第一話 星を見る人

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第一話 星を見る人

 それは、まだ春には早い播種期の半ばにあたるアメン神の満ちる月(パ・エン=アメン・ヘテプ)のことだった。  上下の国をつなぐ境にあるメンネフェルの都の端に在る星天観測所の上で、見習い神官のプタハシュペルは、寒さに震えながら星を数えて夜明けを待っていた。  「ううっ、寒っ…」 吐く息はまだかすかに白く、幾重にも体に巻いた亜麻布の上から冷気が容赦なく体中に染み渡る。本当なら羊の毛織物が纏えれば一番いいのだが、神官は聖化された特定以外の動物の毛を身に着けることがご法度なのだ。ましてや今は、れっきとしたお役目の真っ最中。それで、仕方なく厚手の布を何枚も重ね着している。  お役目とは、星を数え、暦と付き合わせ、季節の変わり目を知るという仕事だった。  時を知るには、星を観るのだ。  このメンネフェル――古き神プタハに守護された都は、大河に沿って広がるこの国の心臓部に当たる場所に位置している。古来より、ここより海側の下流を「下の国」、上流を「上の国」と呼びならわし、両方を合わせて「二つの国(タァウィ)」と呼ぶ。それゆえに、時を測る基準は常にここだった。この街で、この国の中心で観測される季節の移ろいが、全土に知らしめられる暦の基準となる。一日くらいと気を緩めず、夜明けに輝く星がどれなのか、見届けていなくてはならなかった。  とはいえ、星の歩みは遅遅として、一日に動く角度などたかが知れている。  夜空は一年の月の数、十二の区域に分けられ、それぞれの区域がさらに三週間分―― 十日ごとの枠に分けられる。それぞれの枠に当て嵌められた星座が、その週の守護を担当する。一年は三百六十五日、空の刻みは三百六十。差分の五日は、天と地の神の子らである、五柱の神々の守護する日だ。  けれどそんな天のことわりも、神官修行の座学として学んでいるうちは楽しくとも、いざ実際に実務として観測の仕事に駆り出されるようになると、とても楽しいとは思えるものではなかった。何しろ星見は夜明け前、一番暗くて空気の澄んだ時間に、街から離れた高台の、沙漠の入り口で行うものと決められている。確かにそこなら平らかなる遥か地平線を見渡せるが、夜半に起き出して眠たい目をこすりながら、ここまでやって来るのがもう辛い。星を見るためには灯りは邪魔だから火を焚くわけにもいかず、今の季節は、沙漠のほうからやって来る冷たい風が体にこたえる。  (ああ、…あったかいものが食べたいなぁ) 鼻をすすりながら、プタハシュペルは、動かざる北天の中心にある星を見あげた。  南天の星たちは一晩かけて、東から西へとあくせく動いていくというのに、北天の星は一晩中、不動の星を中心に、ぐるぐると回り続けるだけなのだ。観測するのは南天の星なのだが、彼は北の中央の、見つけやすい場所に七つ並んだ星の作る星座がいちばん好きだった。  「牛の前脚座(メスケティウ)」 そう呼ばれていた。  つまりは牛の美味しい足の肉のことで、神々への供物として最上級のもの、神官たちにとっては、お供えから下げ渡される滅多にないご馳走を夜空に描いたものなのだ。炙って塩をふって良し、煮込んで甘酸っぱい葡萄のたれをかけても良し。脂ののった牛肉のことを考えると、自然とよだれが湧いて元気になってくる。凍えそうな胃袋が、キュウンと音を立てるのを手でさすりながら、彼は、白み始める地平線のほうを眺めやった。  あともう少ししたら、今朝のお勤めが終わる。  朝の辛いこのお役目は、二十人ほどいる見習いと新人の神官たちの間で順繰りに回されている。今日が終われば次に役目が回っているのは、順当にいけば二十日後。その頃には、少しは気候も暖かくなっているはずだった。  ――と、その時だった。  視界の端から、何やら金色に輝く奇妙なものが天の彼方を横切ってゆくことに気が付いた。最初はよく見かける流れ星かと思ったものの、それは流れ星などより遥かに大きく、しかも、炎のような輝きに包まれながら、こちらに向かって来るように見える。  ぽかん、と口を開けたまま、プタハシュペルは、その輝きが弧を描いて頭上を通り過ぎ、はるか北のほうへと落ちて行くのを見守った。  