葬られた恋

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暦の上は秋のはずなのに、頬を撫でる風はうんざりするほど生ぬるい。 そんななか見慣れた親友の背中を見つけた俺は、正門までののぼり坂を一気に駆けあがった。 「おはよう、奏多」 「……ああ、うん」 かすれた声が「おはよう、淳也」と続ける。 ちなみに、反応が鈍いのはいつものこと。 低血圧気味なせいだって知ってるから、俺は特に気にしない。 「ねえ、世界史の宿題やってきた? 化学は? 古文の訳は……」 「淳也うるさい。一度に聞かれても答えられない」 「ごめんごめん」 朝から奏多に会えたの、嬉しすぎて聞きたいことがあふれてきちゃって。 そんな言い訳を、いつもの彼なら冷ややかな視線で一蹴するはずだ。 でも、今日は違った。 奏多は、端正な顔をこわばらせて足を止めてしまった。 「どうしたの?」 「……」 「奏多?」 「……制服検査」 ぼつり、と独り言のような返答。 視線を追いかけると、正門前に辿り着いた。 「ああ、たしかに」 生徒指導の先生と生徒会役員が並んでいる。 でも、それだけなら問題はない。 俺も奏多も、校則違反はしていないはずだ。 (なのに奏多が動かないのは……) 生徒会役員のひとりが、こちらを向いた。 「よう、カナ」 奥二重の目が、親しげに細められた。 この学校でたぶん一番有名なひと──生徒会長の比原さんだ。 「なんだ、比原。知り合いか?」 隣にいた教師の問いかけに、会長は含むような笑みを浮かべた。 「弟っすよ。弟の奏多」 な、と同意を求められているのに、奏多はふいと視線を逸らす。 先ほど以上に強ばった横顔を、俺はこっそり眺めていた。 ああ、今日も奏多はきれいだな──そんなことを思いながら。 奏多の苗字が「比原」に変わったのは、学校が夏休みに入ってすぐのことだ。 おかげで二学期がはじまってすぐのころ、彼の周囲はちょっとした騒ぎになった。 ──「比原さんって家でどんな感じなの?」 ──「生徒会長って、書記の中尾さんと付き合ってるってほんと?」 ──「いいなぁ、比原先輩の弟なんて」 次々とぶつけられる好奇心や羨望に、けれども奏多は塩対応を徹底した。 ──「知らない」 ──「興味ない」 ──「なりたくて弟になったわけじゃない」 これらの言葉をひたすら繰り返し、放課後になるとすぐに図書室へ逃げ込む日々。 ──ううん、「逃げる」っていうのは不適格だ。 放課後、奏多が図書室で過ごすのはいつもの習慣だったから。 とにかくそんな調子で近づいてくる女子たちを連日あしらったせいか、翌週には誰も奏多の前で比原さんの話題を口にしなくなった。もしかしたらNGワードだとすら思われているのかもしれなかった。 ただ、それはあくまで奏多側の対応であって、比原さんはごくふつうに奏多に接していた。 校内で見かけたら「よう」と声をかけてくるし、周囲に「誰?」と問われれば「できたてホヤホヤの弟」なんて笑って説明していた。 疎ましげに口を結んでいるのは、奏多だけだ。 まあ、そんな不機嫌そうな顔もきれいなんだから、奏多はすごいなって思うけど。 そう──奏多はきれいだ。 色白な肌も、色素が薄めな瞳も、ほんのりと赤い唇もすべてがきれい。 何を隠そう、俺の初恋の相手は奏多だ。 小学生のころに一目惚れをして、それから6年ほどずっと好きだった。 ちなみに、今の俺には「菜々子さん」というそれはそれは素敵な恋人がいて、その人にべた惚れ状態だから、奏多のことは「親友」としか思っていないけど。 「あのさ。もう少し愛想よくしてみるの、どうかな?」 下駄箱から上履きを取り出しながら、俺は親友としてそんな助言をしてみた。 「比原さんはふつうに奏多に話しかけてくれているわけだから、なんていうか、奏多ももうちょっと……さ」 「もうちょっと、何」 「何って、だから……」 言葉を濁した俺を、奏多は冷ややかな眼差しで突き刺した。 