おわってる食堂

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 高校時代の同級生で、卒業後、さまざまな飲食店で働いている男がいた。ある夜、僕が家のソファでダラダラとくつろいでいると、珍しく彼の方から電話がきた。何事かと聞けば、念願だった自分の店を持つことになったという話だった。 「おめでとう。それで、何料理を出す店なの?この前まで働いてたのは、ピザ屋だったな。その前は、中華料理店。一番長くいたのは、和食の店だったっけ……ってことは、創作料理とかいうやつ?」 「終わったメニューを始める店にしたんだ」  友人が言っていることを理解しようするのに、少々時間がかかった。が、結局、自力ではわからなかった。 「なにそれ」 「お前、秋とか冬とかに、冷やし中華食べたいとか、思ったことある?」 「ないね。そもそも冷やし中華、そんなに好きじゃないし」 「じゃあ、夏におでん食べたいとか?」 「練り物も、そんなに好きじゃないんだ」  妙な間が空いた。多分、こういう時の癖で、電話の向こうの友人は自分の後ろ頭をぽりぽり掻いているところだろう。 「……じゃあ、お前のことはいいや。でも、世間には冬に冷やし中華を食べたくなったり、夏におでんを食べたがったりする人もいるんだよ。そういう人に向けて、時期はずれのメニューを提供するんだ」  その電話で、開店祝いの集まりに招待された。言われた時間と場所に行ってみれば、オープンを翌日に控えた改装済みの店の外壁沿いに、それまで友人が勤めてきた店の店主からと思われる花が、いくつも並べられていた。  僕は、すでに関係者で賑わっている店内に入る前に、頭を上げて店の看板を確認した。店名は、「おわってる食堂」。僕は、友人の店の先行きに、この上ない不安を感じた。  「おわってる食堂」が開店してから半年たった、十月の半ば。気紛れを起こした僕は、会社帰りのついでに、友人の店に寄ることにした。  最寄駅から徒歩二十分の道のりの途中、こんな立地条件で、あんな店名で、店は閑古鳥が鳴いているのでは…と半年前と同じ心配をした僕だったが、店の前まで来れば、専用の駐車場はほぼ埋まっており、外から店の窓の奥を見る限り、大体のテーブルには客がいるようだった。  引き戸をひいて入った店内は、エアコンの温度をかなり高めに設定しているようで、生ぬるい空気が頬に張り付いてくるのを感じた。 「いらっしゃいませ。お一人様でございますか?」  入口に接客に来たのは、開店祝いの時には見かけなかった若い女の子だった。僕は厨房に近い方が友人と話せるだろうと、カウンター席に案内を頼んだ。  お冷と共に出されたおしぼりで手を拭いながら、さて何を食べようかとメニューを手に取る前に、店の壁に貼られたメニューが目に入った。大きな短冊形の紙、雪の結晶の模様が白くぬかれた水色の枠の中に、大きく黒々、「冷やし中華はじめました。」と筆文字が書かれていた。  あの、下手ではないが勢いのあり過ぎる字は、間違えなく、友人のものだ。ぼんやりと過去に彼から貰った年賀状を思い出しつつ、注文をした。 「冷やし中華、お願いします」 「はい。冷やし中華、おひとつですね」  料理を待つ間、僕は店内の様子を観察した。そう広くない店の中は、住宅地のど真ん中という立地にも関わらず、家族連れや年寄りの姿はなく、金曜日の夜という時間帯のせいか、自分と同じ勤め人や、大学生と思われる客ばかりだった。  僕は近い場所にいる客たちが、各々食べる料理も確認していった。テーブル席で向かいあうスーツ姿の男性二人は、それぞれカレーと冷や汁。一人で二人席をつかう事務員風の女性は、アイスののったいちごシロップのかき氷。大学生のカップルのテーブルには、でかでかとそうめん流し器が稼働中だった。 「お待たせ。来てくれたんだな」  厨房から姿をあらわし冷やし中華をカウンターに置いたのは、半年ぶりの対面となる友人だった。 「でも、冷やし中華嫌いじゃなかったっけ?」 「『はじめました。』って書かれちゃうと、なんとなく、『じゃあ、頼んでやるか』って気分になっちゃうんだよ」 「ふふ、知ってる」  箸を手に取り食べようとしたところで、僕はふと、さっき、他の客を見て気付いたことを口にした。 「普通にカレーとか、出してんだ。オールシーズンのメニューも用意してたんだな」 「ああ、それ、冷やしカレーだから」  友人はカウンターに立てられていたメニューのページを開き、僕に見せた。「冷やしメニュー」という見出しの下には、「冷しゃぶ定食」、「冷や汁」、「冷やしうどん」、「冷やしカレー」…。 「普通のうどんとか、カレーとか、ないの?」 「ないよ。それはどっかの店でもやってるだろ。それより、ほら、食べないと麺が伸びるぞ」  友人に促され、僕はようやく冷やし中華に箸をつけた。細めの中華麺にのった具は、チャーシューときゅうりの細切り、もやし、金糸玉子、トマトの串切り。  冷やし中華のといえば、僕は家庭の手抜きランチという印象しかない。実家を出てからは、一度も自炊で作ったこともなかった。友人作の冷やし中華しょうゆ味、その肝心の味は……まあ、一般家庭向けの袋ラーメンよりは美味い、といったところだった。舌が記憶する実家の冷やし中華ではハムで代用されていたのが、ちゃんとそこらのラーメン屋並みのチャーシューであったし、醤油だれは市販のものより癖が無く、かつ、出汁が利いていた。だが、残念だったのはきゅうり、そして、トマトだった。 「やっぱ、生野菜はむずかしいか」 「旬のものはな。ここに来るお客さんも、そこは一応、わかっててくれてるみたいだから、文句を言われたことはないけど」  僕は、大柄で筋肉質、スキンヘッドで髭面の友人の姿をあらためて眺めた。はたして、客からクレームがこないのは、理解からくるものなのだろうか?  新たな客が来店し、友人は厨房の奥へと戻っていった。僕はカウンター席でひとり食べすすめ、冷やし中華を完食すると、厨房からちらちらと見える忙しそうな友人の背中に声を掛けることなく、席を立った。  レジで会計を担当したのは、僕を席に案内した従業員だった。 「二千円になります」 「……」  どうということもない、ふつうの冷やし中華。それも、きゅうりとトマトがイマイチな。それに、二千円。  僕はレジを挟んで従業員を二度見した後、はるか向こう、ガスコンロの前に立つ友人の姿を見た。それから、店内の客たちも。  あいつも、なかなかやる。そして、ここに来る客たちも、それなりに物好きだ。  一言のケチも付けずに店を出ると、外の気温は店に入る数十分前よりもずいぶんと下がっていた。過剰な暖房で温められたスーツの中に秋風が吹き込むと、カウンター席を立つ直前に飲んだ氷水が、腹に違和感を引き起こしそうとしてきた。  何か、温かいものが飲みたい。背後に佇む店は、この季節、ホットコーヒーなど出してはくれないだろう。道路を挟んだ遠くにコンビニの電光看板を見て、これぞ天の助けと、たった今、信号が青に変わった横断歩道を急いで渡った。
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