かつて他人だった君に

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*  憶えているのは、ぼくがちっぽけな姿をした蛇だったということ。細くて小さくて、大した害にもならないようなやつ。  そんなんでもやっぱり蛇だから、人間に見つかれば気持ち悪がられるし怖がられてしまう。悲鳴をあげられたり邪険にされたりするのはこちらとしてもお断りなので、なるべく人に見つからないような草むらの中を、エサを求めて這って生きていた。  大きな蔵のある家、だったかなぁ、君が住んでいたのは。時代は着物の人と洋服の人の両方がいた頃。ずいぶん前の話だけれど、生まれ変わりをするにはわりと最近にも思える程度の昔。  君はお金持ちの家の子だった。広い庭に大きな蔵。お手伝いさんとかも雇っていて、近所の人たちから遠巻きにされているような家だった。憧れと妬みの対象だったんだろうね。  君は七人兄弟の末っ子。厳しくされて育った上のお兄さんたちとは違って甘やかされていて、だけど逆に長男ほどの注目を集めることも出来ない。君は内弁慶のひねくれた性格の子どもになった。  ぼくが初めて君に会ったのは、君が十歳くらいの頃。  君の家の庭を這っていた時、蔵の陰になるあたりでひとりうずくまっている君を見つけたんだ。  ――うわぁっ。  突然現れたぼくに、君は驚き叫び声を上げた。尻餅までついてしまった君は、決まり悪そうな顔で立ち上がると土のついた尻を払ってぼくに実に性格の悪そうな視線を投げた。  ――なんだ、蛇か。  さっきの驚き具合からして、この子どもはきっと怖がりだ。大きい蛇が相手だったら逃げ出していたんだろうなと簡単に想像できる。  ぼくは君の足元をすり抜けようとしたけれど、君はそれを見逃しはしなかった。  ――ちっぽけな蛇め、どこへ行く。  どこだろうと構わないだろう。君には関係のないことだ。無視しようとしたぼくの行き先に棒切れが差し出された。迂闊にも、つい巻きついてしまう。  ――僕を無視するな。お前みたいに小さい蛇なんか、僕は怖くないんだぞ。  これはまあ、なんと生意気な子どもだろうとぼくは思った。ぼくを侮り見くびっているのだとわざわざ示してくるなんて、逆に滑稽で可笑しくなってしまう。  それでは、とためしにシャーッと口を開けてみたら怖気づく様子を見せた。危害を加えられそうになった途端に怯えるなんて、見栄っ張りで臆病者だ。  要するに、あまり性格の良いほうではないのだろう。  それなのにどうしてか、君はぼくをしげしげと観察すると、そのままぼくを相手に話しかけてきたのだった。  ――いいか、逃げるなよ。そこで話を聞いていろ。  そう言って始めた話は、君の日々の鬱屈を詰め込んだものだった。  近所の子どもは自分を遠巻きにするばかりだとか、学校もつまらないという不満だとか、兄さまや姉さまは歳が離れていて遊び相手にならないだとか、そんな話。  いつしか棒切れも放り出されて解放されていたというのに、ぼくは君のそんな話をなぜか延々と聞き続けてしまった。  そうして語り終えたころには、空はもうすっかりと夕暮れの色になっていた。坊ちゃん、と屋敷の中から呼ぶ声がして、君はそちらに顔を向ける。家の中に戻ろうとしてから振り返り、ぼくに声をかけた。  ――また明日も来い。エサを用意してやる。  蛇に明日の約束を持ちかけるなんて、変なやつ、とぼくは思った。
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