「これ、何度も言っている気がするけど」 「うん……」 「僕は、あの人が好きじゃない。好きじゃない人と仲良くする理由なんてない」 たとえ家族だったとしても。 言外から伝わってきたその言葉に、俺は「そうだね」とうなずくしかなかった。 「ごめん。よけいなこと言った」 「わかればいい」 上履きのかかとをなおそうとした左肘が、とすんと俺の右腕に当たる。 その熱さは、怜悧な横顔とはずいぶん違って── 「なんか熱くて、俺、なんとも言えない気持ちになっちゃってさぁ」 昼休み── まだまだ日差しが強い屋上のベンチで、俺は大好きな人の膝を枕にしていた。 「なんだろうね、奏多のあの危うさっていうの?」 「……」 「冷たいけど熱くて、そういうのがときどき洩れだしたりしていて」 「……」 「そういうのに気づくたびに俺、なんかもぞもぞしちゃって」 「……」 「ねえ、菜々子さん聞いてる? 俺の奏多への想い、聞いてくれてる?」 拗ねた声で訊ねると、彼女はようやく文庫本を持つ手を下ろしてくれた。 「もどかしい」 「え?」 「『もどかしい』っていうんだと思う。淳也のその気持ち」 「ああ──そうかも」 もどかしい。なるほど。 その言葉、なんかすごくしっくりくる。 「奏多はさ、昔からすごく誤解されやすくてさ」 「……」 「ああ見えてけっこう情が篤いのに、顔がきれいでとっつきにくいから『なんか冷たい』ってしょっちゅう言われていてさ」 でも、本人は気にしない──ううん、気にしないそぶりを見せるから、よけいに相手との溝ができてしまう。 「それが悔しくて、俺だけは『ずっと奏多の味方でいよう』って心に誓っていて、だからずっと俺のなかで奏多が一番だったはずなのに……」 1年前、俺は目の前にいるこの人に出会ってしまった。 容姿は十人並み──らしいけど、俺にとってはドストライク、つまりまたもやほとんど一目惚れで、6年間の奏多への片思いが見事に吹っ飛んでしまった。 で、必死に押して押して、これでもかと押しまくった結果、菜々子さんが折れる形で、こうしてお付き合いできるようになったってわけだ。 ちなみに、彼女は俺の1コ上。 比原さんと同じクラスだ。 「ねえ、菜々子さん。あの人ってどんな人?」 「あの人?」 「比原さん。菜々子さん、同じクラスだよね」 菜々子さんの眉間に、わずかにしわが寄る。 とはいえ、奏多と違って不機嫌なわけじゃない。何かを思い出そうとするとき、眉間に力が入るのは、たぶん彼女のクセなのだ。 しばらく待っていると、菜々子さんの眉間のしわが解けた。 「うさんくさい人」 「そうなの?」 「たぶん。よくわかんない」 食わせ者とか、そういう感じ。 菜々子さんの言葉を、俺は口のなかで反芻した。 ──食わせ者。 「ああ、うん」 なるほどね。 わかるよ、あの人ってそんな感じ。 というのも、実は一度だけ比原さんと話をしたことがある。 あれは、たしか二学期がはじまって3日目くらいのこと。 渡り廊下のところで、いきなり呼び止められたのだ。 『君だよね、カナと仲良しの淳也くんって』 すぐには返答できなかった。 俺たちは面識がなかったし、なにより「カナ」と「奏多」がすぐには結びつかなかったのだ。 たぶん、たっぷり10秒は間があいたと思う。 『そうですけど……それが何か?』 『んーうらやましいなぁと思って。カナと仲良しで』 俺、カナに嫌われてるからさぁ。 そのわりに、彼の態度から卑屈さのようなものはまるで感じられない。 むしろ、ジリと焦げるような熱があった。 少なくとも「弟の親友」に向けるべきじゃない、ちょっと面倒くさそうな熱さが。 『いつか教えてね。カナと仲良くなる方法』 じゃあ、バイバイ。 気取った仕草で手をあげて、奏多のお兄さんは勝手に去っていった。 たったそれだけの、3分にも満たない短い出来事だ。 「たしかに食わせ者だよね、あの人」 人当たりが良さそうで、心の奥底は絶対に見せない。 むしろ、わかりやすいのは奏多のほうだ。 クールなようでいて、すぐに感情を揺さぶられてしまうから。 