第九話 挨拶

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第九話 挨拶

いつの間にか新大阪駅に到着していた。 ホームに降りたミホは周囲の景色を見回してしまう。 初めての大阪。 ここから御堂筋線に乗り換えるのであった。 目指すは江坂、たった二駅の大阪メトロ。 新幹線では武田の故郷の思い出話で長旅も忘れていた二人。 武田も久し振りの帰郷で嬉しいのだろう。 「森さん、疲れた?」 「笑い疲れました。」 二人の笑顔がシンクロして、更に笑い合ってしまっていた。 大阪によく似合ったカップルになっている。 もちろん二人に、そんな自覚は無かったのだけれど。 まだ地元の人と関わり合っていないので東京との違いも感じない。 距離的には離れていても、その実感が湧いてこない。 道中の武田の会話に挟まれていた地元愛。 いつかは帰郷して働きたいという希望。 (いつか彼は、ここに戻ってしまうのだろうか…?  その時は流石に遠距離だという事を感じるんだろうな…。) そんな事を思ったら、窓の外の景色がモノクロに変化した。 少しワクワクした思いが落ち着いてしまう。 あっと言う間に江坂駅に到着した。 武田と二人一緒に彼の故郷に降りる。 武田にとって車窓が見慣れた景色に変わる。 新大阪駅から御堂筋線に乗り換えたら懐かしさで胸が一杯になった。 今年は特にそう感じる。 (いつかはここに戻って働けたら…。) 車中ではミホの笑顔に癒され続けていた。 しかし江坂駅に着く寸前から、やや硬い表情に変わった事に気付く。 (やっぱり緊張するんだろうな…。) それを見越して早めにホテルにチェックインする予定を組んだ。 荷物を置いて手ぶらで町を案内するつもりである。 ミホの為に夕方の会食には余裕を持って臨める様にしたのであった。 時間的にも、精神的にも。 唯一、両者を知っている武田は相性については心配していなかった。 寧ろ絶対に上手くいくとの確信しか持てなかったのである。 (ワクワクする、早く会わせたいな。) そのサラリーマンは江坂駅に向かっていた。 妻から駅まで迎えに来て欲しいとの連絡を受けたからである。 中間管理職の彼は、休日は家庭管理職に変わる。 (一体、幾ら使ったんだろうなぁ…。) 彼の妻は何年か振りに服を買う為だけに外出していた。 荷物が多くなったとの連絡が来たのである。 徒歩十五分以上の道のりは、この季節には辛い。 彼は、やはり久し振りに車を出した。 髪型は整っており、散髪したばかりだと伺わせた。 そう彼は休日だというのに早起きをして床屋へ行ったばかり。 眼鏡も普段使いの物ではなく外出用の方を掛けてきていた。 床屋の帰り掛けにクリーニング店にも寄り服を受け取っていた。 休日では在り得ない過ごし方をしている最中なのだ。 (あのヒサシがねぇ…。) 久し振りの息子からの連絡は帰郷するとの話だった。 緊急事態宣言の解除後、初めての長期休暇。 実家に戻ってノンビリしようか、と。 そこまで聞かされた時には別に反応もしなかった。 「…ついでに会わせたい人を連れていくから。  皆、家に居るんでしょ?」 「会わせたい人…って?」 「うん、将来結婚したい人。」 「えっ、結婚?」 「うん、将来的にね。」 「ええっ!」 その一言で状況が一変した。 これこそ青天の霹靂と言うに相応しい一言だったからである。 それで彼と家族は蜂の巣を突く大騒ぎとなった。 (けっ、結婚…。) 彼の息子は真面目を絵に描いた様な子供であった。 懸命に勉強をし、クラブ活動にも熱中してきた。 自分の息子ながら良い育ち方をしていると自画自賛しかない。 親バカだと思われても。 友達は多かったがガールフレンドは見た事が無い。 少しだけ気掛かりで、唯一の心配事と言えばそれだけだった。 彼の心の残り部分ではワクワクが溢れ出てきていた。 (結婚か…。) 近くの駐車場に車を停めて江坂駅へと向かう。 彼より動揺していた妻を出迎える為に。 その女子大生は江坂駅に向かっていた。 ショートカットが似合い過ぎていて、まるで少年の趣き。 身長の低さを補う為に厚底のショートブーツを履きこなしている。 (暑いからパパの車で帰れるの、アリガタイな…。) 彼女の大学は緊急事態中はリモート授業が殆どであった。 解除後は対面授業が少しづつ再開される。 