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あとがきに代えて ―遺物の先に見えるもの
ツタンカーメン王墓の短剣が実は隕石製と判明したのは、2016年のことだった。紀元前1,300年のエジプトでは鉄製の製品は珍しいことから、長らく「交易関係にあったヒッタイトからの献上品では?」と言われてきた品だ。天から来たる石、という言葉は、古代人も知っていた。彼らが隕石の落ちてくるのを見た可能性は、あるのだろうか。
実は、ある。
グーグルアースが一般的になって以来、エジプトの沙漠は隕石ハンターたちの格好の探し場となって、最近見つかった幾つかの座標が出回っている。その一つの座標が22°1'5.88"N,26°5'15.66"E。ここ最近、数千年前のものだろうというから、古代エジプトのいずれかの王朝の時代だったはずだ。最も、このクレーターはずいぶん南のほうにある。ツタンカーメンの短剣の成分は、北の沿岸部で見つかっている隕石のほうに近いらしい。沿岸部にアレキサンドリアの都が出来るのは、およそ千年後。ツタンカーメンの時代には、まだ何もない、北の果ての辺境だ。
隕石に纏わるツタンカーメンの遺物には、短剣の他にもう一つ、リビアン・グラスで出来た胸飾りがある。黄色いガラス状をしたこの鉱物は、隕石が爆発した熱で沙漠の砂が溶けて固まって出来たのではないか、という説がある。正体はいまだ不明だが、採れる場所はエジプトとリビアの境目の、沙漠の奥のどうやって辿り着いたのか想像しづらい僻地だ。しかしモノがあるからには、誰かがそこまで辿り着いて、戻って来たことは確かである。GPSもランドローバーもない。オアシスを経由していくにしても遠い。その「誰か」は、どれほど苦労して道を往復したのだろうか。
天啓や神託という理由づけをしたところで、かなりキツい…と、思うのだ。
古代の遺物の先にあるものは、単に、そのモノの所有者だけではない。
そのモノがそこにあるからには、運んだ人や、加工した人がいる。そして、そのモノを作ろうと思ったり、墓や神殿に収めようと思った「理由」や「思想」がある。
この作品では「モノ」の先に見える世界を、ほんの少しだけ、真実っぽく見える世界として描き出してみた。誰かのお口に合えば嬉しい。
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