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「花屋」という「天職」
『三友貿易商社』の高浜様に花束を届けることになったのは、今から二日前の夕方のことだった。
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「いらっしゃいませ」
店の中に入って来たアラサーくらいの背の高い細身の男性に、私はそう声をかけた。
「あ…。あのう……若い女性への花束のプレゼントって、どんなものが良いでしょうか?」
「お誕生日お祝いか何かでしょうか?」
「は、はい! そうです……」
彼は照れたように顔を赤くし、そわそわとしている。
「そうですね。季節の花束か、それか薔薇だけでまとめても喜ばれますよ。こちらのピンクの薔薇には、『しとやか』とか『愛の誓い』といった花言葉がありますので、お若い女性には特に喜ばれると思います」
「そうなんですか! それにします」
「ありがとうございます。何本になさいますか?」
「それも全然わからなくて……。予算はいくらでも構いません。できるだけ豪華に、贈物(プレゼント)として恥ずかしくないようにお願いします」
「でしたら……今、こちらの薔薇が一本5百円ですから……50本で2万5千円では如何でしょうか?」
「それでお願いします。……あ、今すぐにではなくてですね。明後日、配達して頂きたいんですけど」
「どちらまで?」
「このビルの会社までお願いします」
彼はそう言って、一枚の名刺を差し出した。
「ああ、こちらですか。問題ありません」
住所と会社名を見て、私は言った。
「おリボンは何色に致しましょうか?」
「えーと…赤で」
「かしこまりました。明後日の何時に伺えば宜しいですか?」
「会社の終業時間の15分前。必ず16時45分までにお願いします」
「では、明後日水曜日の午後4時45分に、御社に伺わせて頂きます」
「よろしくお願いします」
「確かに承りました。又のご来店お待ちしております」
そうやってそのお客様は、なんだかふわふわと心なしか足取りもおぼつかない体で、店を後にして行った。
「優雅ちゃん、今日はもういいわよ。早番でしょ。もうおあがりなさい」
この店のオーナー……私の母方の希久子伯母さまが、私にそう声をかけてくれた。
「はい。今日は、アレンジメントのお教室がありますし、お先に失礼します」
制服のエプロンを脱ぎながら、私は言った。
「お先に失礼します」
「お疲れさまでしたー」
同僚が声をかけてくれる中、私はその場を辞した。
時刻は午後6時半近く。本当は早番の日は午後6時で上がれるのだが、最後に来たあの若い男性の対応をしている間に、こんな時間になってしまった。
更衣室でモノトーンのセーターとガウチョパンツ、上からウールの白いコートを羽織り、茶色の本革ブーツに履き替えると私は足早に駅へと向かった。
今日は月曜日。フラワーアレンジメントのお教室の日だ。
私、新井優雅。25歳。
2年前までは、総合商社『大和物産』の航空機器営業部・営業一課に勤めていた。
大学を卒業し、選ばれた総合職として就職して、与えられた仕事はとても面白かった。
しかし、仕事は激務を極めた。それは深夜残業に至ることもしばしばで、元々体が弱い私には過負荷だったのだろう。
就職3年目に私は社内で倒れ、救急車で病院に運ばれてそのまま2か月の入院生活を余儀なくされた。
なんとか退院し復職したが、しかし私のデスクは庶務部・社史編纂課に異動させられていた。
いわゆる閑職に回され、すっかり働く意欲をなくした私は、会社の思惑通り復帰2週間後に退職願を書き、それは当然のように受理された。
それから、暫く私は自由に暮らした。
学生時代以来のヨーロッパ旅行を一人気ままに楽しんだ。約数年間とは言え貯蓄していたお給料と、会社から温情とも言える額の退職金が出ていたので、バックパッカーの貧乏旅行だが、行きたい所へ行き、観たいものを見て、食べたいモノを食べた。
そんな生活を、ドイツ・イタリア・フランスで半年以上過ごし、すっかり得心した私は、程なくして日本へと帰国した。
帰国後も暫くはぶらぶらしていたのだが、さすがに貯金も底をついてきたので、実家の母の勧めで、伯母の経営する花屋『Bouquetier』に勤めることになった。
そして、幸いにもそれは私の『天職』だった。
花を見ることも扱うことも、美意識を刺激され、とても楽しい。だから、仕事にもそう苦労することなく自然と慣れた。店の中の沢山の種々の花々に囲まれているだけで、私はなんだか幸せな気分になる。
去年からは毎週月曜日に、隣町の『フラワーアレンジメント教室』にも通うようになった。
いつか将来、自分のフラワーアレンジメントのお教室を持つ。
それが私の今一番の夢だった。
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