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なんというか、このWという人からは客観の極地、諦観の念みたいなものを感じる。みたいなもの、と言ったのは、私などはいつもより早く目が覚めてしまったり、ラーメンを食ってる最中に汁が少し飛び散ったりするだけで動揺したり苛立ってしまう。こういう境地からはほど遠い人間なのだ。そういう言葉の意味を表面的に理解は出来るし、ある種達観した人達がいるのも知っている。しかし前世での行いが芳しくなかったのかは分からないが、私にはそれを実感するだけの器が無いようだ。今だって紅茶が置いてあるテーブルにある、誰が付けたか知らない小さな凹みが気になって仕方が無い。しきりに指でつついたりなぞったりしている有様である。きっと彼女は自身が人に認知されにくいが故、そういう俯瞰で物事を観察する能力を図らずも培って来たのだろう。はて、彼女とは誰だったか。そういえば誰かがどこかへ行くだか消えるだか言っていた気がする。ああそうだ、Wと話をしていたのだ。
「なるほど、認知されにくいか。今までの話は分かったけど、それと君がどこかへ行ってしまうっていうのがまだいまいち繋がらないかな」
そうよね
そう言って彼女は目を伏せた刹那、私は諦めの境地とは真逆の未練と後悔の念が、彼女の心中から表出したのを察知した。初めてWから人間的な情緒を感じて少し安堵した。
実は少し前母が亡くなって
「あ、それはその、えっと・・・」
言い淀む。こういう時に相手に共感を示しつつ、かといって後ろ向きすぎない言葉を瞬時に探し当て、掛けてやる事が出来れば女性から寵愛を受けるのだろうが、生憎私はそのような器量を持ち合わせておらぬ。
いいのよ。私が話をしたいって誘ったのだから気にしないで
穴があったら入りたい心持ちだがこのテーブルの凹みじゃあ私の体は入らんな、と阿呆な事を考えながら彼女の声に耳を傾ける。
母は私の存在を認め続けようとしてくれた唯一の肉親だから。うちは一人っ子だし、父は仕事は立派にしているけど家庭の事とか子育てには関心が無くて。
Wは少し空を見つめてから続けた。
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