星の海、星の森

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2.  彼が移動を完了したその地点には深い森林が展開していた。樹齢数百年以上の樹木が密集し、遠方への視界を遮っている。その地点に着地した時点で彼の感覚センサーが捉えたのは音波だった。周波数にすると69・998・04 付近。知性体としての彼の感性は、その音波を「心地よい」と認識した。それは音楽と呼べるものだった。その音波は、理由は不明ながらその原始林の奥地の地面に設置された「ピアノ」と現地呼称されるローカル楽器から発せられるものだった。  そしてそれを弾いている者。それは外見上、テラ惑星民の女性フォルムに近いものがあった。髪および瞳の色はこの惑星の色彩コードで言うところのアクアブルーとトワイライトパープルの中間色。惑星の夜明けの空のグラデーションの中から、もっとも繊細な部分を抽出したそのブルー系のカラーは、攻撃知性体の彼の感性から見ても「美しい」と認識できた。  長いブルーの髪を肩の下に流して、その、女性フォルムの未確認知性体が、原始的楽器「ピアノ」をひとりで無心に演奏している。身体に着ているのはコットンホワイトを基調とする輝度の高い無彩色の生地。惑星テラの太古の神殿巫女がかつてまとった衣服のフォルムに近いことを知性体の彼は即座に認識したのだが、なぜあえてそのようなローカルな土着デザインを採用したのか、その理由までは推測できなかった。彼女は白く細い首に、ゴールド系のメタルサークルを装着している。惑星民の土着装飾物のフォルム偽装をしているものの、装着位置と素材からして、それは惑星外との通信インターフェイスの一部と見てもよいだろう。    うつむいて演奏を続ける彼女の視点は手元の鍵盤部分のどこかを見ており、攻撃知性体の彼の到着を視認していないようにも見えた。が、それは外見上そのように見えるだけで、彼女はもちろん、認識していた。それどころか、知性体の彼がテラに接近中のその時点から、彼女の感覚センサーは彼の位置を正確に捕捉していた。 「誰だ、おまえは?」  彼の声帯モジュールがヴォイスを発した。その音波は十六の内外星系チャンネルに合致する周波を持っていたため、当然のように、彼女の側もその声の意味を即座に把握することができた。原始楽器の音が止んだ。それからわずかに時間差があって、女性フォルムの知性体が、彼の方に視線を向けた。 「個体呼称は特にありません。おそらくあなたと同じでしょう。」 「ほう? ではおまえも攻撃知性体か?」  純粋に興味を覚えたように、彼の眉の片方が上方に吊り上がる。 「いいえ。わたくしに攻撃機能はありません。ただここに、派遣されただけです。」 「派遣の目的は? 派遣を決めた責任者は?」 「答える義務はあるのでしょうか?」 「…厳密にはない。おれにはそういう法的権限はないからな。ただ単純に、知っておきたいと思っただけだ。なんだ。それらは隠すべき情報なのか?」 「いいえ。特にそういうこともありませんが。」 「では言え。目的は? 誰がおまえを派遣した?」  テラの惑星標準では「傲慢な男」と9割の住民が合意するその言動パターンだったが、攻撃知性体の彼にはその自覚は特にない。ただ単純に、最短時間で目的の答えを引き出すために必要な音声表現だと。その程度の認識で彼はそこにヴォイスを作り出している。 「目的は、救済です。」 「救済? なんだそれは? 意味がよくわからん」 「惑星住民の心を、導くことです。そして彼らに、惑星の自壊行為をただちに中止させること。」 「よくわからんな。自壊行為の回避措置なら、おれがそのために派遣された。特に追加の戦力は期待していない。単純に、おれひとりで実施が可能だ。助力は特に求めていない」 「破壊を伴わない、回避です。あなたは星を、焼きにきたのでしょう?」  彼女がその場で立ち上がる。