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朝、出勤して来た須賀と、給湯室に行く由巳とが廊下で擦れ違う。
「おはようございます。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
立ち止まり由巳は朝から何度目かの言葉を、上司としての須賀に言った。
「あ、おめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。」
戸惑いながら須賀も頭を下げて、戻す瞬間に耳元で囁かれた。
ー「今日、行くから話そう。」
「失礼します。」
須賀の視線を背に給湯室に急いだ。
前の様に「行くから」と言葉を聞いても、ドキドキもしなければ頬を染めたりもしなかった。
別れなければ……ずっとその事が頭にあった。
知らないままだったらと、そんな気持ちも湧いた。
見てしまうと罪悪感は膨れ上がるばかりで、幸せだった恋は辛い物に変わっていた。
自分という人間の正気を保つ事で精一杯、目の前の仕事をする事で精一杯だった。
気を抜いたら油断したら、あの光景が浮かんで来る。
幸せそうな家族、綺麗な奥様、可愛いお子さん……いい旦那様で父親。
由巳の知らない須賀の本当の顔。
それを思い出すとやはり別れなければ、という気持ちが強くなった。
須賀より早く仕事を終えて、真っ直ぐに帰宅した。
部屋を綺麗に簡単ではあるが掃除をして、お茶の準備をして須賀が来るのを待った。
18時半を過ぎて、部屋のドアをノックされた。
「由巳。」
その声でゆっくりと玄関のドアを開けて、須賀を部屋の中へ招き入れた。
この間話した時とは違い、テーブルを挟んで正面に須賀は座った。
お茶を飲んでから由巳に話しかけた。
「由巳、痩せたな。今日会って驚いた。ごめん、ショックだったよな?」
膝に置いた手をグッと握る。
そうしないと泣き喚いて、何でどうしてと、離婚してくれると言いそうになったからだ。
「お正月、一度も来れなくてごめんな。年末年始は店も閉まるし、子供いるからあいつ一人で買い出しとか無理で、買い出しも5日分位いるだろ?年末の掃除とかやらされるし、新年になったら初詣とかほら、子供、初めてだし…親戚の集まりとかあいつの実家へ行ったりとか…本当に時間がなくて、ずっと由巳の事、考えてたよ?本当に…会いたかった。」
前半はいい夫、良い父親をしているんだねと、泣きそうになるのを耐えて聞き、会いたかったと言われたら、まだ若く経験のない由巳には僅かでも喜ぶ心があった。
「い、言い訳は…聞きたくない。」
言葉を何とか吐き出す。
「俺の気持ちを言う、俺は、由巳と離れたくない。別れる気はない。」
手を握られて言われた。
目を見てはっきりと。
嬉しい気持ちと奥様と別れるのは駄目だ、という気持ちが交錯した。
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