光が通り過ぎてずいぶん経ってから、ゴウ、と微かな音が聞こえたような気がした。  「…あっ?!」 口を開けて呆けたまま、光の消えた方角を見つめていた彼は、はっと我に返るなり、あたふたと足元に広げた暦帳と計測具をかき集めた。  大変なものを見てしまった、と思った。  星見の公式な記録には、「異常事態」は書き込まない。何故ならそれらは、変わることなく刻まれ続ける月日とは関係無いからだ。流れ星も、日食も、あるはずのない星が現れる奇妙な現象も、――凶兆か吉兆かも分からぬものは、まずは大神官に目撃した内容を伝え、判断を仰ぐのだ。  もう、東の空は白み始めている。今夜の星見の役目は終わりだ。  すっかり冷え切った脚をぎこちなく動かしながら、プタハシュペルは、大急ぎで丘を駆け下りて、大神殿のほうへと向かっていった。  祈祷の間では上級神官たちが、日に一度の神像へのお勤めを終えようとしているところだった。  この神殿の主神プタハは冥界の神で夜に目覚めるから、他の神殿なら夜明けに行う衣替えと清めの儀式は夕方に執り行い、逆に夜明けには、神が眠りに就くために、夕方に置いた供え物を下げ、至聖所を閉ざすという儀式が行われる。  息を弾ませながら駆け戻ってきた若い見習い神官を見て、儀式の長である年配の神官は困ったように眉を寄せた。  「これ、プタハシュペル。神殿の中を走るなと言っておいたろう。そんなに腹が空いたのか」 後ろで、他の神官たちがくすくす笑っている。  「ち、違うんです、シプタハ様。星が――星見をしてたら、ついさっき、大きな星が頭上すれすれに飛んでいったんです」  「星?」  「ただの流れ星じゃないです。北の方へ…多分、落ちたと思います。落ちる時に遠くで音がしたし」  「落ちた、…とな? ふうむ」 大神官のシプタハは、きれいに髭を剃り上げた顎を指で撫で、ちらと、さきほど閉ざしたばかりの至聖所の奥に視線を向けた。天より落ちたる光――天とは神々の母なる女神ヌウトの身体そのものであり、星たちは彼女の子供だ。それが流れ、地上に落ちるという現象は、この神殿では、「天よりの贈り物」と解される。  「それは燃えておったのか」  「はい、金色に…」  「どこから来て、どこへ向かっていった」  「来たのは、南の天のほうからです。気が付いた時にはもう、頭上に近い場所でした。向かったのは北の方で…どの辺りかまでは…」 シプタハは頷いて、後ろに控えていた他の神官たちに指示を出す。  「他の者も見ておるかもしれんな。村にも人を出せ、目撃情報を集めよ」 それから、プタハシュペルの手元に視線をやり、鷹揚に頷いた。  「そなたのほうは、今は自分の仕事に戻ることだ。星見の記録は忘れずにつけておくように、良いな。」  「は、はい…」 報告は、それでおしまいだった。  まだ興奮さめやらぬまま、プタハシュペルは書庫に暦表を戻しに行った。それから、今日の当番の名前と、今日確認した星の位置の記録も忘れずに、漆喰を塗った板で出来た帳簿に記しておく。暦表のほうはずっと使い続ける大事なものだから頑丈な牛の皮の紙に記されているが、帳簿の記録は季節が変わるごとに水で洗い流してまた最初から書いていくから、一時書き用の板で間に合うのだ。  「これで、よし」 仕事を終えるのを待ちかねたように、もう一度、腹が大きな音をたてて空腹だと告げる。プタハシュペルにも異論は無かった。そろそろ台所の焚き付けも済んだ頃だろう。朝餉の時間が始まる。筆記具を片づけるのもそこそこに、彼は大股に、離れの食堂へと向かった。  広大な神殿内の敷地内は、神の住まう聖なる場所と、神官たちの住まいや食糧庫など俗世の建物のある場所とが壁で分かたれている。台所と食堂は川べりの、街の見下ろせる場所にある。朝のお勤めは神殿の門を開けて掃除をしたり、祈祷書に香炉で香りづけをしたりするところから始まる。みな一様に頭を剃り、白の亜麻布と履物を身につけた神官たちが、低位の者から高位の者までぞろぞろと、食堂に集まってくるところだった。  給仕係から受け取った自分の分の朝餉を抱え込み、さっそくパンにかぶりついていた時、向かいの席に少し年かさの神官が腰を下ろした。  「よう、プタハシュペル。