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Chapter3:ルビーと旋風(1)
星一つ見えない秋の夜長。
ぬめりとした潮風が吹く港の一角に、一隻の船が停泊していた。辺りに人気はない。虫の鳴き声すら聞こえぬほどに、ひっそりと静まり返っている。
彼らを除いては。
「おいっ、早くしろっ」
「ちょっと待てって。いつもより船が小せぇから勝手がわかんねぇんだよ……!」
暗闇の中に溶け込む二人の男性。
一人は痩身長躯、もう一人は小太りで矮躯という、なんとも対照的な二人組だった。
だが、真っ黒な服を着用し、真っ黒な帽子を深く被っているという点は、互いに共通している。まるで意図的に姿を隠すかのような格好だ。
「あと十五分以内に出航しろって命令だ」
「あ? 十五分もありゃぁ十分なんだよ。それよかテメェも手伝えっ!」
小太りの男が、必死で何かを船に押し込もうとしている。思うように動かないそれに腹を立て、相棒に当たり散らした。
直前までしきりに周囲を気にしていた長身の男だが、彼にこう吠えられてしまっては、これに応えるほかない。「チッ」と舌打ちをすると、渋々手を貸すことにした。
成人男性が二人がかりでもって容易に動かすこと叶わない積荷——それは、
「放してよ!!」
なんと一人の少女。
歳は十五、六だろうか。艶やかな色素の濃いセミロングヘアーに、細くて小柄な体格をしたヒトの少女だった。
腰に回された両手は、自由に動かせないよう結束バンドで固く縛られている。
「こら、暴れんじゃねぇ!」
「いたっ!」
抵抗する少女の腕を、小太りの男がグッと握った。暗くて確認できないが、透き通った彼女の肌には、男の指の痕がくっきりと浮かび上がっているに違いない。
「おいおい、怪我させるなよ? 傷なんてつけたら、俺たちもタダじゃ済まないぞ」
少女を乱暴に扱う相棒に忠告するも、「うるせぇ、わかってんだよ!」と悪態をつかれてしまった痩せ男。この状況に慣れているのか、はたまた相棒の気性の荒さに慣れているのか、それほど動じてはいないようだ。
真っ赤なベルベットのドレスに、ハイヒールのパーティーシューズ。耳朶にはダイヤのイヤリングまで飾られている。少女の体は、頭のてっぺんから爪先まで、実に綺麗にめかし込まれていた。
違和感すら覚えるほどに。
「ここで大人しくしてるんだ」
船内へと連れ込まれた少女は、さらに奥の狭い部屋に引き摺られるようにして連れて行かれた。
そこに設置されていたのは、檻。
虎が一頭余裕で入れるほどの大きさのそれには、見るからに頑丈そうな錠前がぶら下がっている。
「誰か……誰か助けて……っ!!」
不安と恐怖に歪んだ表情で懸命に助けを請うも、少女の声はこの部屋に虚しく反響するだけだ。
「いくら声を出しても無駄だ。誰も助けに来やしない」
長身の男が檻の中に少女を閉じ込め、施錠する。ガチャンという重い金属音が、室内の空気にのしかかった。
「仕方ねぇんだよ、お嬢ちゃん。諦めろ。……オレらも仕事だからな」
小太りの男がそう言うと、少女をこの場に留め、二人組は部屋をあとにした。一刻も早く船を出航させるため、足早に。
「い、いや……いやあああああ!!!!」
少女の悲痛な叫び声は、大粒の涙とともに、漆黒の大海へと沈んで消えた。
◆ ◆ ◆
星、五十五個。
物々しいこの空間を一言で表すとするならば、これに尽きるだろう。なんとも簡潔で、なんとも的確な表現である。
本部所属の軍人でも、一握りの者しか立ち入ること許されない棟。今現在、その中にある大会議室に、少将以上総勢三十五名が集まっている。
星とは、すなわち軍の階級。
少将二十一名、星二十一個。
中将十名、星二十個。
大将三名、星九個。
そして、
「——何か不審な動きがあれば規模にかかわらず即時報告するように。以上だ」
元帥一名。星、五つ。
プラチナブロンドの長髪を一つに束ね、皺が刻まれた鋭い目元に前髪を垂らした中年の竜人男性。
重厚な語り口でこの枢要な会議を締めたのは、軍の総司令官である彼だった。
齢五十八。とてもそうは見えないほど若々しい容姿をしているが、纏っているオーラは、間違いなくこの中で一番威厳あるものだ。
本日開催されたのは国防会議。
全員でないとはいえ、将軍クラスの面々が一か所に集い、これほどまでに大規模な会合を開くなど、そうそうあることではない。うっかり一般人が足を踏み入れようものなら、迫力と威圧感に押し潰されてしまうこと必至だ。
この日の主な議題——それは、反政府組織の動向について。
頻発するテロ行為に関し、軍では、警察等各局と連携して情報収集や鎮圧にあたっている。
発生した事件を片づけているだけでは、単なるいたちごっこだ。事態を収束するためには、大元を絶たなければならない。
つまりは、金の流れを止めること。
動いている金額を推定すると、相当の人数が関与していることが窺える。よって、とても一筋縄ではいかないが、国の異常事態ゆえ一刻の猶予も許されないのだ。
当然ながら、将来有望な若き少将であるジークも、この会議に参加していた。
