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ベンツが停まったのは、閑静な郊外にポツンと建った長方形の施設の前だった。
最初に医務室に連れて行かれて、怪我の手当てを受けた。といっても、伊月には擦り傷程度の怪我しかなく、颯介が手当てを受けるのを見ていただけだ。
颯介は肩が脱臼していたが、骨に異常はなかった。医者に肩を戻してもらうと、もうケロリとした顔をしていた。
玲の案内で医務室から応接室に移動させられて、伊月と颯介は慣れないふかふかのソファに腰掛けた。
事務員らしき清楚な女の人がお茶を出してくれた。茶托にのった桜模様の湯飲みの中で、鮮やかな透明感ある黄緑のお茶が揺れている。
一口飲むと、苦味が少ない甘さを感じる味にほっと息が漏れた。暖かさが身体中に沁み渡り、生き返った気分だ。
お茶を飲みながら待っていると、玲が人を伴って戻ってきた。
白いロング丈の軍服を着た爽やかそうな男、紺色のスーツを着た堅そうな男、玲と同じ軍服を着崩した飄々とした男が部屋に入ってきて、伊月と颯介の前に腰を降ろす。
白い軍服とスーツの男はきっと、ここの責任者もしくは管理職ポジションなのだろう。
飄々とした男は、年は自分とあまり差がないように見えるし、軽そうな雰囲気で重役には見えない。いったい、どういう人物なのだろうか。
見かけで人を判断するなとよく言われるが、見かけも人を判断する重要な要素の一つだ。
だいたい、社会に出れば社長や部長などの重役は、いかにも仕立てのよいスーツを着ていたり、高級な時計をしていたりする。
「辰宮が保護した民間人は君たちだね。ようこそ、我々の基地へ。まず、無事でなによりだ。怖い目に遭ってしまって災難だったね」
白い軍服の男が微笑みかけてきた。全体的に後ろに流した獅子のたてがみのような黒髪に、目力の強い茶色の瞳の彼は二十代前半ぐらいに見えるが、威厳のある服装をしているので恐らくもっと年嵩で偉い人なのだろう。
握手なんてしたくなかったが、差し出された肉厚な手を、伊月は失礼の無い程度に軽く握り返した。
「俺は風藤誠一(かぜとうせいいち)だ。軍の隊長を務めている」
「あの、すみませんけど軍ってなんですか?おれたち、ぜんぜん事態についてけてないんですけど」
「すまない、何の説明もしていないようだね」
ちらりと風藤が玲に目を遣ると、玲は不機嫌そうに眉を顰めた。
「一介の兵士が勝手に事情を喋るのは不味いと思いましたので。常磐隊長には、民間人に勝手に情報を流せば混乱の元になるので、不用意に喋るなと指示されています」
「ああ、そうか。それならばしょうがない。しかし、この状況で彼らに何も話さないのは酷だ。かいつまんで俺から今の状況を話そう。現在、東京は恐ろしい状況に晒されている。正体不明の化け物、我々は魔物と呼んでいるのだが、魔物が各地に現れて人々を襲っている。我々は魔物から民間人を守るために組織された軍隊、ケルベロスだ」
ケルベロス、確か神話に出てくる地獄の番犬だ。
大袈裟かつ厨二くさい名前に、伊月は思わず噴き出しそうになった。
もう少しマシなネーミングセンスを持った人間はいなかったのだろうか。響きはかっこいいが軍事組織という感じがしない名前だ。
ちらりと視線を遣ると、颯介も俯いて小刻みに震えていた。
「やっぱり若い子にとってはカッコ悪い名前だったかな?俺は犬が好きだし、強そうで気に入っているんだけど」
風藤が少しシュンとした顔をすると、飄々とした青年がへらりと笑った。
「そりゃまあ、ファンタジー系ゲームの中ボスあたりにでてきそうな名前だからね。高校生が笑っちゃうのも無理ないでしょ、風藤さん」
「そうか、千尋もそう思うのか」
千尋と呼ばれた飄々とした青年が「そりゃそうでしょ」と風藤にとどめをさす。
明らかに上司だろう人に対して、随分とぞんざいな態度だ。伊月はソファに座らずに立ったままでいる千尋を眺めた。
玲と同じデザインで色違いの松葉色の上着を腰のベルトなしで前を開けて着用し、インナーには白いTシャツを着ている。下はカーゴパンツに、黒いミリタリーブーツを合わせたラフな印象の青年だった。軍服の下にカッターシャツを着て、きちんとネクタイを締めている玲とは正反対だ。
「私がつけさせてもらった名前だ。ギリシャ神話が好きでね、そこからとったのだが、若者にとっては、ださい名前だったかね」
紺色のスーツを着た男が厳めしい顔を綻ばせて口を挟んだ。ださいという言葉を否定できずに口を噤んだ伊月の代わりに、颯介が返事をする。
「いいんじゃないですか?まあ、音的にはけっこーカッコイイし、名前なんてたいして重要じゃないっしょ。なあ、伊月」
「おれも、そう思います」
