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リリアナはテーブルに身体をおしつけるようにして前のめりになり、フードの中を覗く。
フードの影で見え辛いが、わりと綺麗な顔をしているようだ。
「知りません」
「あ、そう……。じゃあ、チェルソンの職は何か知ってる?」
そう言われると、何も聞いていなかった。自分に与えられる仕事のことでいっぱいいっぱいで、他のことに気など回らなかったのだ。
「なんか、特殊なんですか? 私に与えられた、仕事の内容からして」
「チェルソンは侍従長だ」
「ジジュウチョウ?」
「王太子の側近のトップ」
「……なんだって?!」
王太子はいずれ王になる人のことだ。その側近の、しかもトップということは、平民の自分が万が一にも言葉を交わすどころか拝顔さえも叶わないような人である。
「なんてこった!」
頭を抱えて、どんな無様な態度を取ってみせてしまっていたか思いだそうと唸る。
「あんた、反応がおかしいぞ」
「いやだって、そんなすごい人だったなんて思わないじゃないですかっ」
「つまりだ、そのチェルソンの代理の俺も同格だと思え。遅刻は厳禁、あと普通にさらっと席につくのもアウト」
「ええっ?!」
男はフフンとばかりに腕を組んでいる。
偉そうにしている奴に偉い人はいないという、リリアナの中での指標がある為、まったく緊張感は起きない。さらに言うと、同じ時間外勤務という仲間意識のほうが強すぎて、同レベルにすら思えてしまっている。
「そういえば、あなたは何をしている人なんですか? チェルソン様と同じ侍従の方?」
「まあ、そんな感じ」
「名前は?」
「……名前?」
「私はリリアナです。あなたのことはなんと呼べば」
「そーだな、じゃあ……オットーで」
「じゃあ?」
明らかに偽名を使われたが、リリアナはスルーしてあげることにした。多分、仕事内容的にも、そういう縁の下的な、影武者的な生業をしているのだろう。
チェルソンに個別に雇われている可能性もある。
とにかく、さっさと報告を終わらせることに専念しようと姿勢を正した。
「では、オットーさん。今日までの収穫です」
「ざっくりでいーよ。詳細はいらない」
「同意見です。西の棟のオヴェスト様、美人ですが気が強いです、以上っ!」
ズコッと何か音がしたかと思えば、テーブルに頬杖をついていたはずのオットーが、つんのめっていた。
「あら、随分ニスの効いたテーブルですね」
「お前なあっ」
呆れたオットーは深々と溜息を吐き出した。
「そんなの皆知ってることだろ、何してたんだ」
「だってまだここへ来て三日ですよ? 難しいんですよ、メイドのほうがまだ潜り込めやすかったかもです。今から私の職、チェンジできますか?」
「……お前は、やる気あるのかないのか、わかんない奴だな」
「誉められた」
「誉めてない」
ワシワシとオットーはフードの上から頭を掻いて、天井を仰いだ。
「ま、いいや。俺も別にこの件、乗り気じゃないし」
「時間外労働だから?」
「違う、それはお前。……チェルソンは張り切ってるけどさあ、無駄なんだよこんなことしても」
「無駄? ひょっとして、王太子殿下にその気がない、ということですか?」
チェルソンがそう言っていた。だからどうにかしようとしての、今回の巻き込まれなのだろうけど。
オットーは頬杖をつきなおして、どこかぼんやりと視線を遠くに飛ばしていた。
「そう。誰も選ばないよ」
「なにか、ご存知なんですね?」
ずずいとばかりにリリアナが前のめりになると、オットーはそちらへチラッと視線を投げてすぐにまた遠くを見つめた。
「……どうしても忘れられないんだと思うよ。ずっと気になってる人がいるってこと」
「え……」
(これは、完全なるゲームオーバーでしかないのでは……)
「チェルソン様は、ご存知なんでしょうか?」
「うーん、多分、なんとなく」
ゲームオーバーな上に、最後の足掻き的なことが、つまり自分の仕事なのだという。これからのモチベーションを、どう保てばいいのかという新な要素が加わってしまった。
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