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寺井梅歌の不幸な事件はその翌日にメディアで取り沙汰された。アシッドアタックは日本であまり馴染みのない事件であったためにその珍しさが世間の注目を大きく引くことになってしまったのだ。
「寺井、声は出るようになったか?」
寺井梅歌のマネージャーを担当する仲野海斗は病室で梅歌に話しかける。
しかし、返事は何一つ返ってこない。その代わりに梅歌はテーブルに置いてあったメモ帳に手を伸ばす。痛々しい火傷の痕に海斗は顔を強張らせた。
『海斗君、あれから声が出ないの。声を出そうとしても声が出なくって、どうすればいいのかな。わたし、歌えるのかな? わたしが、わたしが___、歌ったのが悪かったのかな?』
メモ帳に文字を静かに書き綴った梅歌はそれを海斗に手渡す。その書かれた内容に海斗は絶句してメモ帳からそのメモ書きをビリッと破り捨てた。
「そんなことは……っ、ない。…ないよ。梅歌は悪いことなんて」
梅歌の目元の白い包帯は灰色にくすんでいることに気が付いた。おそらく、もう何度も泣いたのだろう。只々、音もなく涙を流している梅歌は今にも消え去ってしまいそうだと感じられた。
そんな彼女を追い詰めるように病室のニュースが騒ぎ立てる。
<デビューしたばかりの歌手を襲った悲劇で、本当に悪質な犯行だ>
梅歌を擁護するように話の展開をするお昼のテレビ番組。彼女を気遣っているのは分かる。しかし、これは逆効果だと気付いてほしい。
ニュースを耳にした梅歌は取り乱した。頭を抱え包帯を乱雑に引っ張る。推測でしかないが事件の瞬間を思い出しているのだろう。
「梅歌! 今は安静にしないと…治るもんも__」
ピクリと梅歌は動くのを止めた。そして、痛々しく包帯の巻かれた両手で海斗を掴む。口元の包帯がパクパクと擦れる音と、掠れた声が耳に届く。
「************************」
顔は包帯で隠れていてまったく見えないものの、必死さがひしひしと伝わって来る。けれど、海斗には梅歌が何を言いたいのか理解することはできなかった。
「…すまない、梅歌。なにが言いたいのか、分かって…やれない。分かってやることができないんだ…っ」
梅歌はベットを軋ませて、脱力したように体の力を抜いていた。そして、彼女は白い天井を仰ぎ見る。
そんな彼女を目の前にして、正直に伝えることが自分にできるただ一つの誠意だと海斗は思っていた。
しかしこの正直に伝えるという選択はただのエゴだったのかもしれない。
わかっているふりでもすべきだったのかもしれない。
たった一言、「ああ、俺には分かってるから安心してくれ」とでも言ってあげられれば良かったのかもしれない。
そんなことが結果論であることは今や明白だった。
翌日、病室を訪れて海斗は膝を地についた。体の震えが止まらなくなって、夢を見てるのだと思った。
「梅歌、入るぞ? …は?」
そう、結果論とは知って初めて懺悔すること。
寺井梅歌は自殺した。病室を真っ赤な紅に染め上げて。
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