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物書き見習い、始めました
そうだ、物書きになろう。
追い詰められた脳みそは、とっても素晴らしいことを思い付いた。就職に失敗。派遣社員も人間関係から鬱病になり辞めた。日雇いのアルバイトと借金で過ごす終わりなき日々は、私に生と死の違いをわからなくさせていた。死んだような生。生きていながらの死。首を吊るか電車に飛び込むか、本格的に悩み始めているところであった。
文字は書けるし、アイデアさえ出せばきっと物書きになれる。今の時代は、インターネットのどこかに載せておけば多分誰かの目に付く。そこから話題になれば、このクソみたいな生活から脱け出すことが出来る。それに、本屋にはいつも本が溢れている。たくさんの人が売れる本を書いているのだ、私も出来るに違いない。
スーパーで、夕食の菓子パンを買うついでに手の平サイズのノートを買った。ここに話を書き込んで、後からスマートフォンに打ち直そう。少し面倒臭いけれど、パソコンは持っていないし、ネットカフェを利用するお金も無いからそれしかやりようがない。
帰り道、私の心は浮き足立っていた。面白い小説がある、とネットで話題になる。話を聞きつけた出版社の人から連絡が来て、仕事を頼まれる。小説だけでなく、映画や漫画の原作も依頼が来るようになる。どれも大ヒットして、お金がたくさん貰える。雑誌のインタビューを受けて、冗談を織り交ぜたやり取りが掲載される。親しみやすい先生として評判が高まる。あらゆる情報媒体で、私のペンネームを見かけるようになる。素晴らしい。約束された成功がそこにはあった。しばらく物を書くことに注力してみよう。お金が無くなったら、いつものように借金かアルバイトで凌げばいい。いずれ私は売れっ子作家になるのだから、何の問題も無い。
こんなに明るい気持ちになったのは、いつ以来かわからない。根拠は無いけれど、きっと上手くいくという確信があった。思い返せば、小学生の時から国語の成績だけはよかった。あれは文才が吹き出していたのだ。まあ、国語以外の頭脳が壊滅していたおかげで、授業中に酒を飲んだりトランプをするような奴が吹き溜まる大学にしか行けなかったのだけれども。
久々に見上げた空には、たくさんの星が広がっていた。自分の住んでいるところではこんな風に空が見えるのか、と初めて知った。大抵、目の前の地面かスマートフォンを見ていたから気付かなかった。まだ何もしていないのに、楽しかった。胸がざわついて、勝手に口が開いた。あー、という声が漏れて、前を歩く人が振り返った。ちょっとだけ、恥ずかしかった。
夕飯を五分で終えて、先にシャワーを浴びた。体を綺麗にしてから原稿に向かいたかった。ラブホテルでのベッドインの直前ってこんな感じなのかな、とにやにやした。
鉛筆を握り、ノートをしっかりと開く。白い紙がちゃぶ台の上に広がった。しばし空白を見詰める。鉛筆を手の上で回してみた。次に口で咥えてみた。頭をかき、鼻を鳴らした。ノートは一向に白いままだ。やがて私は一つの疑問を口にした。
「何を書けばいいんだ」
そう、何を書けばいいのか。どこから取り掛かれば書けるのか。最初の一歩の踏み出し方がわからない。自由研究を思い出した。課題を与えられればわからないことがわかるのに、どうぞご自由にと言われるとわからないことすらわからなかった。
私が百年前に同じ状況に陥っていたら、ここで物書きになるのを諦めて、数分前の妄想を思い返し足を振り回していただろう。だが、今の時代は何でも検索が出来る。スマートフォンを手に取り、「小説。書き方。初めて」と打ち込んだ。あっという間に何万件という検索結果が表示される。そう言えば、この何万件の一番最後に表示されたサイトの作成者はどう感じるのだろう。もっと役に立てるよ、と悔しがったりするのか。
いくつかのサイトを覗いてみる。文の書き方や句読点の打ち方など、技術的なことが多い。だが、求めているのはそこではない。言われなくてもわかっている。食事の作法を説明されているが、私が求めているのは箸である。そんな例えが頭に浮かんだ。気に入ったので、小説の中で使うことにした。
