放課後の時間

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「部活を立ち上げましょう」  水野まゆりが言った。  彼女は、木暮(こぐれ)ひとしの隣の席に座る女子生徒だ。放課後になると、木暮と水野は教室に残って少しだけ話をする。ついさっきまで別の話をしていたのだが、突拍子なく話題を変えてきた。まぁ、水野が何の前触れもなく変なことを言うのは、今に始まったことではない。 「どうしたんだ、急に。お前、不真面目系優等生だろ。続かねぇぞ、絶対」  木暮はため息混じりにそう返した。水野は成績優秀で、人当たりも良いが、それは教員たちの前だけの話である。担任が不在の時は放課後の掃除もサボるし、授業中に真面目な顔で携帯端末を弄ってることもある。  普段は素直というか正直者なのだが、面倒事を回避するための嘘は"巧み"の一言だ。 「優等生系ヤンキーの木暮くん」 「そんなジャンルは存在しねぇ」  高校二年生になって三ヶ月、最近では「ヤンキー」だの「不良」だのとからかわれることが多くなった。高校一年生の時や進級当初は本気で怖がられていたので、そんなことも言われなかった。  自分としても、今の状況の方が居心地が良い。からかわれるようになったのは、水野が何かと突っかかってきたお陰なのだが―――何となく、感謝はしたくない。 「あなたも参加するのよ」水野はそう言うと、一枚の紙を机に広げた。「これ、部活の申請書」 「まじで言ってんのか」 「ええ、まじよ」 「理由が知りたい」 「私たちは放課後、毎日話している。むしろ放課後しか話してない。そうね?」 「そうだな」 「放課後の教室にいると、空いている教室を探す吹奏楽部の生徒や、雨の日は廊下で筋トレをする運動部に、『あ、こいつらカップルか。イチャついてんな』みたいな目で見られるのよ。私たちが部活動の一環で一緒にいるのなら、きっとそうは思われないわ」 「そういうの気にするタイプじゃねぇだろ、お前」 「つい昨日辺りから、気にするようになったの」 「あ、そう」  嘘に決まっているが、木暮は言及しなかった。水野が誤魔化してくる時点で、言う気がないのは明白だ。聞いても意味がない。  にしても、まさか申請書まで用意してるとは思わなかった。部活をしてた方が内申点が良いとか、そんなことを誰かに言われたのだろうか。 「部長はあなたね」 「ざっけんな。優等生の方が適任だろ。お前に言わせりゃ、俺はヤンキーみたいだしな」 「チッ」 「隠す気ない舌打ちやめろ」 「立ち上げるのに、部員は四人必要なの。私とあなた、あと二人ね」  それが一番の難題な気がする。  部活をやらないか、と声を掛けられるほど親しい友人は、少なくとも木暮にはいない。 「俺は無理だぞ」 「私もきついわね。そこで、良い案があるの」  嫌な予感がする。  良い案なのならば、普通はスムーズに提案してくるはずだ。こういう"溜め"を作る時点で、きっとろくな案ではない。水野と出会って三ヶ月しか経っていないが、そのくらいの予想は付けられる。 「あなたが勧誘するの。大丈夫、方法も考えてあるわ」 「一応、最後まで聞こう」 「私たちは二年生、つまり後輩がいる」 「そうだな」 「脅しましょう。先輩という立場をふんだんに使うのよ」 「酷いな。お前の将来が不安だ」  別の案を考えよう、と木暮は付言した。一つだけ、ちゃんとした良い案がある。それは、木暮の妹に頼ることである。妹は同じ高校の一年生で、木暮や水野と違い明るい性格だ。友人も多い。部活に籍を置いてくれるような知り合いがいるかもしれない。妹本人が籍を置いてくれると楽なのだが、妹はテニス部に所属しており、校則で掛け持ちは禁止されているのだ。  そうと決まれば、と木暮は携帯端末を取り出した。今は家にいるはずだ。今週から来週まで部活が休み、とか言っていた気がする。