長いブルーの髪が、惑星の風に流れ、波打った。 「焼くことが第一の目的ではないが。攻撃に付随して熱破壊は起こるな、それは無論。まあしかし当然だろう?」 「わたくしはそれを好みません。わたくし、および、わたくしを派遣した、星団の長たちは。」 「星団の長。なるほど。ではあれか。」  攻撃知性体の彼が、納得したように何度か首をたてに動かした。 「フルロメトン外星団の。やつらがお前の派遣者か。なるほど。それで少しは、理解できた。やつらは何か、内星系の者には理解しがたい非戦論理をふるっていると聞く。おまえはその不明な論理を実行に移す実施者と。そういうわけか?」 「内星系の側からの理解は、特には求めておりません」  毅然とした視線を、彼女は彼に投げつけた。髪色と同じブルー系統の強い視線。彼はその視線を、互角の強さで受け止める。 「で? どのように回避する? 原始住民を熱駆除せずに、どのように惑星自壊を阻止する? やつらは足りない原始技術で惑星コアの重力改変を試み、まさに失敗しつつある。惑星の自壊は秒読みに入っている。どう回避する? あれらを即刻、熱駆除する以外で?」 「それは――」 「この辺境の原始的な惑星文明そのものは無価値だが―― 位置的に惑星テラの急激な非制御的重力変動は、近隣八十八以上の星系の安定基盤の存続に対する未知の不安定リスクを増大させる。そのようなリスクの増大は、防がねばならない。」 「それは――」 「で、結論。惑星生命体を駆除。当地の原始住民、ないしは無知なる原始文明主体を残らず熱処分。それでリスクは回避される。あれらが無知かつ不用意な重力改変行為を完了させる、その前に――」 「熱で焼くだけが、回避方法ではないはずです。あなたがたは――」 「では、どのような手段で? おまえの側の、回避の代替戦術を提案しろ。」 「…そのような一方的な要求に、わたくしが答える義務はありません。」 「そうか。では、音声会話は終了だな」  彼は両目を短時間同時に閉じ、それから視線を足元の森林床に投げ、そこに視線を固定した。 「同じ知性体として、知性体であるお前に通告する。惑星テラ時間の1日のうちに惑星外への退去を。攻撃開始はテラ時間の24時間後。攻撃開始後は、特にはほかの知性体への防護配慮をするよう命じられてはないから、通告に従わぬ場合、お前の側が被弾や熱傷を負うリスクはあると。今ここで警告をしておく」 「…攻撃の中止、ないしは、延期の可能性は?」  彼女が唇を噛み、視線をやはり森林の床にむけた。その視点の付近にある彼女の足は、何もつけない素足。特にブーツなどの防護物は身に着けていなかった。そのままの足が、厚くつもった枯葉の上、苔の植生が覆う、その森の地面を踏んでいる。 「…ないな。可能性はゼロだ。中止する理由が何もない。延期についても同様だ。」  彼は即座に回答する。その唇が、見た目上は微笑のフォルムを形成し、その黄金の目元も、少しやはり、かすかな笑いを表現しているようだ。憐れんでいるのか。可笑しんでいるのか。  別星団からの知性体である彼女は、視界の左方向の隅にその彼の「傲慢なる」微笑を視認しながらも―― 彼女の視野のメイン領域は、今ここで彼女が位置する、惑星の言葉で「神々の森」と呼ばれるこの森林保護区の午後の色彩を追いかけていた。そこには恒星の光線が降り、時刻はこの星の午後。降る光の揺らぎから樹海の天井を埋める太古の木々の枝々の向こうの空には夕方の雲が湧きはじめているはずだが―― ここからそれを目視でとらえることは彼女の能力の外だった。したがって彼女は想像した。その空に湧く雲の姿を。その、光の反射がつくる色彩の渦、さらにそれを超えて高度を上げた位置から見えるであろう、一点の曇りもなく澄みわたる青の惑星の大気の彼方を。
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