相変わらずの食いしん坊だな」  「…もぐもぐ、…へるへふしぇぷ…?」  「食ってから喋れ」 笑いながら、ヘルケプシェフは自分のパンを手にとった。三つ年上の、いわば兄弟子のようなもの。今はもう一人前の神官だが、五年ほど前、プタハシュペルがこの神殿に来たばかりの頃はまだ、今の彼と同じ見習い神官の身分だった。見習いたちは一つの部屋に何人も一緒に寝かされる。同室で、ちょうど隣の寝台にいたのが、このヘルケプシェフだった。  「星を見たそうだな」 ごくり、とパンの塊を飲み込んで胸を叩いてから、プタハシュペルは頷いた。  「うん、すごく大きな、輝く流れ星だった」  「大神官さまが近隣の村に使いを出している。この神殿でも何人か、それらしい光を見たと言っている者がいる。落ちた正確な場所を探すことになりそうだ」  「吉兆なの?」  「今回は、おそらくな。――知っているだろう? 我が神殿には遥か昔、主神のプタハ様より賜ったという『天空より飛来したる黒き石』がある」 その話は、神殿に来たばかりの頃に聞かされていた。  遥か昔、とは、神代と人の王の世が入れ替わる時のことだ。つまり、想像もつかないほど昔の話になる。  この場所に神殿が建ったばかりの頃で、伝承によれば、今使われている時を刻む法、”暦”――なるものは、その時に、天の神々よりもたらされたものだという。  「見たことないけど、本当にあるのかな」  「ああ。在る」 ヘルケプシェフは断言した。  「それは、ただの黒い石ではないのだ。異様に重く、磨くと不思議な輝きが現れる。何とも言い難いが…確かに在る。天の神の一部だという話も信じられるほどに」  「不思議だよね。空から石が落ちてくるなんて」  「それを言うならば、神の奇跡なるものは全て不思議なもの、だろう」 石の話をする時だけは神官らしい真面目な表情だったものが、ふと、ほころんだ。  「この神殿に仕えて何年にもなるのに、お前は、あまり主神様に入れ込んではいないようなのだな」  「だって、…俺の家、農家だよ。プタハ様は冥界神で、工芸の神様じゃないか。そりゃあ、大事な神様なのは判ってるけどさ。うちじゃあ同じ冥界神でも、豊穣の神(ウシル)様のほうをよく拝んでる。鍛冶屋や絵師や工芸士でもなきゃあ、お祈りするありがたみも薄いんだよ」  「それ、神官長さまや大神官さまの前で言うんじゃないぞ。経典の書き取り二十回はやらされるな」  「えぇ? また?」  「ああ。原初の時より在りて在られる主神(プタハ)様を、天地の息子たる死者の国の王と比べるとは何事だ! ってな。神様ってのは、な。目に見えるご利益だけが存在意義でも、ありがたみでも無いんだ。存在することに意味がある。いつかお前にも、わかる時が来るさ」 首を傾げているプタハシュペルの頭をわしわしと撫でて、年かさの神官は、それきり何も言わずに黙々と食事を片づけに取り掛かった。  素直なのはいいが、素直すぎる、とは、指導教官にあたる神官長からのプタハシュペルの評価だった。  何でも真正面から見たままに、思ったままに表現するのは良いことだが、正直すぎるのだと。  もっとも、プタハシュペルに言わせれば、神殿の経典は難しくてよく判らないのだ。何やら歯にものでも詰まったような言い回しが多くて、はっきりしない。たとえば、この世の始まりについてだ。この世界は混沌の海の中から、創造の神プタハによって原初の丘なる陸地と太陽が作り出されたことになっている。冥界の神であるプタハは自らを作り出したもの、と呼ばれている。けれど世界の始まりには、冥界もまだ無かったはずなのだ。生も死もまだ無い混沌の世界なのに、どうして「冥界の神」が存在できるのか。そして、冷たい闇に在る存在が、どうやって熱い太陽を生み出せるのか。  河の対岸にある太陽神ラーの神殿では、原初の丘は最初から在り、その上で太陽は生まれたことになっている。そうすると今度は、どうやって丘という陸地が生まれたのかが分からない。  そうしてまた、豊穣の神ウシルの神話では、別の世界の始まりの神話が語られる。  みんな別々の物語を語るものだから、どれが正しいのか分からなくて、いつも混乱してしまう。そうして、神官長に叱られるのだ。よその神の教義と混じってどうする、と。  分からない。  この世界は、判らないことだらけだ。