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ええ始めませんとも。
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幼馴染といえば隣の家の同い年のイケメンまたは美少女、というのはしょせんマンガの話。現実はそうではない。
わたしの家の隣には5つ下の男の子がいる。昔はよかった。わたしの後を『おねえちゃんおねえちゃん』と付いてくる様は、とてもかわいいものだった。しかし時の流れというのは残酷なもの。小学6年生になった今では立派なクソガキに成長した。返してほしい。『おっきくなったらおねーちゃんとけっこんするー!』と言っていたあの天使は、もうどこにもいないのだ。
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「で、アキは気になる人とかいないの?」
放課後、ファミレスにて。高校のクラスメイトでもある中学からの友人、マリの、彼氏に対する怒涛の愚痴をぬるーく相槌を打ちながら聞くともなしに聞いていると、気が済んだらしい友人が急に話題を変えてきた。
「……んぇ? ごめんもう一回」
適当に聞き流すところだった。会話の急ハンドルはやめてほしい。
「人の話はちゃんと聞いて。誰か気になる人はいないのかって言ってんの」
「あー……じゃあ、あの俳優の」
「そんなことは聞いてない」
睨まれてしまった。圧がすごい。
「まあ、いいけど。いないとは思ってたし」
この手のことに関して、彼女はやたらと察しがいい。きっと前世は魔女かなにかだ。
「ところで。ハルくんは元気? 最近あの子の話しないね。前は鬱陶しいくらいだったのに」
鬱陶しいくらい……。確かに中学時代、おとなりの男の子、ハルがまだギリギリ可愛かった頃、マリにはたまーに話をしていたかもしれない。
「まあ……うん。最近生意気になっちゃって。わたしのこと『おまえ』か呼び捨てなんだよ。可愛くない」
思わず愚痴ってしまう。
「ふぅん? 前に会った時はまだ『アキ姉ちゃん』だった気がするな。いつだったっけ?」
「中学の時? 2年くらい前かな」
「そっか。久しぶりに会いたいな」
「そう? じゃあ今度遊びに来るといいよ」
「うん。そうさせてもらう」
そう言ってマリは、ふわりときれいに微笑んだ。
■
ファミレスを出てマリと別れ、帰宅。
2階のわたしの部屋では、
「あ、アキ。これの続きがねぇんだけど」
ハルが勝手に居座ってマンガを読んでいた。
「勝手に入るなっていつも言ってるでしょ」
「別にいいじゃん。勝手にじゃないし。おばさんが入れてくれたし」
悪びれもしない。可愛げがない。
「……おねーちゃんは悲しい」
冗談だけど。
すると、ハルは何か言いたげな眼差しで、こちらをじっと見ている。
「なに?」
「……別に」
そっけなく答えると、またマンガに戻っていった。言いたいことがあるなら言えばいいのに。可愛げがない。まぁいいか。
「それ、マリに貸しちゃった。あんたに会いたがってたし、今度持ってきてもらおっか」
「マリさんが? ……ふーん」
そう言ったきり、何かを考えるように黙り込んだ。マンガ、読まないなら置けばいいのに。
■
「マリ、コンビニ寄ってから来るって」
マリが遊びに来るその日、ハルは朝からわたしの部屋に入り浸っていた。
「どこのコンビニ? おれも行こうかな」
なぜ?
「……ここから一番近いとこみたいだけど」
「わかった。アキは待ってろ」
なぜ??
「ちょっと……」
呼び止めたが、ハルは無視して出て行った。……行き違いになるかもしれないし、わたしは待ってたほうがいいか。そういうことにしよう。
しばらくして。ハルはマリと一緒に戻ってきた。
「遅かったね。なにしてたの?」
玄関先で出迎える。
ハルは、また何か考え込んでいるようだ。なんだか少し不満げだ。
マリは、ニコニコして機嫌がいい。
「ちょっとねー」
はっきりとは答えない。なんなんだろう。
ふたりをわたしの部屋に通すと、ハルは返ってきたマンガを黙々と読み続けた。時折様子をうかがうと、マンガに目を落としているものの、上の空のようだった。
「ハルくん。じゃ、またね」
帰り際、マリは改めてハルに声をかけた。
「はい。また」
どうでもいいけど、ハルの態度がわたしとマリで違いすぎないか。それはまぁ、隣の姉ちゃんと2年ぶりに会ったその友人とでは、違うのは当たり前ではあるんだけど。それにしたって扱いが違いすぎないか。別にいいんだけど。
途中までマリを送っていった帰り、ハルが話しかけてくる。今日は1日様子がおかしかった気がする。
「アキ」
「なに?」
「マリさんが、『アキは鈍いから』って」
失礼な。別に鈍くないし。っていうか悪口かこれ?
