女教師の園部だ。
「じゃあ、今日はライトローテーションをまずかけますね」
小学校の先生のように明るく言いながら、園部がCDをデッキにいれる。流行のアイドルグループの曲が、スピーカーから流れてきた。
園部はなんとか生徒たちの音楽にたいする興味を引き出そうと、教科書に載っているような歌ではなく、流行の歌手の歌の楽譜を用意してくる。だが、残念ながらあまり効果はない。
受験に関係ない音楽の授業は、よほど音楽が好きな生徒以外は、あまりやる気がないのだ。教室を暗くして音楽関連のDVDの鑑賞の時は、大抵みんな寝ているか、勉強熱心な奴は単語帳で暗記に勤しんでいる。
いまいち反応の悪いまま音楽が止まり、それでもめげずに園部はピアノの前に座った。
「みなさん、伴奏に合わせて大きな声で歌ってくださいね」
とことん子供相手のような台詞のあと、園部が小さく息を吸い、ピアノに指を滑らせる。音楽室に美しく悲しげな旋律が流れた。先週から練習している、切ないバラードだ。
合唱の時にはボソボソと小声で歌うか口パクしている生徒が殆どだ。幼稚園や小学校の頃のように合唱を楽しむ心なんてどこかにいってしまい、歌声を聴かれるのが恥ずかしい思春期の中学生の時よりも更にちゃんと歌う人が少なかった。
みんながあまり真剣に歌わないなか、伊月は手を抜きつつもちゃんと声を出した。感情が篭り過ぎないように注意しながら、歌詞の意味を考えて楽しんで歌う。
隣の颯介もしっかりと声を出していた。伊月の澄んだ声につられるように、女子が何人か歌いだす。到底合格ラインとはいえないだろうが、ピアノの音だけでなくちゃんと歌声も響き、なんとか授業の面目は保たれた。
六限目が終わった。伊月は教科書と筆箱を持って音楽室を出ようとした。
「待って、蓮水くん!」
背後から名前を呼ばれて、伊月は振り返る。背が低い仔犬みたいなあどけない顔をした女子が立っていた。
二年生になって初めて知った顔なので、あまり面識がない。一、二回会話したかもしれない程度で、名前すら覚えていない。何の用だろうと怪訝に思いつつ、伊月は彼女の方へ体を向けた。
「蓮水くんってさ、歌すっごく上手いよね。もしかして合唱部だったりするの?」
「いや、ちげーよ。おれ帰宅部だし」
「えーっ、もったいないよ。合唱部に入ったらいいのに」
「別にふつーだって」
「ううん!蓮水くんはすごいよ!あ、自己紹介もせずにペラペラ話しかけちゃってゴメンね。アタシは天音花音(あまねかのん)だよ。よろしくね」
ふわりとカールしたボブヘアの赤毛を揺らしながら、花音が無邪気な笑顔を浮かべた。こんな中途半端な時期によろしくと言われても、なにをよろしくしたらいいかわからないが、伊月はとりあえず「よろしくな」と返した。
「花音ちゃん、蓮水が好きなのかよ?うわー、ショック。オレ、花音ちゃんのこと狙ってるのに!」
軽薄な声で会話に割り込んできたのは、同じ中学校だった湯浅広也(ゆあさひろや)だ。いきなりナンパめいたことを言われて、花音が戸惑ったような笑みを浮かべている。
「べつに、好きとかじゃなくって、ただ歌が上手だなって思って」
「そりゃ蓮水は歌うめぇよ。そいつ、前は歌手してたんだぜ」
「その話はいいって。歌手してたって胸張れるほど活動してねーよ」
真ん中で軽くわけた前髪を掻きあげ、伊月は密かに小さく溜息を吐いた。広也は伊月の不快など気付かない様子で、会話を続ける。
「もったいねぇことにもうやめたんだけどな。普段はチェシャ猫みたいにニヤニヤ笑ってるけど、ちゃんとした顔してたら、キレイでカッコイイしな。なあ、なんでやめたんだよ?歌手やってたらモテまくりなのに」
花音からあっという間にこちらに会話の矛先を向けてきた広也に、忙しない奴だと内心呆れつつ、伊月はいつもの余裕めいた笑みを浮かべて素っ気なく返す。
「べつに、単に忙しいのがいやだったからだよ」
「なんだよ、それ。芸能界への執着心とかないのかよ。オレなら、絶対やめねえけどな。ほんと、もったいねぇよ」
「伊月は歌うの好きだけど、芸能界にはてんで興味ねーからな。ワリーけど、オレらこのあと予定あって急いでんだ。じゃあな、湯浅、天音」
本当は何かあるんじゃねぇのか。野次馬根性丸出しで追及する広也を、颯介がそれとなく遮る。陽気で能天気に見えて、颯介は気が回る奴だ。
しつこい広也に辟易としているのを見抜いて上手く話を切り上げてくれた颯介に感謝しつつ、この機を逃さず伊月は「じゃあな」と踵を返して、広也と花音に手を振った。
花音の何か言いたげな表情に気付いたが、歌手だったことにこれ以上触れられたくなかったので、悪いと思いつつそのまま立ち去った。
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