「書く事が初めてで、何も思い付かなければまず自分のことを書いてみましょう」
そう書かれたサイトが目に留まった。ようやく箸が見付かったらしい。そこには、こんなことを書いてみると良い、という項目が挙げられていた。自分のこと。家族のこと。印象に残っている出来事。そういう、実際にあったことを文章にしてみて、まず書く事に慣れましょうと記されていた。
「普段運動をしていないのに、いきなりフルマラソンを完走することは難しいのです。まずは歩くことから始めましょう。物を書くのも同じです。徐々に書くことへ慣れましょう。そうすれば、いずれ長編小説を書けるようになります」
どこのどいつかも知らない人の言葉に、私は深く頷いた。地道な努力を重ねることが大事なのだ。その先には売れっ子作家の未来が広がっている。単行本化が、映像化が、インタビュアーが私を待っている。そのためにも、まず私自身について書き出すことにした。
私は三十一歳の女性。日雇いのアルバイトと借金で生活している。自分と同い年の壁が薄いアパートに住んでいて、夏は暑く冬は寒い。ここには私と、三軒隣に明日死んでもおかしくない爺さんがいる。住人はそれだけ。親交は無い。
小学生の頃から勉強は国語以外出来ず、運動もからっきしで、芸術的な才能も無かった。面白いことを言ったりしたりするのは恥ずかしくて、大抵クラスの隅に佇んでいた。物静かで、あんまり勉強の出来ない子達二、三人と占いやなぞなぞの本を見ていた覚えがある。盛り上がった思い出はほとんど無いが、家族旅行で行った温泉宿が木造の巨大な建物で妙に興奮したことと、初めて子供だけで市営プールへ行った時にやたらと笑いあったことは印象深い。
中学校では、図書部に入って漫画や小説を読んでいた。一緒に過ごす人種に変化は無かったが、クラスメイトが小学生の時に比べて私を扱いづらそうにしていた。どうしたら解消出来るかわからないので、特に何を変えることも無く過ごした。いじめられなくて幸運だったと思う。そう言えば、この頃から特に数学がわからなくなった。概念が理解出来ないと言うか、足の裏で本を読めと言われているような、お前は何を言っているんだという感覚に陥るようになった。元々頭は良くなかったけれど、このあたりから本格的に坂道を転げ落ち始めた気がする。家族旅行も私は行かなくなった。一応誘われるが、同行しない方がいいという空気を察したので、いつも行かないと答えていた。温めたコンビニ弁当の美味しさを知った。
高校では三年間、友達がいなかった。一年生の時は、陽炎みたいに何となく現れて何となく皆から不快に思われないよう立ち回り何となく終えた。二年生の時、修学旅行の班決めで吐きそうになった。こればかりは何となくと言うレベルで済まない。窓から飛び降りて骨折でもしようかと考えていたら、同じ中学校から進学した子が同情からか班に誘ってくれた。骨折はしなくて済んだが、何を話していいのかわからず予定決めの話し合いはずっと体中が熱かった。
現地では班から離れて単独行動をしたかった。互いのためだ。しかし言い出すことが出来なかった。いてもいなくても人に気を遣わせる私は、この世に存在しない方が良いのではないかと本気で思った。だが同じ班の人達は十代にして随分と人間ができていた。移動先でも宿でも、そこそこ話しかけられた。三泊四日の間、相槌のみから始まったコミュニケーションは会話のキャッチボールをするまでに至った。これを奇跡と言わず何と言う。ただ、調子に乗って私から話しかけることの無いよう気を付けた。
修学旅行が終わったら、私はまた一人に戻った。こんなもんだと開き直った。友達になれるかもと少し期待していたことは、涙と共に過去へ流した。クラスで行事がある時には修学旅行の班の人達が一緒に過ごしてくれた。それだけでありがたかった。
三年生の時は、受験勉強が大変だったことしか覚えていない。国語以外は相変わらず成績が壊滅していた。理数系は最初から捨てた。文系は、暗記が出来ないので英語と社会が死んだ。そのくせ古文と漢文で覚えなければならないことは完璧だった。どういう脳の構造をしているのか我ながら疑問である。
