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ポツンとひとりにされて、なんとなく部屋を見渡す。部屋といっても広い。奥には艶やかなベールが綺麗に弧を描くように吊るされていて、どうやらそちら側から城の誰かが出て来る、謁見の為の場所なのだろう。
天井はステンドグラスで室内はとても明るい。
女将に報告する為にしっかりと部屋を見渡し、椅子やテーブルの装飾を確認していると、ザワザワと人の気配が奥から届いた。
ベールの奥から現れたのは、正装なのか青のサーコート姿のニコーロと、同じ格好の数人の騎士。そしてひとり、刺繍が施された濃紺のローブを羽織った中年の男性だった。
いつも酒場で会うニコーロのイメージとは違って、真面目な表情でテキパキとした動きに、リリアナはこの中年の男性の身分を高く見積もることにして喉をゴクリと鳴らし直立した。
「閣下、こちらが酒場『ビアーノ』で働いていたリリアナ嬢でございます。大変真面目に働く優秀な若者でございます」
とても誉められた気はするのだが、ビアーノが過去形になっていたのが気になる。まだひとつも仕事を受けるとは言っていない。
「あ、あの、私、ビアーノで現在も働いているリリアナと申します。あの、よくわからずここに来ております」
緊張はするが、言うことだけは言っておかねばと、日頃の商魂が無意識に発動する。
「やあ、リリアナ殿、よくぞおいでくださった。ニコーロから聞いております。真面目で仕事熱心な働き手を探していましてね。リリアナ殿が適任だと、強く推薦しておりましたよ。申し遅れました、わたくしはチェルソンと申します」
閣下と呼ばれていた男性は、威圧感もなくにこやかだ。予想していたより怖い人でもないらしい。端から平民を見下す態度に出られたら、ソッコー断ってやろうと思っていたが、もう少し話を聞いてみることにした。
「あのー……、私はいったい、何を?」
「失礼いたしました。余り大きな声で言えることではないもので」
「え?」
これはやはり断り文句を何パターンか用意しておかねばとリリアナが悶々としていると、目配せを受けたニコーロと他の騎士達は静かに部屋を出ていってしまった。
(こ、これは、門外不出の案件なのかっ。え、私、ここから出してもらえるのっ?!)
今度ばかりは、ゴックンと大きな音で緊張が喉を通った。
「リリアナ殿には、女官補佐の仕事に就いていただきたい」
「女官、補佐?」
まったく耳慣れない言葉に首を捻った。
「我が国の王太子のことはご存知でしょうか」
「えーっと、すみません、あまりよくは」
興味がないのではない、何も知らないだけだ、住む世界が違いすぎて。
だが何故か、失礼に値するかと思われた素直な反応に、目の前のチェルソンはむしろ微笑んでいる。
「おお、そうですか。それはやはり、適任でございますな」
「そうなんですか?」
「ジルベルト殿下は現在25歳でございます。我が国では30歳までに妃をいただき、王位継承という古くからの伝統がございまして」
「ほえー」
「各領地から4名のご令嬢を、名前を伏せた状態で、引き合わせ公平に妃を選ぶという。これが長年、内乱や衝突を避けるのに最適な手段として、行われているのですが」
「へー、そうだったんですね」
「現在、まさに、その“懇親の期”でございまして、由緒正しき四家から令嬢を客室棟に招いております。そこを取り仕切る女官長の補佐についていただきたい」
仕事の内容はなんとなくわかったが、何故、一般市民である自分が適任なのかがわからない。
「あのー、間違ってたらごめんなさい。城内で働く方々は、それなりの身分のかたでないと、ですよね?」
「左様です」
「私が何故、選ばれたのでしょうか?」
もしかして自分は、孤児院に預けられていたが実は、それなりの名家の隠された令嬢だったとか、四枠は埋まってしまっているが女官として忍ばせて私が妃の本命候補だったとか、楽しい展開が待っているのだろうか、とリリアナは若干前のめりになった。
「どこの家ともまったく繋がりのない、公平な立場の者を探しておりまして」
「……まったく?」
平民でしかなかったようだ。
「名目上は女官補佐なのですが、もうひとつ、わたくしとの間だけでのお願い事がございまして」
「はあ」
「4人の令嬢の中から、王太子殿下に相応しいと思われる人物を、公平な立場から選んでいただきたいのです」
「……」
リリアナには、まったく旨味のない上に重要にもほどがある仕事内容であった。
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