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「ぼくが旅をしている理由、ですか?」
小さな顔を二回縦にふりながら、ラズリがうねりあがる太い木の根っこの上を、両手で器用に平衡をとりながら歩く。市場を少し離れるとそこはもう鬱蒼とした森で、頭上には木の葉が洞窟のように覆いかぶさっていて、ときどき見える空はまるで井戸の中から見るようだった。ラズリ曰く、この森の奥に、石を採れる場所があるらしい。
「……面白い話では、ないのですが」
「それでもいい」
「……いいでしょう。……ぼくは旅に出たのではなく、追い出されたのです」
「?」
「つまり、故郷で、ぼくは罪人なのです」
「……罪人? スピネルが?」
「ええ」
「…………なにを、したの?」
異色の双眸が見上げた。同時にどこかで鳥の甲高い声がする。その見えない鳴き声は木々に吸収されて辺りを再び静寂にした。
「ではこうしましょう。ラズリのことを教えてくれたら、ぼくもそうします。気になっていたのです。あの豊かそうな村でラズリだけ、とてもその……浮いていますから」
「…………」
「言いたくなかったら、それでも構いません」
ラズリは顔を下に向けながら歩く速度を落とした。ぱきぱきと小枝を踏む音が二人の間に割って入る。
二人はそれから黙って森の奥へと進む。ラズリはスピネルの少し先を、道もないのに迷うことなく歩く。連なる小川にかかる倒木の一つめを渡りきったときだった。
「親がいないの」
唐突に、独り言のようにそう言った。
市場だったら確実に聞き取れない音量とタイミングだっただろう。
「……ぼくの親もとっくにいません。同じですね」
「この目のせい」
「目?」
それから、堰を切ったように話す。
「碧色の右目と、金色の左目。お母さんと、お父さんの色。ただそれだけなのに、悪魔の目なんだって。わたしたちは、わたしのこの目のせいで……ずっと仲間外れにされてきたの。お父さんはもともと市場で働いていたけれど、まともな仕事がもらえなくなって、お母さんはちょっとおかしくなっちゃった。結局、無茶苦茶な仕事ばかりさせられたお父さんは咳が止まらなくなって死んだ。お母さんは、お父さんを探して来るって、森の中から帰ってこない。……家族を失くしちゃったの。……この、違う色の目のせいで」
警官が言っていた許可証は、ラズリの父親が持っていたもう無効になっているもののことだった。
「……想像できないほど、辛かったでしょう」
「同じだと思うの」
「……なにが、です?」
「わたしの目。みんなと同じだと思うの。碧色だって金色だって両目が違う色だって。見えている世界はみんなと同じだよ。わたしだけ違うなんて、そんなことないよ」
スピネルははっとして肩をあげた。
ラズリはどの石も均等に扱っていたのでは、果たしてなかった。ただ、そうであって欲しかった。それだけのことだ。天然の平等主義だと、そう思っていた。しかしそうではない。それは周囲の人物によって既に歪められた、あるべき姿から曲げられてしまった状態。そもそも生来の平等主義なんてあり得ないのだ。人間はその数だけ差別をしたがる生物なのだから。
しかし――。
「そうじゃないと思いますよ」
「……?」
「ぼくたちの見えている世界は、同じではありません。違うふうに見えるからラズリが迫害されているのでしょう。それを決して肯定しません。善悪でいえば、悪です。だけれど、」
続きは哀しみをはらんだ声にかき消される。
「世界が違うようにみえるからこそ、影があるからこそ、光もあるって言いたいの? そうだとしたら、スピネルがただそうやって生きてきたからだよ。わたしはそうじゃない。ただ、辛いの。……わからないでしょう? 光に照らされれば影ができるけど、暗い部屋には光がないの」
一瞬の沈黙。
そして深く息を吐いてから言う。
「ぼくの罪は、《石》を盗んだことに始まりました」
ラズリが目を見開いた。
「――ぼくの生まれた村はこの村よりもさらに小さく、食べるのには困らないけどただそれだけの場所でした。代わり映えのない退屈な日常を友人や恋人と繰り返して季節が巡る、凡庸な幸せ。しかしひとつだけ、村には秘密がありました。そこは特殊な力を持つ石の産地だったのです。ぼくらはそれを決して口外しませんでした。知れ渡れば村は攻め入られるでしょう。もちろん石の力で他の勢力を沈黙させることもできました。石の力は悪魔的で絶対的だったからです。しかしぼくらは争いを望みませんでしたし、いまでもその掟を遵守しているでしょう」
ラズリは黙って聞いている。
二人の周りの木々だけが怪しく葉を揺らしている。
「――人は争いごとで死にますが、それ以外でもあっけなく死にます。ぼくの恋人の病気は徐々に彼女の時間を奪っていきました。彼女の砂時計の砂がすべて落ちそうになったとき、思いました。ときの流れが彼女を蝕むなら、時間を止めればいい。そしてぼくは禁忌を犯しました。村の長しか入れない倉庫からある石を盗んで使いました。そうですね、それはちょうど、ラズリの右目のような綺麗な碧の石でした。そうして彼女とぼくの時間は止まりました。もう何百年経ったかわかりません」
「……スピネルが何百年も生きているってこと?」
「年齢は秘密ですけどね。……ぼくたちが告発されたのは時間が止まってから何年かしたよく晴れた日で、ぼくと彼女の二人は村を追放されました。二人旅は、長く続くことは叶わず、半年もしないうちに、告発されたことによって罪の意識に耐え切れなくなった彼女が、自ら命を絶ちました。ぼくも後を追いましたが、死ねませんでした。どうやら石を使ったときの呪いで、ぼくだけ死ねないようなのです」
「………………」
「ただ死ぬために、みんなと同じ身体になるために、永久にも思えるときのなかで、解呪する石を探しました。そして無数の村や町を巡ったあとで、思ったのです。罪が露見したとき、なぜ死罪とならなかったのか。追放すれば村の秘密がばれてしまう可能性があります」
「死なないことを知っていたんじゃないの?」
「最初はそう思いました。しかしいまは、そうは思いません。きっとぼくに気がつかせたかったのだと思います」
「……なにを?」
「世界は広くてなにもかも違う、ということを。死んだ彼女は、特殊な病に侵されたという点で、他者とは違う運命をぼくは呪っていました。みんなと同じだったのなら、とずっとそう思っていました。だけどそうじゃない。違うということをただ嘆くのではなくそれを受け入れて、前に進まないといけないのです。ラズリの言葉を借りるならば暗い部屋に光がないことを嘆くのではなく、その部屋の扉を開けなくてはならないのです。一人では難しいかもしれません。でもそれならばぼくが外側から開けましょう。だってすくなくとも、ここに一人、ラズリの目は美しいとそう思う人がいるのですから」
ラズリが足を止めて、その瞳がスピネルを見る。そしてそれを見つめ返す人がいる。
ラズリは少しの間黙って考えるようにしていた。それからふと、幾つめかの小川を渡ることなくそれを覗き込んだ。
二つの違う色の目が水に映りこむ。それは合わせ鏡のように、水面に映る彼女の双眸にも、映りこんでいた。
碧と金。たしかに、綺麗じゃないか。
なんて簡単なことだったんだ。
そして静かに笑った。
「……うん。そうかも。スピネルの言う通りかも、しれないね」
それから空を見上げて、遠くのほうを眺めるようにした。
その両目はどの角度から見ても輝いていた。
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