恐ろしく偏差値の低い大学へ進んだ。浪人はしなくて済んだものの、学友達は一目見ただけで私が今まで関わったことの無い種類の人達だと察せられ、命の危機すら覚えた。四年間で、カツアゲに遭わなかったのは本当に運が良かった。
大学の良いところは、人と関わらなくて済むところだ。高校時代に輪をかけて一人になった。一日一日と、会話する能力を失っていった。さっさと卒業することだけを考えていた大学生活で得たものは学歴と多少の知識しか無く、その学歴だってむしろ悪い印象に繋がるのではないかという代物だ。就職活動の面接で、話すことが無いから潤滑油になれますと掠れた声で連発していたらどこにも採用されなかった。
卒業と同時に家を追い出されたので、取り敢えず派遣社員として働いてみた。一つ目の職場では、仕事が覚えられなくて一ヶ月で辞めさせられた。二つ目の職場は、簡単な作業だけやればよかったので三年続いた。このまま正社員になれるかなと期待していたら、契約期間満了で首を切られた。これはもしかして私の人生まずいのではないかという予感を抱きつつ、三つ目の職場へ趣いた。仮面みたいな化粧をした老婆にいじめられて、二ヶ月で辞めた。お腹が痛くて、病院に行ったら十二指腸に穴が開きかけていた。ストレスが原因と言われ心療内科を勧められた。言われるがままに行ってみたら、鬱病だと診断された。驚いた反面、まあそうだろうなとあっさり受け入れられた。貯金を切り崩しながら通院した。人間と関わらない気楽さに溺れ、半年くらい引きこもった。お金が無くなってきたので、食費を切り詰めた。病院に行って薬を貰わなければならないので、借金をした。それだけでは足りないので、働いた方がいいかと医者に聞いたら、むしろ働けと言われた。通うのを辞めようかと思ったけれど、薬は必要だったので渋々通院を続けた。
私は一所で働くことが出来なくなっていた。またいじめられるのが怖かった。日雇いのアルバイトしかしなくなった。その日限りの関係なら、気が楽だ。人として、大事な何かが壊れてしまった気がする。もう元に戻ることは無い。仮面の老婆はきっと長生きするだろう。
そうして、飯と薬を摂取し、スマートフォンを眺め、たまに働き、借金を増やし、気が付けば今日になっていた。
「これは死にたくなるな」
書き出した自分の人生をまじまじと眺める。うまくいっている時期が無い。あえて言うなら、絶対値はともかく、中学校までは比較的穏やかであったか。そして何より、この先の人生に希望が一つも見えない。こんな辛気臭い人生を小説に書き出して人に読ませるのか。感想は、うわぁ、だけしか無いだろう。
これでは作家になれない。いや、うまいこと教訓めいたことや人間描写なんかが出来れば純文学というジャンルに収まるかもしれない。しかし、収めたところで感想がうわぁだけしか貰えない小説では話にならない。売れっ子の物書きになりたいのだ。そのためには、私の人生では題材として役に立たない。導き出された結論に涙が滲む。
気分転換に、水道水を飲んだ。薬剤の臭いがする。売れっ子になったらこのアパートも出られるのだ。早く売れなければ、首吊りや飛び込みをする前に死ぬ気がする。
今度は家族について書き出すことにした。思い出すのも久し振りだ。皆、元気であろうか。
父は私に興味の無い人だった。小さい頃はそれなりに可愛がってくれた気がしないでもないが、三兄弟全員が小学校に入った頃から弟と妹にかかりきりであったように思う。多分、私が覆しようのない阿呆だから早々に諦めたのだろう。父の選択は正しい。弟も妹も、頭が良かった。二人とも努力して、いい高校、いい大学に入ったし、お金をたくさん稼げる仕事に就いたことであろう。阿呆はいてもいなくても変わらない。大学までいかせてもらったが、得たものは無く、仕事にも就けなかった。将来、親の面倒を見られるわけもない。そんな奴に構うのは時間の無駄だ。だから、私に余計な労力を割かなかった父は正解だ。
母はヒステリックな人だった。勉強が出来ない私を大声で怒鳴りつけた。運動会でもたもたしている私が情けなかった、と帰ってから大泣きしていた。出来ないことは責められた。唯一成績のよかった国語は褒めてくれなかった。
「お前を見ていると、苛々して仕方がない。何故、私の言う通りに生きられない。私を馬鹿にしているのか。親を舐めているのか。出て行け。どこかで生きて、そして死ね」
