『路上の歌姫』

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『路上の歌姫』

 翌日、寺井梅歌の葬式が執り行われた。  寺井梅歌の葬式は彼女の人生のまさに真逆とも言えるものだった。涙、涙、そして涙。あちこちで彼女の死を惜しみ、大勢が悲しみに暮れている。 「海斗くん、努力は人を裏切らないんだよ? えへへ」  努力の強さを疑わない梅歌はしきりにそう言っていた。けれども、彼女は努力の果てにこんな悲惨な結末を迎えた。  有名になりさえしなければ…と一番近くで彼女の努力を見てきた海斗でもそんなふうに彼女のすべてを否定しそうになっていた。 「海斗さん、今まで本当に梅歌を……ありがとうございました」  寺井一家から深々と頭を下げられながらも、海斗は納得がいかなかった。だから、言葉が浮かばない。 「いえ、そんな…ことは」  歯切れの悪い返事をすることしかできない。自分の情けなさに心底呆れて海斗は俯いていた。その行動すらも情けなかった。  梅歌の両親に目も合わせることができないでいると、突然視界が横にブレた。 「いつまで、しょぼくれているんですかっ! そんなことはあるんです。あなたが梅歌を支えてくれていたんです、海斗さん」  頬がじゅっと熱くなる。平手が海斗に前を向かせた。梅歌の母は続ける。吸い込まれるように梅歌の母を見ていた。  彼女の瞳は真っすぐで、ステージで歌う梅歌を思わせた。 「梅歌は海斗さんのことをいつも話してました。路上に咲いている花なんて誰も気にも留めない。目を向けることはあれど、それに近づいて水を注ぐ人はいないのだと。でも、海斗さんは違ったって。雑草かもしれない私に目を向けてくれたんだって…とても誇らしそうにあなたのことを話していたんです。だから、自分をそう卑下なさらないでください。胸を、張ってください」 「__っ」  次に瞬きをしたとき海斗は頬を伝う涙の存在に気が付いた。涙はじんわりと頬に広がった。  思えば俺は彼女が死んでからというもの、ずっとその死んだという事実だけに目を向けていた。彼女がこれまでに積み上げてきた努力の跡にも目を向けず、独りよがりに彼女の人生を勝手に決めつけてしまっていた。 「娘のために泣いてくれて___、ありがとう」  静観していた梅歌の父親がここでようやく口を開いた。梅歌に似た優しい微笑みが海斗に今まで過ごして来た日々を回顧させる。いくつもの情景が切り取られて、頭の中で小さなアルバムのように捲られていた。  ___すべて、寺井梅歌との日々だった。時を巻き戻すようにアルバムはあの日にまで遡っていた。  梅歌を初めて駅前の路上で見つけたとき、また無謀なことをやってる少女がいるものだと思ったこと。  ほんの一瞬だけ目を向けてそれを逸らしたこと。  顔を横にして他の他者と同じように横を通り過ぎようとして耳を彼女に向けたこと。  若いのに良い旋律を響かせるものだと思ったこと。  それでも様々な音楽を聴いて肥えていた耳はこの音楽も、ありきたりだと聴くのを止めたこと。  視界から彼女が完全に通り過ぎる瞬間に横眼が笑顔に引き寄せられたこと。  それから釘付けになって演奏が終わったことにさえも気が付かなかったこと。 「あのー? どうして泣いているんですか? えへへ、仕方ないですね。明日は朝からバイトがあるのですけど、もう一曲だけ歌っちゃいます」  そのときも失礼なことを言うと歌自体は耳に入ってこなかった。ただひたすらに、彼女が楽しそうに歌うのを見て心地よく感じていたのだ。 「わた~しは、笑ってーます~。こーころの隅で。だ~から~、心配なんてないから~。この歌だけ、覚えててね~」  記憶にしてはやけに鮮明な梅歌の笑顔に人目もはばからず海斗は大声で泣いていた。
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