十七歳・残された日々(2)友の笑みは美しく晴れやかに

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十七歳・残された日々(2)友の笑みは美しく晴れやかに

 その日の放課後。  私は北校舎の屋上の壁際にいた。  爽やかな五月の晴れた夕暮れの風に吹かれながら、壁にもたれ座り込み、体育座りのように両手で両足を抱え込む。俯いて……。  ・・・・・・・・・ 『どうしたんだ、神崎。三年に上がったというのに、この前の全国模試。学年順位も悪い。何かあったのか?』 『いえ……。春休みにちょっと気を抜いてしまって……』 『その油断がいかんのだ。この成績では東応大学合格など到底無理だぞ』 『わかっています。また死ぬ気で頑張ります』 『ああ。お前には期待してるからな』  ・・・・・・・・・  ふ……。  自嘲気味にひと息、溜息を吐いた。  まがりなりにも学年トップテンの成績をずっと維持してきたのに、全国模試も三年最初の実力考査でも成績上位者一覧圏外だなんて、呼び出しくらっても当然だよね。 『期待』……そんなものに応えるつもりで今まで勉強してきたわけじゃない。  全て自分の意思。私は自分の為に好きで今まで勉強してきたのに。  なのに、今。  勉強が手に着かない。  勉強していても、ふと彼のこと……。  守屋君のことを考えている。  あの高二の冬の夜の口づけ──────   あの初めての感覚はもうとっくに記憶の彼方へと薄らいでいっているのに、そっと口唇(くちびる)に触れる度、彼の口唇の感触を、温かさを思い出す。  この一番大事な時期に。  ふと。  涙がひと筋、頬を伝って、スカートの上に零れ落ちた。  情けない。  去年の二学期もそうだった。  済陵祭の直後の中間考査で、初めて物理で赤点を取った。 『恋』が絡むと私は理性をなくす。  十七歳の青春の時、『女』としてこの瞬間を生きよう。  そう思ったけれど。結局、中途半端。  どうしたら、受験勉強に集中できるの。  どうしたら自分に正直に、恋に生きることができるの。  そんな相反した想いが自分の中を駆け巡る。  でも、答えなんて出るはずがない。  それも嫌というほどわかっている。  あの三学期の冬休み、狂気のような時を過ごして思い知った。  私は。  私は。  守屋君が好き……。  私はゆっくりと立ち上がった。  ふらふら(いざな)われるように屋上の手すりへと手をかける。  四階建ての校舎。眼下は遠い。  もし、ここから……。  ”一歩、踏み出すだけでいい”  ”たったそれだけで楽になる”  魅惑的な悪魔の囁きが聞こえる。  私は覗き込むように下へと身を乗り出そうとした。  その時──────  「純……!!」  背後から鋭い声がして、痛いほど右腕を掴まれた。 「お杏……」  そこには済陵入学以来、大親友のお杏が立っていて、私の両腕を揺さぶりながら言った。 「お杏、じゃないわよ! あんた今、飛び降りようとしてたでしょ?!」  お杏は、パン……!と軽く私の頬を叩いた。  僅かに熱い熱を感じ、私は無意識に叩かれたその左頬に左の掌を当てた。  尚、その場に立ち尽くす。  お杏は激昂していたけれど、やがて一転していつものいたわりを湛えた濡羽色の大きな瞳で私を見つめた。  私……。  飛び降り──────   お杏の叱責とその深い瞳の色に、私はようやく現実へと立ち返った。 「お杏。どうしてここに?」 「虫の知らせよ。あんたのことなら純、なんでも私にはお見通しよ」  そんなことをお杏はうそぶいたが、案外、それは正しかったのかも知れない。 「お杏……」  私は、お杏に縋りついた。 「う……」  またひと筋、涙が流れると後は連鎖反応。次から次へと零れ落ちて止まらない。泣きじゃくる私に、 「ほら。純、泣かないの」  お杏はそう言うけれど、私にその肩を貸したまま優しく私の背を撫でてくれる。 「守屋君が好きなら好きで、それでいいじゃない。受験生だから恋しちゃいけないなんてナンセンスだわ。大丈夫。純なら両立できる。彼の心も志望校の合格も両方ゲット!するのよ」  ねっ!……とお杏はその麗しい美貌で私に微笑みかける。  何も話さなくてもお杏には、私の悩みなんて本当に何もかもお見通しなのかもしれない。  指で涙を拭うと、私はつと天を仰いだ。  そろそろ黄昏時。今日も快晴だった。西の空に夕焼けの赤さが残る。  太陽は沈み、そしてまた昇る。  例え私が死のうが生きようが。  私が彼を好きでも、諦めたとしても……。 「さ。帰ろ」 「うん……」  答えなんて一生出ないだろう。  だったら。  自分に悔いなく生きよう。  勉強もしよう。  恋も諦めない。  大学の合格も勝ち取るし、そして……。 「それでいいのよ」  不意にお杏が呟いた。 「え、私……」  何か言葉にした? 「言ったでしょ。純の考えてることは何でもお見通し」  そう言ってお杏は、はんなりと美しく艶やかに笑った。  それは晴れやかな明るい笑みで、女同士の深い友情で結ばれた証のようだった。 「お杏、だいすき」  そう言うと私は、お杏という『腹心の友』の存在に心から感謝しながら、お杏の細い右腕に両腕を強く絡めた。
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