「アキはおれが、なんで『姉ちゃん』って言わなくなったかわかるか?」
「え?」
どういうことだろう。別に鈍くないわたしでもちょっと悩む。
考え込んでしまったわたしを見て、ハルは諦めたようにため息をついた。生意気な。
■
それ以来何度か、マリが遊びに来ることがあった。それも必ず、『ハルくんにも言っておいて』と言い、ハルはハルで、ひとりで迎えに行くのだった。
……おかしい。さすがに不自然すぎる。
「マリ。なんか隠してない?」
ハルはさっき出て行った。マリとふたりきりになったので、気になっていたことを聞いてみると、彼女はふふふ、と含みのある笑みを浮かべ、
「うん」
いや。うんじゃなくて。
「なにを」
「それは言えない」
「そこをなんとか」
「んー……内容は言えないけど、ちょっと相談受けただけ」
「なんでマリに? わたしじゃなくて」
なんだろう。ちょっと寂しい……。
「ちょっとアキには言いづらいことだからねー。アキのことを信用してないってことではなくて。それに」
ふふふ、と再び含みのある笑みを浮かべ、
「たぶん、すぐにわかるよ」
なんだろう。それはそれで不安だ……。
マリが帰ろうとしたタイミングでハルが戻ってきたので、ふたりでマリを送っていくことにした。
マリとハルがしゃべっているのを黙って聞いてみるものの、相談の内容は察せられない。
相談。わたしにはできない相談。なんだろう。
……などと、考え事をしながら歩いていたのがいけなかった。
「え」
目の前の下りの階段を、いきなり踏み外した。が、
「あっぶねぇ!」
間一髪、ハルがわたしの腕をつかんで引き上げてくれた。
「あ……りがと。うわー……危なかったー……」
「ぼんやりしてんなよもー……」
「大丈夫? 足挫いたりしてない?」
ふたりが心配してくれている。
ドキドキしている。ただこれは、危険な目にあったからだけではない。
わたしはハルに対して、今まで感じたことのなかった気持ちに気が付いた。
背はまだ、わたしより少しだけ低い。でも男の子だ、と思った。わたしの腕をつかんで支えたその手は、わたしが知っていたよりも力強い。
……ちょっといいかも、とか思ってしまった。
■
「アキ、あの子のこと好きだね?」
後日、ファミレスにて。わたしはマリに尋問を受けていた。わたしがほんの少しだけ、本当に少しだけときめいてしまったあの瞬間に、前世は魔女に違いない友人が居合わせたことは、わたしにとって不運だったと思う。あれで察したらしい。そんなに顔に出てたかなぁとは思うものの、魔女はなんでもお見通しのようだ。
「えーっと……うーん……あの……」
肯定したくないけど否定もできない。頭の片隅の冷静な部分が、今めっちゃ目が泳いでるな、とかどうでもいいことを考えて現実逃避していると、
「で、いつから?」
好きだという前提で話が進められている。肯定してないのに。否定もしてないけど。
「いや待って。この前はちょっとその……アレだったけど。弟みたいなもんだし。まだ小6だし」
「まだ小6だけど。とりあえずそれは忘れて。それにあの子はいつまでも弟のつもりはないみたいだけど。実は、相談ってあんたのことだったの」
「う……」
思わず言葉に詰まる。
「5歳差程度なら長い目で見れば大した問題じゃないでしょ。高校生と小学生って聞くと犯罪っぽいけど」
犯罪て。一体わたしをどうしたいんだ。
「まぁあたしも小学生はないわー、と思ってるけどね。でもあの子は本気みたいだし、なんだか応援したくなるんだよねー。あんたじゃなくて」
わたしじゃなくてかい。マリはあいつの味方らしい。裏切り者め。
「それに」
一度言葉を切ってニヤリと笑う。前世は悪い魔女に違いない友人が、何かたくらむ顔をしている。
「あの子はきっといい男になる。将来が楽しみねぇ?」
「……それはそうなんだけど」
ふふふ、と怪しげにマリは笑う。
「いいわねー恋が始まっちゃうわねー!」
……こういう嘘くさいセリフを大げさに言うのは、面白がっている時だ。そもそもさっきから口調もおかしい。
「いや始まんないし。始めないし」
「そんなこと言ってていいのかなー?」
マリはますます楽しそうだ。
「あの子はモテるよー。そのうち同級生の彼女とか連れてきちゃうよ?」
彼女……。あいつが連れてきたかわいい彼女へ、『隣のねーちゃん』と紹介されるシーンを想像する。
……複雑な気分だ。
次に、あいつの同級生へ、『彼女』と紹介されるシーンを想像する。
……微妙な気分だ。
ただ、まあ。どちらがいいかといえば、それは。
■
今はまだ、この関係は、大きくは変わらない。でも、先のことはわからない。これまでだって、こんなことになるなんて思ってもみなかったのだから。
マリがふざけて言った『恋が始まっちゃうわねー!』という言葉を思い返す。少なくとも、関係は少しずつ変わり始めた。それはハルが、変えようとしたからだ。それだけではないけれど。
……わたしの後を、『おねえちゃんおねえちゃん』と付いてきていたあの天使は、もうどこにもいないのだ。
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