癒し少女を癒したい

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癒し少女を癒したい

 イーラは六歳の時、疲れた心を癒やすことが出来る力があることが分かり、孤児院から神殿に引き取られた少女だ。  イーラのいた孤児院はとても劣悪な環境で、引き取られた当初は栄養状態も悪く、髪の毛も根元で切られて男が女か分からないほどひどい身なりをしていた。  そんなイーラを三人の少年と青年が甲斐甲斐しく世話をして、今ではもう、その頃の面影がないほど立派に成長していた。  腰まで届く茶色のふわふわの髪に、晴れた日の空のような澄んだ蒼い瞳は見ているだけでも癒やされる。  そんな少女もここに来てすでに十年、十六歳になった。  ちなみに、イーラがいた孤児院だが、今は院長が変わり、しかも国からの補助も出るようになって、かなりマシになったようだ。  イーラはそれを聞いて、安堵した。  イーラは神殿に保護されてなに不自由のない生活をしていたけれど、孤児院に残っている子たちのことが心配だったのだ。  イーラだが、水の女神・チェルナーを奉じている神殿に引き取られてからは毎日、心が疲れた人たちの心を癒すというお勤めを果たしている。  イーラの奉仕活動というのは、まだ陽が昇る前に起きて、まずは身を清める。以前はエミルが補助をしていたのだが、イーラも年頃になり、一人で出来るようになったため、エミルは身を清める泉の入口まで着いていくだけだ。エミルは短髪の黒髪に緑の瞳をした爽やかな青年だ。今年で二十四歳になる。エミルはイーラの身の回りをお世話する係だ。  イーラは白い絹で織られたワンピースをまとい、泉に浸かる。  夏場でも冷たい水に凍えながら身を沈め、心の平穏を願う。  泉から上がるとすぐに濡れたワンピースを脱ぎ、布で全身の水を拭い、乾いた水色の下着とワンピースを羽織る。  濡れたワンピースと布をたたんで泉の入口にいくと、エミルがすぐにそれを受け取ってくれる。 「ありがとうございます」 「礼は必要ない」  とは言うけれど、本来ならばイーラが持ち帰る物だと思う。  十年もの毎日のやり取りだけど、イーラは感謝の気持ちを忘れていない。  イーラは口下手だし、無駄口を聞かないようにと最初に神殿に連れてこられたときに言われていたため、それ以降は無言でイーラの部屋に戻ると、シモンがまず冷えた身体を温めるために温かなお茶を出してくれて、それが飲み終える頃に食事が出される。シモンはイーラが神殿に来たときから食事の世話をしてくれている。茶褐色の髪に茶色の瞳の、二十六歳の青年だ。イーラが来るまでは神殿で働く人たちのために食事を作っていたが、イーラ専属となった。  今日は新鮮なサラダとふわふわなオムレツに柔らかなパン。  孤児院にいた頃を思うととても贅沢な食事にイーラは未だに戸惑うけれど、食べなければ奉仕活動が出来ないのが分かっているので、黙って食べる。 「ごちそうさま。今日も美味しかったです」 「ありがとうございます」  イーラの食事が済むと、癒しの仕事をするときに必ず側にいるトマーシュが迎えに来る。クセのある赤髪に赤い瞳の少し鋭い表情をした二十二歳の青年だが、いつもイーラのことを一番に考えてくれる。  トマーシュはイーラの身支度が済んだのを確認すると、イーラの髪を撫で、水の女神・チェルナーの持ち色である水色のベールを被せてくれる。イーラはそのトマーシュの仕草が好きだ。 「ありがとうございます」  と小さく呟けば、 「おう」  と返ってくる。  トマーシュの先導で神殿へと向かう。  イーラの職場は、神殿の中にある小部屋だ。  イーラが両腕を広げたほどの幅に、奥行きはその倍はあるが、さほど広くない部屋だ。  奥に机と椅子があり、遮るように板が立てられている。板には魔法がかけられていて、向こうからは見えないが、こちら側からは姿が見えるようになっている。  術者の姿を見られるのはよしとしない、神殿側の配慮によるものだ。  この小部屋に入れるのはイーラだけで、衝立の前にトマーシュが立ち、対応をする。  トマーシュがいる空間は相談者のための机と椅子が用意されており、エミルが相談者にお茶を出す。  今日も朝からどこぞの貴族がやってきて、エミルが出した高いお茶を飲み、衝立の向こうにいるイーラに愚痴を吐き出す。  かわいらしい愚痴であれば聞き流し、気持ちが軽くなるように癒しの力を降り注げば気が晴れて帰って行くのだが、今日のはマズかった。 「第一王子の婚約者を蹴落とし、うちの娘にすげ替えたい」  そう言いだしたのは──。 「ツルハ伯爵です」  トマーシュがイーラにだけ聞こえるように伝えてくれた。  第一王子の婚約者は確かドビタ子爵の娘だったはずだ。  神殿に引きこもっているイーラでさえ第一王子とドビタ子爵の娘は相思相愛で、仲睦まじくお似合いだと伝え聞こえるくらいだ。  その反面、今、目の前に座っているツルハ伯爵の娘は意地が悪く、わがままで、その内面の悪さがモロに顔に出ていて器量も悪いという。  