「よう、ジーク。お疲れさん」
会議室を出たところで、背後から声をかけられた。自身の名を呼ぶ太い低音が聞こえたほうへと体を向ける。
「お疲れ様です、オランド中将」
声の主は、イーサン・オランド。竜人にして、この国の中将だ。
アッシュグレイのオールバックに、揉み上げから繋がった顎鬚が特徴的な三十七歳。
身長百九十八センチの彼は、ジークが見上げるほどの巨漢である。『筋骨隆々』という言葉は、まさに彼のためにあるようなもの。
ギラギラと燃え滾る赤眼には、彼の人となりがそのまま映し出されているかのようだ。
「なんかお前とこんなふうに喋んの久しぶりだな」
「え? ……ああ。そう言われてみれば」
実はこの二人。『中将と少将』というより、むしろ『先輩と後輩』といったほうがしっくりくる間柄なのだ。
互いに多忙を極める身ゆえ、同じ施設の中にいたとしても、以前のように時間を合わせて語らうことは、やはり難しい。
「薄情な後輩を持って俺は幸せだぜ」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
牙を見せながらニカッと笑う先輩に、迷惑そうな顔で後輩が溜息を吐く。
話し方からもわかるように、良く言えば快活、悪く言えばガサツなイーサン。だが、非常に面倒見のいい兄貴分で、最年少で中将に昇格するなど、名実ともに申し分のない人材なのである。
「お前の部隊、今度いつ演習あるんだ?」
「冬です」
「まーた寒い時季に」
「そんなこと言ってられません」
語数が少なくテンポのいい会話。淡泊だと思われるかもしれないが、これが彼らの平常運転だ。
イーサンの言う『演習』とは、軍事演習を意味する。
この国では、少将が旅団を、中将が師団を、そして大将が軍団を牽引することになっており、それぞれの規模に応じた演習プログラムが組まれている。
他国との関係が安定している現在、外から攻め入られる危険性はほとんどない。が、国を守る職務を担っている以上、万が一の事態に備えておく必要があることは言うまでもないだろう。
「期間は?」
「三週間です」
「あー、まだ短いほうか」
演習期間は、短いもので数週間だが、長いものでは数ヶ月に及ぶこともある。その間、彼らは、家族や大切な者たちと離れた生活を余儀なくされるのだ。
しかし、それも仕方のないこと。
「軍は身体を使うハードな分野だが、統率とれてる分かなり動きやすいし、意思の疎通も図りやすい。……お前の父上の遺志を、皆しっかりと受け継いでいるからな」
すべては、愛する者のために。
今は亡きジークの父であるゼクス・フレイムは、前任の元帥を務めていた軍人だった。
智、信、仁、勇、厳——ありとあらゆる才を兼ね備えた素晴らしい人物で、その指揮能力の高さとカリスマ性は、歴代元帥の中でも群を抜いていた。
「……そう、ですね」
イーサンの言葉に、ジークは伏し目がちに笑みをこぼした。切なく儚い笑み。生前の父の英姿が脳裏に蘇る。
兵士たちに「強くあれ」と説き続けた父。攻めるためではなく、守るために戦うのだと。
守るために必要な強さは『優しさ』なのだと。
幼い頃からずっと、ジークは父の大きな背中を見ながら育ってきた。追いかけてきた。父のように、強くて立派な人物となるために。
だが、名だたる屈強な軍人も、自身の体を蝕む病には敵わなかった。
五年前、病に倒れて間もなくゼクスはこの世を去った。五十歳だった。
……悔しかった、とても。母のときもそうだったが、目の前でしだいに弱っていく父を、ただ見ていることしかできない無力な自分に腹が立って堪らなかった。
「……」
誰に非があるわけでもないと、頭では理解している。けれど、やはり自身に対する無力感を、完全に払拭することはできなかった。
胸中を薄墨の靄が覆ってゆく。
「先代の遺志を誰よりも色濃く受け継いでるのは、息子のお前だからな」
そんなジークを、紅蓮の双眸が捉えた。包容力のある芯の太い声音が、頭上から降りてくる。
イーサンの瞳は、ゆらゆらと、まるで焔のごとく揺らめいていた。そこには、なんとも言い得ぬ力強さが宿っている。
それから、にやりと口角を上げると、ジークの背中をバシンと叩いてこう言った。
「頼りにしてるぜ。後輩」
ジークは優秀だ。それは疑いようのない事実。けれども、先輩であるイーサンには、十分すぎるくらいわかっていた。
彼がここへ来るまでに積み重ねた努力も、その過程で生まれた悩みも、深く負った傷も。
彼の、優しさも。
「……ありがとうございます」
これに対し、ジークは柔らかな表情で応えた。胸中で漂う靄を掻き消し、イーサンを真っ直ぐ見据えて謝辞を述べる。
先輩の存在や励ましは、後輩にとって純粋にありがたいものだ。
「お前、このあと急ぎの用事あんの?」
「いえ。とくにありませんが」
「おっ、珍しいな。実は俺もなのよ。……立ち話もなんだし、俺の執務室寄ってけ。美味いコーヒー飲ませてやっから」
ジークは改めて、それを痛感した。
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