私の胸ぐらを掴んで、母は最後にそう告げた。押し殺した声には怒りどころか殺意が充満していた。出て行けと言われて、不安ではあったが同時に安心もした。母の理想に沿えない私であったが、出来ないものは出来ないのだ。だから、出来ないことを押し付けられなくなって、ようやく自由を得られた。クソゴミみたいな自由でも、あるのと無いのとでは幸福の度合いが全然違った。
弟と妹は優しかった。弟はずっと運動系の部活に入っていて、快活な青年だった。朝、顔を合わせると、姉ちゃんおはよう、と必ず笑顔で言ってくれた。不機嫌な日もあっただろうに、ぶすくれたおはようを聞いたことは一度も無かった。私はそれだけで、弟はいい奴だなと思っていた。試験前に古文がわからなくて、教えてくれと私に頼んで来たことがあった。何だこいつ可愛いな、と力を入れて説明した。飲み込みが早くて、その後質問には来なかった。あるいは、あいつは気配りの達人だったのかも知れない。
妹は、母に怒鳴り散らされた私に、お母さんも言いすぎだよねと寄り添ってくれた。
「いつも、私の言う通りに出来ないのかって姉ちゃんを怒るけど、あたしはあれが大嫌い。親の過干渉ってやつだよ。自分の思い通りにさせたくて仕方がないんだね。凄く気持ちが悪い」
私にそう言っていた妹は、自分が母に怒られても適当に返事をしてあしらっていた。ただ、妹は弟に輪をかけて頭が良かったので、怒られること自体がほとんど無かった。
「何だ、一般的な家庭じゃないか」
書き出した家族を眺めて、そう思った。両親にはあんまり恵まれていなかった気がしていたが、こうして見るとよくある話そのものではないか。むしろ、弟と妹が優しかった分だけ私は幸せ者だ。もしかしたら、あの二人も内心では私を馬鹿にしていたのかもしれない。でも、直接触れ合う時はいつも優しかった。だから私は、十分すぎるほどに幸せだ。
二人に会いたくなる時があった。仕事を辞めさせられた時。病気になった時。初めて借金をした時。きっと弟も妹も、今でも優しくしてくれる。だが、二人の人生に私は必要でない。私がいてもいなくても変わらない。それなら、私は会ってはいけない。きっとその方が平穏だから。
しかしありきたりな家庭では小説として目を引かない。私の家族でも、面白い話を書く事は出来なさそうだ。例えば、家族旅行に行った先で喋るワニの大群に取り囲まれ、父が交渉に失敗し、母が暴力による解決を訴え、結局一家総出の棍棒による殺戮で乗り切った、というような出来事があればお話の一つとして書けたのに。二十年と少し一緒にいた間、そんなことが起きる気配も無かった。何故だ。
またもやスマートフォンに頼る。これ無しでは何も出来ない。物書きの先生と呼ぶべきだ。
小説のジャンルを調べてみた。恋愛。SF。ファンタジー。どれもピンと来ない。恋愛は中学校の時に片思いをしていたのが最後。鏡を見て諦めた。SFは宇宙のことを考えるとその広さに叫び出したくなるから駄目。時空の話はタイムパラドックスが面倒臭いからパス。ファンタジーはよく読んでいたが、魔法や小人の話は出尽くしているから今更書いても二番煎じにしかならない。杖を振って火や氷や雷を発射し友人と共に邪悪な敵と戦って苦労しつつ辛くも勝利を掴み犠牲を悼む。この一文だけでどれだけの作品と内容が被っていることか。考えたくもない。
全く、困った。皆、一体何を書いているのか。何もかも出尽くした現代に、新しい物語を生み出して話題になるなど不可能だ。こんなことなら百年前に生まれた方が良かった。いや、それでは結局最初で躓く。まずい。このままでは売れっ子作家になれなくなってしまう。もうこれしか人生を逆転させる方法は思い付かないと言うのに。悲鳴を上げるために口を大きく開けた。母のヒステリーは私にも遺伝していたのであろうか。
しかし、私の脳みそは追い詰められると可動を始めるらしい。寸前で気が付き、そうかと手を打った。
「今のことを書けばいいじゃん」
そうして手帳の表紙に大きく題名を記入した。物書き見習い始めました、と。
終
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