「そうかね。そう言って貰えると嬉しいよ。紹介が遅れた。私はケルベロスの創始者の一人であり、総司令官の名桐東司(なきりとうじ)だ。よろしく」
「はあ、どうも。あのー、おれ早く家に帰りたいんですけど。なんで、おれたち基地まで連れてこられたんですかね?」
「理由をまだ話していなかったね。君達、というよりは金髪の君に用事があるのだよ。名前はなんといったかね?年はいくつかな?」
「蓮水伊月です。こっちは八神颯介。高校二年生です」
「蓮水君と八神君だね。蓮水君、辰宮君から君が叫んだら魔物が動きを止めたと報告を受けてね、それでぜひ、ケルベロスに入隊して欲しいと思って連れてきてもらったのだよ。我々の戦力はまだ乏しい。だから、入隊者を探している」
自分に戦力になる要素はない、むしろ、運動神経抜群な颯介の方が戦力になるだろう。絡まれた時しか喧嘩しないけど、相手がどんな奴で何人だろうと颯介が負けるのを見たことは今まで一度たりともない。
「あの、おれ軍隊でやってくなんてむりです。体力ないし」
「体力なんてなくていい。君には特別な力がある」
「特別な力?」
「ああ。君達は知らないかもしれないが、人の中には特殊な能力を持つ者がいる。例えばマジック番組やびっくり人間を紹介する番組でよく見ると思うが、宙に浮く能力や炎を出す能力だ。大抵はトリックややらせだが、中には本物の能力者もいる。蓮水くんには言霊の能力があると思われる。経験があるのではないかね?」
心を見透かすような名桐の褐色の瞳が怖くなり、伊月は瞳を逸らした。
「君に戦場に出て歌ってもらいたいのだよ。高待遇を約束する、考えてみてくれないかね?」
「俺からもお願いする。これから恐らく魔物の襲撃が増える。こんなことがなければ君はまだ子供だし、普通の暮らしをさせてあげたい。だけど、今は非常事態だ。どうか、力を貸して欲しい」
風藤が深く頭を下げた。どうやら相当深刻な戦力不足らしい。歌手をやめた今でも歌うことは大好きだ。好きなことで誰かを救えるなら、危険だとしてやってもいいと思う。
だけど、本当に名桐がいうように自分に特殊能力なんてあるのだろうか。第一、ケルベロスにはわからないことが多すぎる。即答するのは危険な気がした。
「何か聞きたいことがありそうだね。何でも聞いときなよ、蓮水クン。キミには質問する権利があるよ。八神クンもね」
千尋に促されて、伊月は口を開いた。
「東京が化け物、いや、魔物に襲われたのは今日が初めてですよね。なのに、なんで対魔物用の軍隊ケルベロスがすでに存在してるんですか?なんか、最初から魔物が襲ってくるのがわかってたみたいじゃないですか」
「未然に解っていたのだよ」
解っていた。いったいどういうことだろうか。解っていたなら、どうして街が魔物に襲われているのだろうか。前もって防げなかったのだろうか。
一気に不信感が募った。伊月は疑うような目でケルベロスの重鎮たちを見回す。
猜疑心に満ちた視線に、誰ひとり動じることはなかった。毅然とした態度で、風藤が無言の疑問に答えを述べた。
「彼、呉羽千尋(くれはちひろ)は予知夢を見ることができるんだ」
飄々とした青年、千尋がゆるく唇の端を持ち上げて微笑んだ。
胡桃色のネオウルフ風にカットされた柔らかな髪、翡翠色の涼しげな瞳。色素は少し薄いが、それ以外は至って普通の青年だ。
予知夢を見るような人には見えない。
そもそも予知夢を見る人がどんな人かわからないが、少なくとも千尋のような普通の青年ではなく、聖徳太子とかノストラダムスとか、そんな威光のある人ではないだろうか。
首を傾げる伊月に、千尋が人懐っこい笑みを向けた。
「予知夢っていっても、見たい時に見られるわけじゃなくてたまに見るぐらいだし、百パーセント当たるわけじゃない。こういう可能性があるっていう警告でしかないんだ。
今回もそうだ。東京が魔物に襲われてパニックに陥る夢を見た。
まあそこであれこれあって、ケルベロスが発足したわけだけど、その辺の説明はいらないよね。キミの疑問にだけ答えると、魔物がいつ、どのタイミングで、どこから襲ってくるのかまでは解らなかった。
本当に襲ってくるかも不確かだったしね。だから防ぐことはできなかったんだ」
千尋の顔に翳が差したように見えた。飄々とした笑顔なのに、まるで自分のせいだとでもいいたげな表情に見えて、伊月は胸が小さく疼くのを感じた。
「へんなこと聞いちゃってすみませんでした」
「いいや、もっともな質問だよ。まあケルベロスは怪しく見えるし、クリーンな組織だとは言い難いけど、魔物の脅威から市民を守る組織であることは確かだ。少しでも戦力が欲しい。検討してもらえるとありがたいんだけど」
