1人が本棚に入れています
本棚に追加
「自己紹介しますね~。わたし、歌えないんですよ。それは、耳がすごく悪いからなんですよ~。だから、音痴なんですよ~、ほほほほほ」
少女を独特に感じる原因はそこにあったのか。耳が不自由なために海斗の言っていることもほとんど聞こえていなかったのだろう。そう、初めから海斗と少女の会話はあるようでなかったのだ。
「わたし、実は夢があるんですよね~。それもとびきりの!」
少女は話を続ける。満面の笑みで楽しそうにしている。
「それは…歌手になることなんです~。ぱちぱちぱちぃ」
「歌手?」
思わず声に出してしまっていた。それは耳が不自由な少女が歌手になると言ったからに他ならない。ただ、万に一つの可能性もないとすぐに頭を振っていた。
「わたしの力だけでは足りないのですけども、こうして路上から咲いた方の歌を流していると、叶えられそうな気がするんですよね。漠然とそう思うんです。聴いてって~」
「おいおい、おい…」
海斗が驚くのも無理のないことだった。梅歌の曲が流れているのにもかかわらず、少女が声を重ねて別の曲を歌い始めていたからだ。
「きみは…」
君は自分の歌が下手だと分かっているのにどうして歌うのか。
「…どう、して……」
明らかにハンデが大きすぎるのにどうして挫けないのか。
「…な、んで」
なんでそんなに楽しそうに笑いながら歌っているんだ。
「わーたしは、笑っ~てまーす。こころー~の隅でぇ。だかーら、心配なんーてないか~ら。こーの歌だけ、覚えて~てね」
あの日の歌詞だった。もっとも印象に残っている歌詞。
「…ああ、そうだったのか。梅歌、やっと…わかったよ」
昨日、最後に彼女と交わしたやり取り。それは彼女の言葉だと思っていたがそうではなかったのだ。彼女の歌だったと確信に変わる。
何を言いたいではなかった、今流れているこれを歌っていたのだ、歌おうとしていたのだ。それを一番身近にいたはずの海斗は気づけないでいたのだ。出会いの歌だったはすなのに。
そのことが心残りに変わるのと同時に、気づけて良かった思った。
そして、それを気づかせてくれたのは目の前の少女で…。
「はーい、おしまいですー。どうでしたか~? って、…え!? その…あの、泣いて、ますよね?」
歌い切った後も笑みを崩さない少女だったが、どうやら海斗を見て動揺しているらしかった。
海斗は涙を流していた。困惑する少女のことを気にして、止めようとするが止められなかった。
目の前の少女が『路上の歌姫』に重なる。
そして、『路上の歌姫』は昨日も歌姫だった。一番辛いのは自分だろうに歌ってくれていたのだ。最後まで歌姫であろうとしていた。
「んー、明日忙しいけど…仕方ない、ファン一号のためだ。もう一曲歌うことにするからー、泣き止んでほしい、かな~?」
意思は繋がっていくのだと感じられた。あたふたと慌てるこの少女もまた『路上の歌姫』なのだ、と。
「ありがとう、大切なことを思い出せたし理解できた。君に折り入って話をしたい」
「ん~?」
街のネオン灯がステージライトのように二人を照らす。
時刻は深夜十二時を回り鐘が鳴っていた。
この日、ある少女はある音楽関係者にスカウトされた。そして、少女は『昨日の歌姫』と名乗りデビューを果たす。
最初のコメントを投稿しよう!