イーラとて顔で判断するつもりはないが、やはり国の代表であるからには、ある程度の見た目の良さは必要だと思っている。その点、ドビタ子爵の娘は美しいらしい。  イーラがなんと返せばいいかと悩んでいても、ツルハ伯爵の恨み言は続く。 「子爵のクセに第一王子に取り入り、我がツルハ伯爵家をないがしろにするような告げ口までして!」  たぶんだが、そんな事実はなさそうだと政治に詳しくないイーラでも思う。  そもそも、第一王子とドビタ子爵の娘は婚約しているのだ。まだ婚約をしておらず、ライバルを蹴落とすために悪口を吹聴するのならともかく、確定しているのに自分の印象を悪くするような行動を取るだろうか。  イーラだったら取らない。  イーラは内心でため息を吐きながら、口を開いた。 「ツルハ伯爵さま」  まだ恨み言が続いていたが、聞くに堪えず、イーラは口を挟んだ。 「お心が、疲れていらっしゃるようですね」 「だからこそここに来たのだろうがっ!」  そう言って、ツルハ伯爵はだんだんと机を叩いた。机に置かれたカップがガチャガチャと音を立てる。  そのような怒号は悲しいかな、慣れてしまった。 「ツルハ伯爵さまが今まで、ご立派な行いをされてこられたことは水の女神・チェルナーさまもこの国に巡っている水の中からご覧になっていらっしゃいます」 「それではなぜ、うちの娘ではなくっ!」 「ツルハ伯爵は勘違いされていますわ」 「勘違い……だと?」 「そうです。ツルハ伯爵さま、お子さまは確か、お一人でしたよね?」 「……そうだが?」 「ドビタ子爵さまもお嬢さまお一人でしたよね」 「そうだが」  そこまで言ってもまだ分からないのかとイーラは内心でがっかりしながら、口を開いた。 「ツルハ伯爵家はこの国が創設されてからずっと支えてこられたと聞き及んでおります」 「あぁ」 「そして、何人ものお妃様を輩出されたとも」 「そうだ。だから娘を……!」 「もし、ツルハ伯爵さまのお子さまがお妃様になられたら、伯爵家を継ぐ方は?」 「私の弟を──」 「その方がツルハ伯爵家の血を引いていなくても?」 「……な、に?」  イーラの横にはイーラとお揃いの水色のベールをした少女が立って、イーラの肩に触れていた。  イーラは水の女神・チェルナーの愛し子で、困っているとこうして手助けをしてくれる。  向こうの衝立からはこちらは見えないため、だれもイーラのいる小部屋の様子をうかがい知る者はいない。  イーラは肩に置かれたチェルナーの手に触れた。  冷たく清んだ水の感触。そこに癒しの力を強く注ぎ込めば、チェルナーから歓喜の感情が流れ込んでくる。 「チェルナーさま、ありがとうございます。助かりました」  小さく呟けば、チェルナーはもっととねだってくるので両手で手のひらを包み込み、癒しの力をありったけ注ぎ込んだ。  チェルナーはようやく満足したのか、イーラから離れて、イーラの額にキスをすると、音もなく消え去った。 「ツルハ伯爵さま」  イーラは疲れを感じながらも、できるだけ声に張りを持たせて口を開いた。 「伯爵家を途絶えさせないための、よい気づきをチェルナーさまは示してくださいました。伯爵さまの血に連なる方たちに、さらなる癒しを」  イーラの言葉とともに、ツルハ伯爵の上から水色の光が降り注ぐ。  本来ならば癒しの力を使いたくなかったが、チェルナー自らが具現化して、イーラに預託していったのだ。  イーラ個人の感情など、ないに等しい。  ツルハ伯爵が納得したかどうかは分からないが、時間にもなったため、部屋を出て行った。 「イーラさま」  トマーシュも思うところがあったのだろう。珍しく名前を呼んできた。 「チェルナーさまの御心のままに」  イーラが日々の生活に困らないのは、神殿で保護されているおかげだ。  そして、チェルナーの愛し子でもあるのだから、チェルナーには逆らえない。  そうして今日もイーラは静かに話を聞き、癒しの力を最後に与え、帰って行く人たちを見送った。  それにしても、今日はいつも以上に疲れた。  お勤めが終わった後はいつもなら自分で部屋から出られるのに、今日は立ち上がることができなかった。  いつまで待っても小部屋から出てこないイーラを訝しく思ったトマーシュは、断りを入れてから小部屋に入り、ぐったりと力なく座っているイーラにさすがに思うことがあったようで、慌てて近寄り、その身体を抱き上げた。 「トマーシュ!」 「イーラさま、無理をされすぎです!」  イーラは反論したかったが、もうその気力さえない。  トマーシュになされるがまま癒しの部屋から出され、イーラの部屋に戻された。  シモンはイーラのことを考えて身体に負担のない食事を作り、自力では食べられないイーラの介助をして、エミルに身体を拭われ、寝間着を着させられて、早々にベッドに寝かされた。  疲れていたイーラはあっという間に眠りに就いた。
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