「奏多のそういうところが好き」 「そう」 「でも、菜々子さんのことはもっと好き」 心からあふれた「本当」を、菜々子さんはいつものようにふーんと聞き流す。 でも、いい。それで十分だ。 だって、好きな人に「好き」と言えるのは、とても幸せなことなんだから。 ところで、うちの高校では毎年9月のおわりに体育祭が行われる。 俺は昔から走るのだけは速くて、そのせいでいつもリレーの選手に選ばれる。 つまり、ここ最近は半ば強制的に放課後の練習に参加させられていた。 それは、はなはだ不本意なことだった。 だって、俺にとって放課後とは菜々子さんや奏多と過ごすための時間であって、グラウンドで汗だくになるためのものじゃない。 けれども、悲しいかな俺は小心者で、奏多とは違い常に周囲の目を気にしながら生きているので、不平不満を押し殺してかなりまじめに練習に顔を出していた。 この日は5時に練習が終わり、俺は猛ダッシュで図書室へと向かった。 今日は菜々子さんと予定が合わなくて、奏多と帰る約束をしていたのだ。 ドアを開け、そっとなかを覗き込む。 奏多はいつもと同じ席に座っていた。 窓際の、西日がまぶしい一画だ。 「お待たせ、奏多」 そっと声をかけると、奏多は気怠そうにこちらを向いた。 「もう終わったの?」 「うん、超疲れたぁ」 「大変だね、君も。ちょっとばかり足が速いせいで」 不機嫌そうなのは、たぶんオレンジ色の光がまぶしいから。 だったら他の席に移ればいいのに、奏多は絶対に移動しない。 「待ってて。この本、戻してくる」 「え、借りるんじゃないの?」 「借りない。もう読み終わってる」 そのわりに、中途半端なところでページが開いていた気がするけど。 喉元まで出かかった言葉を、俺はぎりぎりのところで飲み込んだ。 代わりに、窓の外に目を向けた。 (あそこだ──生徒会室) 俺のいるところからはロッカーしか見えないけれど、奏多の席からはもっと違うものが見えているはずだ。 たとえば、できたてホヤホヤの「お兄さん」の姿とか。 (なあ、奏多──知ってるよ、俺) 本当は見たんだ。 去年の今頃。 (お前が、比原さんとキスしてるの) それは、もう偶然としか言いようがない。 そのころ俺は菜々子さんと付き合えることになって浮かれていて、そのぶん奏多とはちょっと距離ができていて。 だから、親友の(あるいは6年間好きだった相手の)まとう雰囲気がこれまでと比べてまろやかになっていることを「ふーん」程度で受け流していた。 ふわとほころぶような微笑みとか、ふとした拍子に見せる眼差しのやわらかさとか、そういうの、菜々子さんと出会う前なら間違いなく気づいていたはずなのに。 よって、そのことに最初に気づいたのは、俺ではなくクラスの女子たちで「原野くん、最近なんかいいよね」「わかる。優しい感じになったよね」みたいな噂話が流れてきたことによって、ようやく「そういえば、奏多の雰囲気がちょっと違うかも」って気づいて。 その矢先──ふたりがキスしているのを、偶然見かけてしまったというわけだ。 9月のおわり、体育祭のあと。 誰もいない図書室で、ふたりはそっと唇を合わせていた。 (ああ……) それが、最初に脳裏に浮かんだ言葉。 ああ、そうなんだ。 ああ、気づかなかった。 ああ、付き合ってるんだ。 ああ、男も平気なんだ。 ああ── (大変な道を、選ぶんだ) 俺が彼を好きだった6年間は、はっきりいってかなりキツイ日々だった。 最初の、一目惚れしたときの高揚感が徐々に薄れたあと、まだ幼かった俺を待っていたのは「間違っているのではないか」という不安と恐れだった。 だって、友達と「好きな子いる?」って話題があがるとき、みんなが名前を挙げるのはすべて女の子なのだ。 奏多は「いない」の一点張りだったけど、本当は小柄な美化係の女の子のことをいつも気にしていることを、俺はちゃんと知っていた。 だから、ずっと黙っていた。 親友のふりをして、親友としての好意だけを表に出すようにしていた。 それ以上はダメだ。 気づかれたら終わりだ。 