夏休みが縮小されて時短ながら講義を受ける為の登校が増えた。 本日も午前中だけ講義を受けて帰宅。 その途中での家族ラインで江坂駅での待ち合わせ。 父親の車で家まで十五分以上の道のりを歩かずに済む事に。 (あの兄貴がカノジョをね~。) 妹として兄の事はよく知っているし理解もしているつもり。 だけど、このスピードは予想を軽く超えていた。 今日の夕方に兄がカノジョを連れて帰郷してくる。 彼女の家族の慌てぶりは相当なレベルであった。 取り敢えず彼女には何の準備も必要無かったのであるが。 (うわ~、どんな人なんだろ~?) 彼女自身が幼い頃から切望してきた姉が現実のものになる…。 それは嬉しい事だった。 (あれ~、もし年下だったら妹が出来るって事になるの?) 何の責任も持たない立場の彼女にとってはワクワクしかない。 もう直ぐ江坂駅に着く。 両手を紙袋で塞がれた女性は江坂駅のベンチで一休みしていた。 どうしてもコーヒーが飲みたくて。 まだ夫が迎えに来るまでには少し時間も残っていた。 (それにしてもヒサシが結婚なんて、考えもしなかったわ。  どんなお嬢さんかな?) 女性は期待と少しだけの不安を感じていた。 夕方の会食に合わせた部屋着を買いにきたのである。 普段はシンプルなカジュアルだけで過ごしていたので。 年齢よりは若く見られがちなので後は服装だけだった。 化粧も殆どナチュラルメイクを少しだけ施すタイプ。 少しでも良い印象を与えたかったのである。 (良いコだといいんだけどな。) そう思いながらも実は大して心配はしていなかった。 家族の人を見る眼には、かなりの信頼を置いていたのだ。 彼女の心にもワクワクが溢れてきていた。 多幸感。 キャリーバッグを引きながらミホは武田の後ろを歩く。 通路の反対側のベンチで缶コーヒーを飲んでいる女性を見掛ける。 一休みしている女性は幸福そうに飲んでいた。 (アイスコーヒー飲みたいな…。) そう思いながら少し羨ましく思う。 取り敢えずホテルに荷物を置いたら喫茶店に行きたかった。 改札を出て駅から繋がっている歩道橋に差し掛かる。 キャリーバッグは武田が代わって引いてくれている。 歩道橋を渡っている最中、急に武田が立ち止まった。 不思議に思ったがミホも立ち止まる。 「どうしたの、武田クン?」 歩道橋の階段を登ってきた女性が遠くで立ち止まっている。 ショートカットの若い女性であった。 武田は呆気に取られた表情で、その女性を見ている。 「あ…、アスカ?」 「あすか?」 明らかに武田の知り合いの様であった。 その女性も驚いた表情で聞き返してきた。 「ヒサ兄ちゃん!」 今度はミホが驚く番であった。 「兄ちゃん…、妹さん?」 その女性…女の子は今度はミホに話し掛けてきた。 「初めまして、妹のアスカです。」 「は…初めまして、森ミホです。」 その時である。 もう片方の歩道橋を登ってきた男性が驚いて立ち止まった。 「ひ…ヒサシ、お帰り!  あれ、アスカも一緒だったのか?」 「お…オトン、ただいま!」 「おとん…お父様?  初めまして、森です。」 「ああ、貴方が…。  初めましてヒサシの父です。」 この偶然は、どれ程の確率なのであろうか。 だが事態は更に混乱していく。 ミホ達の後ろから一行にご婦人が声を掛けてきたのだ。 その女性は両手に紙袋を抱えていた。 「お帰りヒサ、どうしてこんなに早い時間に居るの?  何で皆一緒なの?」 「お…オカン、ただいま。  ホテルに荷物を置いて町を案内しようと思ったんだけど…。」 「は…初めまして森です。」 「ヒサシの母でございます、初めまして。  ユックリしてらしてね。」 「はい、ありがとうございます。」 歩道橋の上で感動の再会が済んでしまった。 色々と考えていた挨拶も咄嗟に終わってしまっていた。 緊張している暇も無かった。 アスカが一行に提案をした。 「取り敢えず茶でもしばかへんか~。」 ワザとふざけたアスカの台詞に思わず笑うミホ。 アスカも微笑みを返してきた。 一気に緊張が溶けていったミホ。 一行は流れで近くの喫茶店で一休みする事にした。 周りを武田の家族に囲まれてミホは思った。 (リアル吉本新喜劇だ…。)
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