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1.町に吹く羽
私の住む町には風が吹く。
特別な風が。
羽を生やせと、路面から空に風の階段を作るように吹き上げる。
人はその時、羽を生やす。
風に乗って人は羽人となって遠くの町の空へと飛び消えていく。
空へ続く階段はみえなくても道になっていて、時々羽が落ちて来る。
――人の羽なら高く売れるよ。
人は道に落ちた鳩の羽には視線をくれなくても、純白の人羽には腰をかがめて拾う。
人の羽と動物の羽の違いは、指を擦って回転させると判断が付いた。風を呼べば人、そうでなければ人、以外。
遠くの町上空にあるという羽人の築いた国のお土産に私はきっと風が売っているのだろうと思った。
☆
町で風に乗って行った人の数は時計守がカウントしている。運河が渦巻くように形成している町のてっぺんは時計台だった。文字盤のぐるりに嵌められた発光石がぼんやりと夕刻以下に灯る。その数と、その年町から消えた人の数は同じ。
町の人口に対してとても少ない。
でも町に住んでいる人なら誰でも経験する。
生活圏内に存在した名前のある人間の消失を。
――親友だったクラスメイトが飛んでっちゃったんだ。
そんな言葉を良く耳にする。
私も、去年働いているパン屋の先輩に飛ばれた。
まだ、トマトを潰さずカットする秘技の伝授も済んでいなかったのに。でも、マーケットで買ったトマトを転がした先で純白の羽を拾ったのは偶然ではなかったのかもしれない。
羽はいざって時のために売値だけ教えてもらった。
ピンチの月末を数回、回避できそうな額で、宝物。
☆
自分に風の吹くことを夢想するのはロマンチックな若人のすることで、私もまたその一人ではあった。
朝早く、パン屋の二階で目を覚まして、店周りの掃除から始まる一日。ゴンドリエーレが櫂を磨く布振って挨拶をしてくれる。鳩はフライングしてパン屑をねだり、私は真似して首を縦に振る。このところとてもスムーズ。
町で評判の美味しいパン屋、お客さんはひっきりなしで私は紙袋の音から逃げられない。
鼻には香ばしいパンの香り、シナモンの郷愁が線路になりつつもスパイシーな香り、胡桃の殻は集めて枕にすると旦那さんは集めているけど、実際どうだか知れない。
夕刻以下、時計台の発光石が数えられる時間、店をはねて町を散歩する。運河を越える橋は緩やかなアーチで上り、下る。欄干で仲睦まじいカップルは必ず橋をくぐるゴンドリエーレに櫂で払われた。
水面に散りばめられた時間が、集まって風になるとするなら、この町は結構ヤバイ奴だと私は路面を蹴り蹴り思った。
――私もあの一個になるのかも。
橋の欄干から身を乗り出して、見上げた時計台、文字盤外のぼんやり灯り一個に。瞼を閉じて灯る。私。
空の国で、羽人同士恋をする。
その国にパン屋があればいい。
☆
風が吹いた。
朝だった。
いつもと変わらず自室の窓を開けて陽の光で目を焼いた。
夢の焦げる現実に、握りこぶしで立ち向かう。
時計台の針が刻む音に混じるように。
町に吹く羽の一個として。
洗顔をし、身を整えて、コーヒーを飲む。
毎朝のこと。
階下の旦那さんと奥さんに挨拶をして、外に出る。
箒とチリトリ、バケツと雑巾。
トレイが並ぶ外、分厚いガラス。
内と外の指紋の差異は経年の寿命差。
ハーっと朝露が吐息を慰めても、頑なな雑巾がすぐに拭き取った。
その、背中。
振り返った瞬間、もう私の背中には羽が生えていた。服が捲れて、背中が何もかもを謳う。
――風の、階段。
私は瞬間に全てを察して町を飛ぼうとした。
櫂を磨くゴンドリエーレが薄いサングラスからギョロリとした目でこちらをみていた。縞柄のシャツが筋肉に貼りついていた。左手で私に手を振る。さようなら? いってらっしゃい? 私は軽く会釈をした。首の後ろで外に跳ねた癖の毛がバサバサいった。
――私の、風、羽!!
空への歩幅が羽になる。
風を受けて、羽が肉体を持ち上げた。
飛ぶ、と思った。
その時、私の目に一人の少年がみえた。橋の欄干に。いつも一人で洗面器を抱えている子。
パンを買いにおいでよと、誘ったっけ、いつか。
少年は全身を覆っていた。
つなぎの作業着にはポッケがたくさん。
ゴーグルの奥の目は何色だろう。
両手の軍手はいつも真っ黒で、頭のバンダナは毎日違う柄で。
――うわ!!
突っ転がって、膝を擦りむいた。捲れた背中で羽がフワフワと風のない町にすっとぼけている。
――羽人が飛ぶところは何度か目撃したけどさ。
ゴンドリエーレがあのままの目で言った。
――失敗したのは、初めてみた。いいものみた。なんかいいことあるかな。
そう。なら。
――うちのパン屋へどうぞ。胡桃パンをサービスいたします。
――やったね。
私は風を損ねた。
けれど羽を生やした。
胡桃パン、銅貨一枚損。
あのゴーグル、外してやろう。
そうでなけりゃ、いけないと私は店で膝に絆創膏を貼った。
滲んだ血は赤かった。ホッとした。
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