そんな言葉を何度も唱えて、6年間、俺は俺の想いに土をかけつづけた。 菜々子さんに出会うまで、ただただつらい日々だった。 それなのに── (奏多は、葬らないんだ) 唇が離れたあと、彼はくすぐったそうに笑っていた。 俺の、見たことのない顔だった。 たとえるなら、つついただけでほろほろと崩れる甘い砂糖菓子のような── そのことが少しだけ悔しくて、でもそれ以上の熱を帯びなかったのは、俺にはすでに同じようにキスできる相手がいたからだ。 (よかったね、奏多) そんなふうに笑える人に出会えて。 楽しいよね。 嬉しいよね、好きなだけ「好き」って言えるのって。 いつか紹介してくれるかな。 まあ、気長に待っていようかな。 どんなふうに「おめでとう」って言おうか。 なのに、まさか、その10ヶ月後ふたりが義理の兄弟になるとはね。 「お待たせ。帰ろう」 先に歩き出した奏多のあとを追うように、俺も歩みを速くする。 今の奏多から、1年前のようなまろやかさは感じられない。 清潔な背中がまとっているのは、触れただけで痛そうな氷の冷たさだ。 (実際のところ、どうなっているんだろう) 比原さんへのあの態度が、周囲の目をあざむくための芝居だという可能性もゼロではない。 でも、たぶん違う。 奏多は、そんな器用なことをできる人じゃない。 (別れたんだよな、たぶん) 時期は、おそらく半年くらい前。 なんでそう思うのかって? ちょうど春休みを境に、奏多の雰囲気ががらりと変わったからだ。 もともとクールな性格ではあったけれど、加えて「無愛想で頑な」になった。 それでいて、いつも何かに苛立っているような、ひどい荒れ方をしていた。 もちろん、何度か「相談にのるよ」と水を向けてみた。 でも、奏多はまったく口を割らなかった。 まあ、そうだろう。 恋愛のお悩みなんて彼っぽくないし、なにより相手は同性だ。 (俺も、ずっと言えなかった) 言えずに、最後は葬ってしまった。 (あの恋を掘り起こすことは、もうない) では、奏多は? 放課後の図書室。 西日がまぶしい窓際の席。 不機嫌そうにあそこに座り、読みもしない文庫本を開きながら、彼は何を思っているのだろう? 体育祭前日、いわゆる「総練習」の日。 奏多の不機嫌度は、朝から100%を軽く振り切れていた。 「もしかして具合悪い?」 「……べつに」 ああ、これは嘘だ。 ただの強がりだ。 「具合悪いなら、保健室に行っておいでよ」 9月にもかかわらず、今日の気温は30度を超えている。 「なんなら俺が付き合うよ。ね、一緒に保健室にいこう?」 「うるさい。しつこい。前向きなよ」 ちなみに、今は「開会式」の真っ最中。 とはいえ総練習なので、校長先生の言葉などは省略だ。 『つづきまして生徒会長挨拶……』 アナウンスが流れたとたん、なぜか拍手が起きた。 主に3年生の列からだ。 『あーどうも生徒会長の比原っす。本日はお日柄もよく……』 まさかのフリートークがはじまった。 一部の先生たちが渋い顔をするなか、1・2年の間からも控えめな笑い声が広がりはじめた。 皆の目が陽気な生徒会長に注がれるなか、俺はずっとその弟を見ていた。 いい加減あきらめればいいのに、奏多はまだ青白い顔でこの場に立ち続けようとしていた。 こういった頑なさも普段は彼らしくて好きだけど、さすがにこの状況下ではいただけない。 「奏多、無理したらダメだよ」 「……」 「奏多、ね? 一緒に保健室に……」 その身体が、ついにぐらりと傾いた。 まわりの連中が驚いたように身を引き、隣の列にいた女子数名が悲鳴をあげた。 「奏多!」 俺にもたれかかった奏多の胸は、苦しげに何度も上下していた。 「マジかよ」 「歩けるか?」 「保健委員! 誰か、保健室に……」 「いいよ、俺が連れていく──」 そう宣言した矢先、左肩の重みがすっと消えた。 驚いて顔をあげると、ここにいるはずのない人物が奏多の身体を抱えていた。 「え、会長?」 「いつのまに?」 そうだよ、なにやってるんだよ、この人。 