ラズリの石

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 一日の始まりを告げたばかりの朝日が、歌うような市場を照らしている。  この村で一番広い通りの両脇にご自慢の商品たちが並べられ、それは視覚で、嗅覚で、聴覚で、通りを歩く客たちを誘惑する。  スピネルもそういう客のうちのひとりで、左右に眼を溺れさせていると、すぐ先の売り子の少女が憂鬱そうに下を向いていることに気がついた。  くすんだ琥珀色の髪と、みすぼらしい汚れた麻の服。それから何より目立つ、碧色の右目と、金色の左目。――異色の双眸。  訳ありだろうか。それにしても、雨季のようなしけった顔では売れるものも売れないだろう。スピネルはそう苦笑したあとで、少女が並べている商品を一瞥した。それから、へえ、と薄紅色の眉を動かす。地べたにぼろぼろのシートを敷いて雑多に陳列されているそれらの《石》のなかに、この辺りでは珍しいものがあったからだ。  スピネルはしゃがんで少女と目線を合わせると、どれも地味ななかでひときわ暗い色をしている石をゆびさしながら、尋ねる。 「この石いくらですか?」  少女は目を下に泳がせて、「えっと……」と消えていく氷のような細い声を絞り出した。 「もしかして売り物じゃないんですか?」 「……売り物」  初めて親元を離れた小鹿のような目。  二度目の苦笑をする。 「えっと、ぼくはスピネル。あなたは?」 「……ラズリ。…………きのうから始めたの」  スピネルは首肯した。始めた、とはこの《石屋》のことだろう。 「だからまだ値段を決めていない石があるんですね」 「…………どれでも二十サイトでいい」 「二十?」 「……高い?」 「それはちょっと――客のぼくがいうのもなんだけど、安すぎますよ」 「でもこれ……他の石と同じだし」  紅色の髪をかく。 「もしかして、知らないんですか?」  違う色同士の両目がうつむいて沈黙した。 「あ、いやすみません。この村ではあまり知られていないのかな……。この石はちょっと変わっているんですよ。えーと。ちょっといいですか。こう……すると、」  似た外見の石をもうひとつ持ち上げると、ふたつを素早くこすり合わせる。すると、青白い幽霊のような淡い狐の影が現れた。 「……なに、これ」  まんまるにしている両目には、その青白い光が映りこんでいる。  狐は通りをゆっくりと歩き出し、四、五歩進むと薄くなって、消えた。 「これは石の記憶なんです」 「石の記憶?」 「どっちの石のものか、石が過ごした悠久のなかのどの記憶が出るかは、わからないですけどね」 「…………」 「驚きましたか? この辺りではあまり見ませんが、珍しいというほどでもありません。値段でいうと二千サイトくらいですかね。何日間かの食費にはなるでしょう」  ちょうどラズリの腹の音が鳴る。頬にスピネルの髪の色のような紅を散らした。慌てて腹を抑えている。 「ほかにも、こっちの石は一晩土の中に埋めておくと水が出るようになりますし、そっちは月の光にあてておくと柔らかくなって食べられます。ここにはないけど、夏に外に置いておけば、一冬の間ずっと温かい石もある。いろんな石があるんです」 「……食べられるの?」  スピネルははにかんだ。 「石は同じように見えて違います。科学の力で、わかってきているんです。まだ謎も多いですけど。《石屋》を始めたのなら覚えておくといいですよ」  眼前に広がる石たちを眺めた後で、「その、スピネルはどうして石のこと、詳しいの?」と訊く。 「……とある石を探していたから……なのですが、もうやめました。いまはラズリみたいに石を売ったりしながら、旅そのものを楽しんでいます」 「そうなんだ……えっと、スピネル、じゃあさ、」 「そこの旅の青年」  言いかけたなにかを、闖入者の太い声が邪魔した。  スピネルが振り向く。がっちりした体格の中年の男がそこにはいた。オリーブ色の作業服を着ていて、腰には木刀と、ズボンのポケットはやけに膨らんでいる。堂々と武器を所有できる人間。 「警察の方がなにか御用ですか?」  警官のうしろには、いつの間にか餌に群がる鳥のようなひとだかり。石の記憶を見ただれかがこの警官に知らせたのか。ということはやはりこの村では、石のことはあまり知られていないらしい。 「奇妙な青い光が見えたと聞いたのだが。――おや。この店は……ラズリ……お前か。きょうはちゃんと許可証を用意しているんだろうな。許可証を見せなさい」 「…………許可はある」 「許可証を」  少女らしくもない無言の眼光が警官に注がれる。 「――ラズリ。ちゃんとした許可証がないとダメだと何度も」 「だから、許可はある」 「……お前が持っている許可証は、」 「まあ警官さん。それよりも見てくださいよ」  スピネルは『借りますよ』と口を動かして、ラズリに見せたのと同じ動きをやった。今度の石の記憶は二羽の鳥が愉快そうに追いかけっこしている様子だった。観衆のどよめきが空に舞い上がる。 「それ……どうなっているんだ?」 「表面が薄く剥がれて尖っている、この黒い石。これをこすり合わせただけですよ。やっぱり石は寂しいのですね。生き物の記憶をよく映してくれるみたいです」  警官が訝し気にしながら石を手に取って言われた通りにする。「……光った。……これはなんだ。星空……流れ星か……?」  記憶石は瞬く間に売り切れた。まだ太陽が昇りきっていないうちに暇になったラズリには手にしたことのない大金が残った。あの警官はといえば、熱を帯びた群衆の前で少女を検めるのはばつが悪かったらしい。明日は許可証がないと許さないぞと言い残して去っていった。石はしっかり二組買っていった。 「こんなに売れたの、初めて……」  スピネルが破顔する。「初めてなにも、まだ二日目でしょう?」 「他のものを売ったりしたことはあるの。いつもわたしの商品だけ全然売れなかったし、売るのを他の商人に邪魔されたりしたし……」 「邪魔を?」 「……ううん。なんでもないの。ねえ、スピネル。明日も売れるかな。石、もっとあるの。石ならみんな買ってくれるかもしれない」 「売れると思いますよ。あの警官に見つからなければ、ですけど」 「あの人はわたしに突っかかってくるけれど、いつもなんだかんだ許してくれるから」  ラズリが初めて頬を緩める。 「へえ……そういうことですか。……ところで、石はほかの種類も採れるのですか?」 「うん。ある。……村のみんなは知らないけれど」 「でしたら、たとえば綺麗な色の石はよく売れますよ。特殊な力がなくても」 「…………うん。わかった。ありがとう」  表情が曇る。  なんだろうとスピネルは思ったが、その目は質問を拒否していた。 「じゃあ明日また、見に来ますから」 「……また来てくれるの?」 「ぼくもどんな石が採れるのか楽しみですからね」  それを聞いたラズリは妙にほっとしたような曖昧な表情を浮かべてわかった、と頷いた。
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