春 

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木曜日の夜。 弥栄神社へと続く階段を、雪国は忌々しく見上げていた。 肌寒かった4月が終わりを告げ、5月の生暖かい夜の空気を頬で感じる。 虫の音をかき分け、一段一段、暗闇を上っていく。 階段に灯りはついておらず、神社も暗く静まりかえっていた。 神社の扉を開けようとするが、固く閉ざされている。どんどん、と戸を叩くも、返ってくる様子はなかった。 はあ、と肩を落としていると 「雪国?」 ふと後ろの方から呼ばれ、驚いて振り返る。 「・・・虎太郎」 今、雪国が最も会いたくない人物が、そこに立っていた。 二人の間に、重い沈黙が流れる。 「・・・少しでいいから、時間をくれないか。頼む、雪国」 二人は神社の境内に少し離れて座る。 沈黙を破ったのは、虎太郎だった。 「・・・海月、無事で本当によかった。 突然行方不明になったって聞いた時は驚いたけど・・・この前の海月を見たら前にも増して元気みたいだし、安心したよ」 「・・・でも、あいつは・・・・・・海月は、確かに俺の目の前で飛び降りたんだ」 「えっ?」 「2月の終わり、お前も海月に呼び出されただろ?あの日、俺は海月と一緒にいた。アストラルパークの時間塔の屋上に」 「!」 「海月はここから飛び降りたって言っても、だれにも信じてもらえるはずがない。どこにも死体がないんだからな」 虎太郎が身を乗り出す。 「・・・俺は、雪国の言うことなら信じるよ。 でも、この前俺たちの前に現れたのも確かに海月だった。俺たちが見間違えるはずがない・・・」 はあ、と抱えた膝に雪国は顔を埋める。 「・・・この1か月、あいつが消えてからずっと考えてた。 俺は海月のこと、何にもわかってなかったんだなって。 ・・・今思えば傲慢だが、物心つく前からの仲だし、誰よりわかってるつもりでいた。 それで、こうしてまたふらっと現れた海月を見て、ますますわかんなくなった。 ・・・確かに海月だと思うけど、以前の海月とはどこか違う気もする・・・ でもそれは、俺が知らなかった海月なのかもしれねえし・・・あーまた訳わかんなくなってきた」 がしがし、と頭をかきむしる。 「・・・俺って本当、馬鹿なやつだよ。 自分では理解できてると思っていた人間が、実は全然そんなことなかった。 俺は誰のことも理解できてない、理解できた気になってた、薄っぺらで浅い人間だ。 そうわかった時・・・滑稽だった。ああ、本当に俺は独りがお似合いだって。 独りでいた方が気楽だ。独りでいれば・・・傷つくことも悲しむこともない」 ーーーああ、自分はなんて愚かだったのだろう。 雪国はこのひと月、様々な悔恨を抱えながら、一人苦しみ続けていたのだ。 目の前から消えた海月のことを、深く後悔し続けながら。 自分はその間何をしていた?海月のことを知っても、何もしなかった。 本当は雪国の側にいてやるべきだったのだ。 虎太郎は、そんなどうしようもない罪悪感に襲われながら、雪国の震える声をじっと聞いていた。 「今度はできる限り、あいつのこと精一杯理解したい・・・つっても、俺は一年後には死んでるけどな」 「っ・・・!!俺はお前を絶対に死なせたりしない!いまその方法を探してる。 だから、明日の集合にも来て欲しいんだ。なにか手がかりがつかめるかもしれない。 お前を巻き込んだのは俺だ。こんなのどう考えたっておかしいだろ。何も悪くない雪国が死ぬなんて・・・絶対にそんなことは、させない」 「・・・嘘つきヤローの言うことなんて信じられねえな」 雪国はすっと立ち上がり、境内を降りる。 「あれは、本心じゃなかったんだ。 本当は、雪国と別れたくなかった・・・すごく辛かった。お前を傷つけるってわかってたけど・・・」 雪国はキッ、と虎太郎をにらみつける。 「てめえの気持ちなんざ知るかよ!辛かった?自分で選んだ結果だろ! じゃあなんで最初から本当のこと言わなかった?!最初から言ってくれればよかっただろ。俺はそんなこと、別にっ・・・」 その瞳はどうしようもない怒りと動揺で、揺らいでいた。 「・・・だって、本当のこと言っても、雪国は『構わない』って言うと思ったからさ」 真正面に立った虎太郎は、最後に会った時よりも少し背が伸び、身体は一回り大きくなっていた。 月に照らされた悲壮な表情に、雪国は戸惑う。 「雪国・・・俺・・・お前のこと」 近づこうとする虎太郎から、思わず後ずさりする。 「虎太郎・・・もう、今更なんだよ。 今更・・・んなこと言われても・・・どうしようもねえだろ・・・事情があったにしても、あの頃の気持ちが戻ることは、ない・・・」 そういって、雪国は走り去った。 追いかけようとする虎太郎に、 「こーたーろっ」 後ろから声をかけたのは、海月だった。
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