難しいことを理解できる頭がないから、神官には向いていないと思っている。けれどそれでも、大神官のシプタハが認めてくれたから、何とかここでやっていけている。  神殿所領の小さな村の生まれ。兄弟は四人いる。  その中から、どういうわけか選び出されて神殿に召し上げられたのがプタハシュペルだった。プタハの大神殿では、定期的に若い神官を補充するために村から子供たちを召し上げていた。名前か、顔つきか、それとも雰囲気か。何が気に入ったものか、シプタハは、いつものにこにこした好々爺の顔で彼を選び、ここへ連れて来た。  神殿での暮らしは嫌いではない。たまに辛い仕事もあるけれど、家で農業をやっている時よりは楽だし、神様のお供え物の下げ渡しで、時々ご馳走が食べられる。最低限、必要とされる読み書きも、何とか覚えられた。それでも、「この場所にはそぐわない」という違和感だけは、何年経っても消えることがないのだった。  食事を終えると、プタハシュペルはヘルケプシェフと別れ、見習い神官としての仕事場に戻った。朝餉が済んだら、倉庫の掃除だ。村はそろそろ麦の収穫の時期を迎える。神殿所領から上がって来る麦の一部は、神殿への納税品として倉庫に収められる。その前に、前年の残りを処分して、今年の分が入るところを作らなければならない。今年は平年通りの収穫になる見込みで、古い麦の残りは、全部ビールに換えて処分してしまっても良さそうだった。  日干し煉瓦を積み上げた穀物倉庫を開くと、ネズミ番の猫たちが胡乱な顔を上げ、入ってきたのが見知った神官たちと知るやまた目を閉じて、うつら、うつらとし始める。  「ほら、お前たち。そこをどいてくれ」 ネズミ返しのついた梯子を上り、若い見習いたちは手にした箒で床に落ちた麦粒や砂をせっせと掃き清める。  「この倉庫は二階に麦が残り十袋。豆が二袋あるはずだ」 手に台帳を持った年かさの監督役が、読み上げる。  「麦十袋、あります」 はしごを登った先の中二階の上から、仲間の見習い神官が返事する。  「こっちは豆、二袋。だけど片方は穴が開いて零れてます」  「えぇ? ネズミが齧ったのかな。こら猫ども、さてはサボったな」 猫たちは知らんぷりをして、耳をぴくつかせただけだった。  「仕方ない。ネズミも冥界に属する動物だ」  「いくら冥界神さまの神殿だからって、手加減することは無いってのに。まあいい、次は――」 仕事を続けようとした時、倉庫の入り口に一人の神官が立った。  「見習いのプタハシュペルは、ここにいるか?」  「あ、はい」 箒を手に、頭に引っかかった蜘蛛の巣を払いのけながらプタハシュペルは二階から顔を出した。「何でしょう」  「今朝のことで、大神官さまがお呼びだ。ここは他の者に任せて来るがよい」  「はあ、…分かりました」 彼は箒を仲間に任せ、普段はあまり見かけない、首から高位神官の印である独特のたすきをかけた男について行った。大神官に会いに行くのなら、体じゅう埃まみれのままでは失礼かもしれないと思いながら。  けれど、向かった先は神官たちの詰め所ではなく、今朝も通った、至聖所のある区画のほうだった。  神殿の入る前、案内役の神官は清めの池の前で足を止め、おもむろに彼に告げた。  「そこで手足を洗いなさい」 ということは、至聖所の中に入るのだ。――神の住まいに入る時は、身を清めなければならない、と決まっているからだ。  慌てて、プタハシュペルは冷たい水を腕と足にかけ、サンダルの裏まできれいに洗った。それから顔も。急いだせいで水が背中のほうまで流れ落ち、その冷たさに思わず声が出そうになったけれど。  大きく頭を振るって水滴を飛ばしていると、神官は、もう、先に歩き出していた。  サンダルを引きずるようにして後を追いかける。初春の日の出の遅い時期とはいえ、太陽はもう、高く昇っている。冥界の神は深い眠りについている頃合いだ。  「こちらへ来なさい」 目の前に、すべらかに磨かれた石の階段がある。プタハシュペルは、ごくりと息を飲み込んだ。そこから先は、一度も行ったことの無い場所だ。  柱の向こうには、薄暗い空間が広がっている。清浄な空気。埃一つ無く掃き清められた、人の住まう俗世からは隔離された場所だ。  待っていたのは大神官のシプタハだった。