さっきまで台上でくだらないトークを繰り広げていたくせに。 「カナ……大丈夫か、カナ?」 比原さんの問いかけに、奏多はゆるく首を振った。 「運ぶから捕まってろ。頼むから暴れるなよ」 せーの、で生徒会長は、奏多を抱えあげた。 横抱き──いわゆるお姫さま抱っこ。 すごいな。いくら細身とはいえ180センチ超えの男子にこれをやるなんて。 周囲から起きた感嘆の拍手に、比原さんは軽やかな笑顔を見せた。 「悪いけど、生徒会長の挨拶は以上ってことで!」 その目に、ある種の独占欲が滲んでいたことは──たぶん俺しか気づいていない。 午前中の総練習が終わるなり、俺はすぐさま保健室に駆けつけた。 先生はおらず、奏多はまだベッドに横たわっていた。 そして、その傍らには──比原さんの姿があった。 「どうも」 「……どうも」 「ごめんね、心配してきてくれたんだよね? カナ、ただの貧血だって」 だから、帰っていいよ──そんな言葉が聞こえた気がしたけど、たぶん空耳だから、俺は近くの椅子に腰を下ろした。 「会長こそいいんですか。総練習に出なくて」 「俺のつとめは、開会式の挨拶だけだからなぁ」 「嘘でしょ。午後のリレーにも選ばれてるはずだ」 「そうだけど大事だからなぁ、リレーよりもカナのほうが」 比原さんは、口の端を歪めた。 1年前、この唇が奏多にキスしたんだと、今更のように思い出した。 「あのさ。君はどこまで知ってるの?」 「何をですか?」 「俺とカナのこと。──親友なんだよね?」 そうですね、とだけ答えた。 たぶん、それ以上は口にしなくても伝わるような気がしていた。 「あのさ」 比原さんのごつそうな手が、奏多の左手を包みこんだ。 薄い布団越し──あまり力を入れないような感じで。 「俺はさぁ、こう見えて本気だったのね。カナのこと。ただのバイト仲間だったときからさ」 クールで不器用な彼が、ちょっとずつ心を開いてくれるのが嬉しかった。 お互い、片親という家庭環境も、距離を縮める要因になった。 「性別とかわりとどうでもよくて、好きなんだからそれでいいじゃんって」 ところが、比原の父親と奏多の母親が再婚することになった。 きっかけは、互いの息子たちの様子を見に、バイト先のカフェに顔を出したこと。 そこで出会ったふたりは、恋に落ち、めでたくも再婚するはこびとなった。 「すごいよな。まさか、俺とカナがふたりを結びつけたなんてさ」 「もしかして春休みのあたりですか?」 「そうだね、春だったね」 比原さんは笑った。 ひどく力の抜けた感じの笑い方だった。 「そしたら、カナが言うんだよ。『ふつうに戻りたい』って」 両親に知られたくないって。 きっと理解してもらえないって。 「でさ、まあ、お付き合いを解消したわけですよ。あいつの希望どおりに」 ふつう、はじめました──なんて。 おどけたように肩をすくめたあと、比原さんはぼそりと吐き出した。 「そんなにいいのかね、『ふつう』って」 俺より大事なんですかね。 やるせないその独り言に、俺はようやく顔をあげた。 「俺の初恋、奏多なんです」 「……へえ」 「小学生のころ好きになって、でもこんなのおかしい、絶対に伝えちゃいけないって思って、何度も何度も土をかけて──」 そうしたら、初恋を超える「恋」に出会った。 奏多より「好きだ」と思える人。 「その人、女子で──俺、思ったんです。『よかった、俺ふつうだった』って」 みんなと同じ「ふつうの恋ができるんだ」って。 あの瞬間、俺の初恋は完全に葬られたのだ。 どうしよもない安堵とともに。 「つまり、俺に『新しい恋』をしろって?」 「ひとつの解決手段だと思いますよ」 「そういうの……いらないなぁ、俺は」 奥二重が、鈍くまばたきする。 その視線の先にいる奏多は、横たわっているだけなのにやっぱりきれいだ。 (俺が、初めて好きになった人) さようなら。 葬り去った、俺の初恋。
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