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保田先生は、三十代半ばの男性教員であり、一年生の時から菜々の担任をしていたから、ずいぶんと手を煩わせたことだろう。それでも嫌な顔ひとつせず、穏やかに対応してくれる彼に、わたしは救われていたし、菜々自身も先生の事が好きみたいだった。
相変わらず腰の低い丁寧な挨拶をしたあと、先生は嬉しそうにわたしの後ろに隠れていた菜々に、柔和な笑みを送りながら玄関を上がる。
リビングに座ってもらうと、お手伝いを褒められたいらしい菜々が、得意気な顔で紅茶とシフォンケーキを運んでいた。
しばらくは、他愛もない雑談が続く。菜々が好きなお笑い芸人の話や、校庭のパンジーが咲き始めた話。菜々も交えて和やかに弾む会話には、彼が訪れた事の本意がなかなか見えてこない。
やがて菜々がシフォンケーキを食べ終わったのを見計らうようにして、先生は笑顔を絶やさないままに動いた。
「菜々ちゃん、宿題の漢字ドリルまだでしょ?
また忘れるといけないから、今のうちに部屋でやっておいで」
自分がよく忘れ物するのを自覚しているとはいえ、この場を離れなければいけない菜々は、思ったとおり不服そうな顔。それでも、「先生が特別に一番で見てあげるから」という言葉に素直に踊らされ、元気よく返事してリビングを出ていく。
ひときわ甲高い声がなくなったリビングは、途端にクーラーの僅かな音が耳につきだし、先生は改まったように膝を正した。
「菜々ちゃんなんですけどね。前々から思ってたんですが、一度専門の機関で、脳波の検査を受けたほうがよろしいのではないでしょうか?」
「……え、脳波?」
「ええ、わたしにも同様の症状の甥っ子がいるものですから、菜々ちゃんの素行を見てずっと気になっていました。
菜々ちゃんは、もしかしたら発達障害の可能性があるのではないでしょうか?」
「……発達障害?」
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