いつも通りの好々爺だが、今はどこか、厳かな表情でもある。  「来たな、プタハシュペル。今朝の天より落ちたる星について、お前に命じねばならんことがある。」  「は、はい」 声が、高い梁で仕切られた空間にかすかに響いている。シプタハの前には布をかけた台座がある。大神官は、その布を静かに両手で持ち上げた。  布の下からは、扁平な、黒ずんだ石が現れた。  「我が神殿に、いにしえの時より伝わりし『天の石』。これと同じものを見つけて参れ。」  「――はい?」  「落ちるところまで見届けたのは、お前なのだ。それこそが神託であろう。この神殿より向かわせる者は、お前のほかに居ない」  「って…こんな…あの、ただの石では…?」 プタハシュペルは、目の前のごつごつとした黒い石を見下ろした。ただの石だ。石など、村の外に行けばいくらでも落ちている。一体どうやって見分ければいいというのだろう。  シプタハは、小さく笑って声をやわらげた。  「その石を、手に取ってみなさい。」  「え…触って、いいんですか」  「よい」 言われるまま、彼はそろりと石に手を伸ばし、石を持ち上げてみた。そして、思わずはっとした。  重たい。  そこいらの道端に落ちている、ただの石ころとは比べ物にならないほどの重たさだ。まるで金のような、ずしりとした重量。見た目は、ただの石なのに。驚いている少年に、老神官は静かに微笑んだ。  「そうだ。その重さと固さこそ、神秘なる『天の石』の証なのだ。空の高みより落ちたる石は、地面に穴を穿つだろう。そしてその中心にこれがある。プタハ様からの贈り物であれば、必ずや、その場所にたどり着けるだろう」  「で、――でも、あの…」 石を戻しながら、プタハシュペルはおずおずと尋ねた。  「もし、見つけられなかったら?」  「その時は、お前の何かがいけなかった、ということだろう」シプタハは、静かに首を振った。「これは王権にも関わる話なのだ。『天の石』が手に入れば、今後の、王家の権威づけにもなろう。見つけるまでは、ここに戻ることはまかりならぬ。さぁ、行きなさい。支度は整えてある。供も用意した」  「は? ま、待って――」  「これは大神殿の命であるぞ。そなたは神託によって使者となったのだ。しっかりと務め、無事お役目を果たし戻って来るが良い」  「ええ? …」 何がどうなっているのかさっぱり分からぬうちに、プタハシュペルは、どこからともなく現れた高位神官たちに両腕を掴まれ、奥の部屋へと連れて行かれ、着替えさせられ、祝福の祝詞と証文とを与えられ、荷物とともに船着き場まで送り届けられた。  船着き場には、色の浅黒い渡し役が、棹を握って無言に待っていた。  「証文には、大神殿の命によって旅をしていることが記されている。もし他所の村や神殿に助力を求める時は、それを見せるといい。」  「……。」 呆然としているプタハシュペルには、先輩神官の言葉もほとんど聞こえていない。  「ではな。プタハのご加護のあらんことを。」  「…いって、きます」 小舟は船着き場を離れ、流れに任せて川を下ってゆく。  ゆられ、ゆらりと船の上で揺れながら、プタハシュペルはまだ、ぼうっとしたままだった。流れ星――あれが、神託? 神の贈り物を探しに行く旅? 大神殿を離れて、たった一人で。  いや、――少なくとも、もう一人はいる。  彼は、無言のまま船を操る青年のほうに、ちらりと視線をやった。大神官は、供を付けると言っていてた。きっとそれが、彼なのだ。見たところ、プタハシュペルと同じくらいの年齢に見える。漁師には見えないが、近くの神殿所領の村人だろうか。  「あ、あのさ。俺、プタハシュペル。あんたの名前は?」  「…ヘカネケト、です」 視線を川の流れの正面に向けたまま、浅黒い肌の男は、ぼそぼそと、それだけ言った。  「よろしくな、ヘカネケト。」  「……。」  (早く石を見つけて、神殿に戻らないと。ああ、もう。何でこんなことになっちゃったんだろう…) ゆるゆると流れてゆく、黒い川の流れ。岸辺には早春の、ようやく芽吹き始めたばかりの葦の緑が、枯れ草の中でかすかにそよいでいた。
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