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そして時は過ぎ、大学は夏休みに入った。
あれから純の家には行っていない。純も大学前に来なかった。
多分あの時、知られたんだ。それで嫌われたんだろう。
これでよかったんだ。
俺の日常は再び灰色と化した。
夏休みは実家に帰るように言われている。まあ実家って言っても足立区だけど。
「健志。大学はどうだ?」
「ん、順調だよ父さん」
笑顔を取り繕う。
「ちゃんとご飯食べてるでしょうね?」
「大丈夫だよ母さん」
何もやる気は起きなくても、作り笑いはできるんだな。と我ながら驚いている。
父さんたちと話す時はいつもこう。できるだけ深入りさせないように、機嫌を損ねないように演技するんだ。
高志の話題を一切あげない、元からそこには誰もいなかったかのように話す両親にはもう呆れを通り越してどうでもよくなった。
目の前に並ぶのは俺のために作られたご飯。
隣には何もない。
高志が座っていた椅子ももうなくなっていた。
「お前には立派な医者になってもらわないとな」
「そうよ?いずれうちの病院を継ぐのだからね」
「…当たり前じゃん、まかせて」
ああ、苦しい。
純に、会いたい。
「はぁ…めんどくさ…」
久しぶりの自分の部屋。ベッドに思い切りダイブし呟いた。
自分を演じるのは結構疲れる。それにあの空気は、ずっしりとしていてねちっこくて気持ちが悪い。
こんな時、いつもだったら…。
ベッドから立ち上がり、隣の部屋へ行く。
俺の部屋とほぼ同じ作りの、高志の部屋。
「…まだそのままなんだ」
あの日のことを思い出す。
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それはあの事件の前日の夜。
卒業式を終え、疲れていた俺はさっさと眠りたかった。
でも
コンコン
…?なんだ?
また父さんの長い話かな。父さんはたまに俺の部屋に来て長く語る。主に医者の仕事についてとか病院経営の話だ。
めんどくさかったので寝たフリをしようとした。が
「……兄さん」
…高志か。
「…どした」
ドアを開けてそう答える。
「今日…一緒に寝ても、いいですか?」
首を傾げ遠慮がちに聞いてきた。
なんだ、この可愛い生き物。
でも珍しい。こんなこと小学生以来だった。
あの頃高志は、両親から割と酷い虐待を受けていた。虐待と言っても物理的なものじゃない、言葉による虐待だ。
中学生くらいから、それすらなくなったけど。
特に酷いことを言われた日なんかは、よくこうして俺の部屋に来ていた。
「…急にどうしたんだ?また、何か言われたの…?」
いつももするように、頭にポンっと手を置く。
「いえ…。その、もうすぐ兄さんこの家からいなくなっちゃうじゃないですか…だから…」
…そっか。
俺がいなくなったらこいつ、この家でひとりぼっちなんだ。
「…いいよ」
「…!ありがとうございますっ」
ぱあっと明るくなる高志の顔。
日によって俺の部屋で寝たり、健志の部屋で寝たりまちまちだった。
でもその日は高志の部屋で一緒に寝た。
高志は遠慮がちに端っこに縮こまって横になる。
「そんな遠慮しなくても。自分の部屋なんだから」
「えへへ…なんだかこうするの、とても懐かしいですね…」
高志も、同じこと思ってたんだな。
「俺の住む場所、教えたでしょ?いつでも遊びに来ていいからな」
「はい…。兄さんは、優しいですね」
まさかな。これが最後になるなんて思ってもみなかった…。
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俺は1人、高志の部屋で静かに泣いていた。
あの日、俺が学校へ行くなと言ったらまだここにあいつはいただろう。
悔しくて悔しくて仕方なかった。
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