始めません。

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 ええ始めませんとも。   ■  幼馴染といえば隣の家の同い年のイケメンまたは美少女、というのはしょせんマンガの話。現実はそうではない。  わたしの家の隣には5つ下の男の子がいる。昔はよかった。わたしの後を『おねえちゃんおねえちゃん』と付いてくる様は、とてもかわいいものだった。しかし時の流れというのは残酷なもの。小学6年生になった今では立派なクソガキに成長した。返してほしい。『おっきくなったらおねーちゃんとけっこんするー!』と言っていたあの天使は、もうどこにもいないのだ。   ■ 「で、アキは気になる人とかいないの?」  放課後、ファミレスにて。高校のクラスメイトでもある中学からの友人、マリの、彼氏に対する怒涛の愚痴をぬるーく相槌を打ちながら聞くともなしに聞いていると、気が済んだらしい友人が急に話題を変えてきた。 「……んぇ? ごめんもう一回」  適当に聞き流すところだった。会話の急ハンドルはやめてほしい。 「人の話はちゃんと聞いて。誰か気になる人はいないのかって言ってんの」 「あー……じゃあ、あの俳優の」 「そんなことは聞いてない」  睨まれてしまった。圧がすごい。 「まあ、いいけど。いないとは思ってたし」  この手のことに関して、彼女はやたらと察しがいい。きっと前世は魔女かなにかだ。 「ところで。ハルくんは元気? 最近あの子の話しないね。前は鬱陶しいくらいだったのに」  鬱陶しいくらい……。確かに中学時代、おとなりの男の子、ハルがまだギリギリ可愛かった頃、マリにはたまーに話をしていたかもしれない。 「まあ……うん。最近生意気になっちゃって。わたしのこと『おまえ』か呼び捨てなんだよ。可愛くない」  思わず愚痴ってしまう。 「ふぅん? 前に会った時はまだ『アキ姉ちゃん』だった気がするな。いつだったっけ?」 「中学の時? 2年くらい前かな」 「そっか。久しぶりに会いたいな」 「そう? じゃあ今度遊びに来るといいよ」 「うん。そうさせてもらう」  そう言ってマリは、ふわりときれいに微笑んだ。   ■  ファミレスを出てマリと別れ、帰宅。  2階のわたしの部屋では、 「あ、アキ。これの続きがねぇんだけど」  ハルが勝手に居座ってマンガを読んでいた。 「勝手に入るなっていつも言ってるでしょ」 「別にいいじゃん。勝手にじゃないし。おばさんが入れてくれたし」  悪びれもしない。可愛げがない。 「……おねーちゃんは悲しい」  冗談だけど。  すると、ハルは何か言いたげな眼差しで、こちらをじっと見ている。 「なに?」 「……別に」  そっけなく答えると、またマンガに戻っていった。言いたいことがあるなら言えばいいのに。可愛げがない。まぁいいか。 「それ、マリに貸しちゃった。あんたに会いたがってたし、今度持ってきてもらおっか」 「マリさんが? ……ふーん」  そう言ったきり、何かを考えるように黙り込んだ。マンガ、読まないなら置けばいいのに。   ■ 「マリ、コンビニ寄ってから来るって」  マリが遊びに来るその日、ハルは朝からわたしの部屋に入り浸っていた。 「どこのコンビニ? おれも行こうかな」  なぜ? 「……ここから一番近いとこみたいだけど」 「わかった。アキは待ってろ」  なぜ?? 「ちょっと……」  呼び止めたが、ハルは無視して出て行った。……行き違いになるかもしれないし、わたしは待ってたほうがいいか。そういうことにしよう。  しばらくして。ハルはマリと一緒に戻ってきた。 「遅かったね。なにしてたの?」  玄関先で出迎える。  ハルは、また何か考え込んでいるようだ。なんだか少し不満げだ。  マリは、ニコニコして機嫌がいい。 「ちょっとねー」  はっきりとは答えない。なんなんだろう。  ふたりをわたしの部屋に通すと、ハルは返ってきたマンガを黙々と読み続けた。時折様子をうかがうと、マンガに目を落としているものの、上の空のようだった。 「ハルくん。じゃ、またね」  帰り際、マリは改めてハルに声をかけた。 「はい。また」  どうでもいいけど、ハルの態度がわたしとマリで違いすぎないか。それはまぁ、隣の姉ちゃんと2年ぶりに会ったその友人とでは、違うのは当たり前ではあるんだけど。それにしたって扱いが違いすぎないか。別にいいんだけど。  途中までマリを送っていった帰り、ハルが話しかけてくる。今日は1日様子がおかしかった気がする。 「アキ」 「なに?」 「マリさんが、『アキは鈍いから』って」  失礼な。別に鈍くないし。っていうか悪口かこれ? 「アキはおれが、なんで『姉ちゃん』って言わなくなったかわかるか?」 「え?」  どういうことだろう。別に鈍くないわたしでもちょっと悩む。  考え込んでしまったわたしを見て、ハルは諦めたようにため息をついた。生意気な。   ■  それ以来何度か、マリが遊びに来ることがあった。それも必ず、『ハルくんにも言っておいて』と言い、ハルはハルで、ひとりで迎えに行くのだった。  ……おかしい。さすがに不自然すぎる。 「マリ。なんか隠してない?」  ハルはさっき出て行った。マリとふたりきりになったので、気になっていたことを聞いてみると、彼女はふふふ、と含みのある笑みを浮かべ、 「うん」  いや。うんじゃなくて。 「なにを」 「それは言えない」 「そこをなんとか」 「んー……内容は言えないけど、ちょっと相談受けただけ」 「なんでマリに? わたしじゃなくて」  なんだろう。ちょっと寂しい……。 「ちょっとアキには言いづらいことだからねー。アキのことを信用してないってことではなくて。それに」  ふふふ、と再び含みのある笑みを浮かべ、 「たぶん、すぐにわかるよ」  なんだろう。それはそれで不安だ……。  マリが帰ろうとしたタイミングでハルが戻ってきたので、ふたりでマリを送っていくことにした。  マリとハルがしゃべっているのを黙って聞いてみるものの、相談の内容は察せられない。  相談。わたしにはできない相談。なんだろう。  ……などと、考え事をしながら歩いていたのがいけなかった。 「え」  目の前の下りの階段を、いきなり踏み外した。が、 「あっぶねぇ!」  間一髪、ハルがわたしの腕をつかんで引き上げてくれた。 「あ……りがと。うわー……危なかったー……」 「ぼんやりしてんなよもー……」 「大丈夫? 足挫いたりしてない?」  ふたりが心配してくれている。  ドキドキしている。ただこれは、危険な目にあったからだけではない。  わたしはハルに対して、今まで感じたことのなかった気持ちに気が付いた。  背はまだ、わたしより少しだけ低い。でも男の子だ、と思った。わたしの腕をつかんで支えたその手は、わたしが知っていたよりも力強い。  ……ちょっといいかも、とか思ってしまった。   ■ 「アキ、あの子のこと好きだね?」  後日、ファミレスにて。わたしはマリに尋問を受けていた。わたしがほんの少しだけ、本当に少しだけときめいてしまったあの瞬間に、前世は魔女に違いない友人が居合わせたことは、わたしにとって不運だったと思う。あれで察したらしい。そんなに顔に出てたかなぁとは思うものの、魔女はなんでもお見通しのようだ。 「えーっと……うーん……あの……」  肯定したくないけど否定もできない。頭の片隅の冷静な部分が、今めっちゃ目が泳いでるな、とかどうでもいいことを考えて現実逃避していると、 「で、いつから?」  好きだという前提で話が進められている。肯定してないのに。否定もしてないけど。 「いや待って。この前はちょっとその……アレだったけど。弟みたいなもんだし。まだ小6だし」 「まだ小6だけど。とりあえずそれは忘れて。それにあの子はいつまでも弟のつもりはないみたいだけど。実は、相談ってあんたのことだったの」 「う……」  思わず言葉に詰まる。 「5歳差程度なら長い目で見れば大した問題じゃないでしょ。高校生と小学生って聞くと犯罪っぽいけど」  犯罪て。一体わたしをどうしたいんだ。 「まぁあたしも小学生はないわー、と思ってるけどね。でもあの子は本気みたいだし、なんだか応援したくなるんだよねー。あんたじゃなくて」  わたしじゃなくてかい。マリはあいつの味方らしい。裏切り者め。 「それに」  一度言葉を切ってニヤリと笑う。前世は悪い魔女に違いない友人が、何かたくらむ顔をしている。 「あの子はきっといい男になる。将来が楽しみねぇ?」 「……それはそうなんだけど」  ふふふ、と怪しげにマリは笑う。 「いいわねー恋が始まっちゃうわねー!」  ……こういう嘘くさいセリフを大げさに言うのは、面白がっている時だ。そもそもさっきから口調もおかしい。 「いや始まんないし。始めないし」 「そんなこと言ってていいのかなー?」  マリはますます楽しそうだ。 「あの子はモテるよー。そのうち同級生の彼女とか連れてきちゃうよ?」  彼女……。あいつが連れてきたかわいい彼女へ、『隣のねーちゃん』と紹介されるシーンを想像する。  ……複雑な気分だ。  次に、あいつの同級生へ、『彼女』と紹介されるシーンを想像する。  ……微妙な気分だ。  ただ、まあ。どちらがいいかといえば、それは。   ■  今はまだ、この関係は、大きくは変わらない。でも、先のことはわからない。これまでだって、こんなことになるなんて思ってもみなかったのだから。  マリがふざけて言った『恋が始まっちゃうわねー!』という言葉を思い返す。少なくとも、関係は少しずつ変わり始めた。それはハルが、変えようとしたからだ。それだけではないけれど。  ……わたしの後を、『おねえちゃんおねえちゃん』と付いてきていたあの天使は、もうどこにもいないのだ。
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