テスト期間でもないので、緩い部活なのだろう。昨日も休みだったらしく、『家の鍵忘れた。なるべく早く帰ってきて』という残念な連絡を受けた。 「どこかへ連絡するの?」  携帯端末を弄っていると、水野がそう質問してきた。 「部員、集めんだろ。心当たりが―――」 「女の人?」 「はぁ? 女っていうか―――」 「昨日の、家に連れ込んだ女の人?」 「連れ込んだっつーか―――」 「昨日はびっくりしたわ。あなたが『悪い。今日はすぐ帰る』とか言っていなくなるから」 「いや、だから―――」 「理由が気になって、あなたを尾行したのよ」  スッと、頭が真っ白になった。  水野の言ったことを、数秒遅れで理解する。しかしそれを理解した上で、言葉が見付からなかった。水野は普通じゃないと常々思っているが、まさかそこまで大胆な人間だとは思わなかった。 「そしたらあなたが、家の前で待っていた女の人を連れ込んだものだから。警察に通報しようか迷ったわ」 「とりあえず、通報をとどまってくれて良かった。いや、まじで」 「とどまったとは言ってないけど」 「は?」 「冗談よ。通報の部分はね。尾行は本当」  こうも堂々と言われると、咎める気にもなれない。  と言うより、そもそも自分はあまり怒ってないのだ。理由を告げずに帰った木暮にも非はある。まぁそれを踏まえても、尾行という行為を肯定し難いのだけど。 「あの女が着てたの、うちの高校の制服よね。一年生?」 「そうだな。一年、一組だったか」 「()()()()、ね。俺は興味ないけど彼女がそんなことを言っていたのは何となく覚えます系のちょっと気怠い彼氏を演じてるつもりかしら?」 「早口言葉か、それ」 「早口言葉? ふふっ、そうね。あなたには言えないでしょう。滑舌の問題ではなく、ね」 「滑舌の問題で言えねぇ気がするわ」  あと、そもそもあいつは妹だ――――木暮は、何てことない口調を意識してそう言った。変人の水野と言えど、勘違いでここまで捲くし立ててしまったのは赤面ものだろう。木暮もそのくらいの気は使える。  水野は斜め上を向き、自分の唇に指先を当てた。彼女の、考えるときの癖である。  何とも言えない気まずさが場を包み、沈黙が落ちる。 「………ふむ」  水野のそんな呟きが、沈黙を破った。 「理解したわ。色々とごめんなさい」 「気にすんな。で、部員はどうするんだ。妹なら、いくらか知り合いに当たってくれるかもしれねぇ」 「もういいわ。部活の話は忘れて」水野はそう言って、部活の申請書をかばんにしまった。「もう部活は要らないの」 「なんかさっき、周りの目がどうとか言ってたろ」 「ちょうど今、気にならなくなったわ」 「あ、そう」 「今日はもう帰りましょう」 「おぉ」  二人で教室を出て昇降口に向かい、帰路に付く。  木暮も水野も、歩きで登校している。家の方角も途中まで同じで、木暮の方が少し遠い場所だ。ただ自転車を使うほどの距離ではないので、登下校は楽な方と言えるだろう。これだけ家が近いのに高校二年生まで面識がなかったのは、水野が私立の小学校と中学校に通っていたからだ。  理由は知らないが、高校では公立に来た。少なくとも、経済的な理由ではない。一度だけ水野の家を見たことがあるが、フィクションに出てきそうなほどの豪邸だった。 「で、部活始めようとした本当の理由は何だよ」  木暮は、横を歩く水野に聞いた。  日は高くないが、夕刻時とも言えない。半年後なら、この時間でも日は沈んでいるだろうか。 「あなたを拘束しようと思って」 「拘束?」 「意外と気に入ってるのよ。放課後、あなたと話す時間。だから、取られたくなかったの」  水野は正直者だ。きっとこの言葉にも、嘘はない。  でもその正直さが、木暮は少し苦手だった。彼女といると、自分も気持ちを口に出してしまいそうになるから。