「ぬるいな、呉羽。そんな控えめな言い方では誰も入隊なんざしねぇよ。おい、蓮水。この先、魔物が何度も街を襲う可能性がある。その時、身内や友人の死体が転がるのを、お前は戦う力があるのに黙って見ている気か?俺はそれでも構わないが、お前はそういう薄情そうな奴には見えねぇ」
控えめな千尋とは正反対の玲の言葉が、チクチクと突き刺さった。戦えるなら、戦った方がいいに決まっている。伊月は机に視線を落として押し黙る。
入隊してもいい。そう言おうとした時、勢いよくドアが開いた。
「まってください、歌で魔物を鎮めるのはアタシの役目です!」
肩をいからせてそう叫んだ人物を見て、伊月は驚いた顔をする。自分と同じ制服を着た少女、花音がそこに立っていた。
玲が聞えよがしに溜息を吐きながら、ソファから腰を上げる。腕を組んで花音の前に立つと、冷たい声で批判を述べた。
「さっきの戦闘で、お前の歌の効果はあまり見られなかったと報告を受けている。さっき蓮水に歌わせた時、魔物は活動能力を低下させた。あいつの歌の方がお前の歌より今のところ効果がある。あの状況でいきなり力を発揮できたのなら、蓮水の能力は安定的だ。それに比べると、お前は不安定だ。蓮水の加盟は必要だと思うが」
「でも、蓮水くんは普通の高校生だし、巻き込むなんてかわいそうだよ」
「なんだ、お前あいつと知り合いなのか?」
「うん。アタシと同じクラスなの。ねえ、蓮水くん。魔物と戦うなんてイヤだよね?玲さんがむりなお願いしてゴメンね。歌で魔物から世界を救うのはアタシの仕事なの。蓮水くんは入隊しなくても大丈夫だから」
さっきまで不満げな顔で玲を見ていた花音がにこりと伊月に笑いかけた。
「心配してくれてありがとな、天音」
花音の言葉に少しひっかかるものを覚えたものの、伊月は入隊の勧誘から庇ってくれた彼女に礼を言って腰を浮かせた。
微妙な空気の空間からはやく逃れたかった。車で連れてこられて道なんて覚えていないし、ここがどの辺りかちゃんと見ていなかったが、都内なので公共交通機関を使えばちゃんと家に帰れるだろう。
「入隊の話は、少し考えさせて下さい。今日はひとまず帰ります。行こうぜ、颯介」
「おう。そんじゃあ、失礼します」
「待て、お前ら歩きで帰る気か?今はこの混乱だから、公共交通機関は止まっている。魔物の出現も騒ぎも収束しているが、電車が動くには時間がかかるだろう。送ってやるからついてこい」
意外にも玲が送ってくれるようだ。伊月と颯介はありがたく彼の申し出を受け入れた。
長い廊下を歩いていると、ロングコートの軍服を纏った男が前方から歩いてきた。
炭色のごく緩いパーマがかかった髪に、灰色の瞳の長身の青年だった。一見動きにくそうな格好だが、歩くたびにひらひらと広がって揺れる裾を見ると、動きやすいようにデザインしてあるのだろう。
「あいかわらずカッターにネクタイしめて、暑苦しい格好だな。辰宮」
ハスキーな声で青年が玲の格好を指摘すると、玲が苛立った顔になった。あからさまに嫌悪を露わにした恐ろしい顔で玲が青年を睨む。
「うるせえ。暑苦しいロングコートを着ている野郎に言われたくねえよ。消えろ」
「ははは、そう尖るなよ。ん?そいつら、入隊者か?どっかで見たような……」
灰色の瞳がじっと伊月を見詰める。何かを思い出そうとしているらしく、青年は顎に手を当てて、唸り声を発していた。
数秒考え込んではっと閃いたような顔をしたあと、目を細めていた青年は似合わない無邪気な笑みを浮かべて、伊月を指差した。
「思い出したぞ、オマエ、歌手の蓮水伊月だろ?いやー、まさか基地でオマエに会うとはな。音楽なんざ興味はなかったが、オマエの歌だけは聞いてたんだぜ。まあ、あれだファンってヤツだな。俺は月代戒(つきしろかい)だ。戦場でオマエの歌が聞けるの、楽しみにしてるぜ。じゃあな」
言いたいことだけ言うと、戒はさっさと歩き去ってしまった。さっきまで魔物と戦っていたのだろう。コートには返り血を浴びていた。
それなのに、戒は楽しそうな顔をしていた。ハニーフェイスに似合わない獰猛そうな灰色の目。危険人物かもしれない。
勝手に戒の人物像を創造して、伊月は厄介なファンもいたものだと肩を落とす。
「蓮水は歌手だったのか?」
「二年くらい前のことだしそんな有名じゃなかったんで、知らなくても当然です」
「そうか。何故やめたか知らねぇが、月代がファンだというなら、相当な才能を持ち合わせているのだろう。悔しいが、あの馬鹿は本物を見極める目はある。才能を眠らせておくのは勿体ない。やはりお前は入隊するべきだ」
才能がある。そう言われると嬉しくなるが、それで首を縦に振るほど甘くはない。
考えておきますとへらりと笑って返事すると、玲は不機嫌そうに片眉を吊らせたが、しつこく勧誘してくることはなかった。
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