良いことなのかもしれないが、彼女に影響されすぎてる気がして納得がいかない。だから「自分も気に入ってる」とは、口には出さなかった。 「お前って、俺の妹を彼女と勘違いしてたんだろ?」 「ええ」 「その上で、俺を部活で拘束しようとしてたのか?」 「ええ」 「強引なやつだな」 「ええ、そうよ。こういう女は嫌い?」 「………いや、良いと思うぜ。そのままで」木暮は一呼吸挟んでから、次の言葉を発する。「俺も、欲しいものは強引に取るタイプだ。ルールは守るがな」 「へぇ。今、何か欲しいものがあるの」 「あるな」 「私もよ」 「じゃあ、お互い頑張るか」 「意外と、頑張らなくても手に入るかも」  試してみる?―――と言って、水野は足を止めた。  木暮も立ち止まった。ちょうど横断歩道の信号機が点滅を始め、どちらからともなく向かい合う。彼女とは進級してから毎日のように話し、一緒に帰っている。ただ教室ではお互いに本を読んだり携帯端末を弄りながら話しているし、帰りはずっと前を向いているため―――こうして、向かい合うのは珍しい。  十字路の信号が変わり、進む車と人の縦横が入れ変わった。  ここの信号を渡れば、木暮はまっすぐ、水野は左に進まないといけない。信号が変わるまでの時間は、恐らく一分前後。 「きっと、手を伸ばせば届くわ。あなたの欲しいもの」 「お前の、欲しいものもな」 「そうね」 「じゃあ、試してみるか」  手を伸ばす。  お互いの指先が触れ合って、一瞬だけ離れた。  また手を伸ばし、指先を絡める。 「手に入ったかしら?」 「できれば、もっと欲しいな」木暮は、いつも通りの口調で言った。「とりあえず、どっか行くか」 「ええ」  お互いに表情を変えずに会話を続ける。水野に照れてる様子はないし、木暮自身も変に緊張することはなかった。  信号機は、まだ赤い。  ただ唯一、繋がれた手だけはいつもと違った。熱を帯びていた。 「どっか行きてぇところ、あるか?」 「そうね、東とか」 「………その冗談言ったこと後悔するくらい、東に進み続けるからな」 「強引ね」 「嫌いか?」 「いいえ――――」  ――――好きよ。  彼女の正直さが、木暮は少し苦手だった。  彼女といると、自分も気持ちを口に出してしまいそうになるから。  良いことなのかもしれないが、彼女に影響されすぎてる気がして納得がいかない。  けれど、今は、それでいい気がした。     ・ 「部活を立ち上げましょう」  翌日の放課後の、水野の第一声はそれだった。  デジャブどころか、昨日も同じことがあったと鮮明に覚えている。 「昨日の記憶が夢か、タイムリープか。これが夢か」木暮は、気怠く言った。「できれば、これが夢であってくれ」 「全部外れよ」  水野はそう言って、木暮の横の席―――ではなく、正面の席に移動した。椅子の向きを変えて、向かい合うように腰を下ろす。  そして昨日と同じように、バッグから部活の申請書を取り出した。 「私、とんでもないことに気付いたの」 「とりあえず、聞こう」 「今は七月、もうすぐ夏休みね。そして、夏休みに放課後はないのよ。つまり会えないわ」  『放課後じゃないと会えない』ことが前提で話が進んでいるが、木暮は反論しなかった。  そのロールプレイングを続けるのも、別段悪くない。 「夏休みに放課後はない、な。名言だ」 「ありがとう。そんなこと言ってくれるの、あなただけよ」 「馬鹿にされてる気がするな」 「馬鹿にしてるの」 「あ、そう」 「どうでもいいことは置いといて、部員集め、はじめるわよ。二人で、ね」  二人で。水野のその発言は、昨日とは明確に違った。  確かに、昨日の記憶が夢でも、これがタイムリープでもないらしい。  ただ今が、夢のようであるだけだ。  ~fin~
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