遥かとおい、夢のさき

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「……」  毎朝鏡で見る自分のこの顔は、名前が似つかわしいような端整さがあった。長く伸ばした黒い髪は大きな肩書に相応しい気品を与えた。身体を鍛えるようにと続けてきた弓道のおかげで引き締まった腰回りやすらりと伸びる背筋は優雅さをも(まと)わせた。  けれど、それは全部仮面を被った私だ。 「もうこんな季節なのね」  町を夕景に燃やす風の冷たさに暖かさが引っ付いている。もう数週間もすれば春が終わり、夏が来る。その前に傘の花咲く雨の時期があるけれど。  何もしなければ、私の未来は決まっている。いつどこで、何をするかなんて、昔から大きなことから小さなことまで私に決めることはできなかった。  捲る日々の行く先が分かっていても、季節の足取りははっきりとは分からない。  そんな風に、季節が分からないうちにやってくるものならば――。  は、或いは春だったのかもしれない。 「………」  不機嫌を顔に貼り付けてに歩くその姿は、一つも院則に縛られることなく、自由さを象徴していた。茶色に染められた髪、可愛らしい髪留め、ふともものところで(ひらめ)くミニスカート。着崩した制服には、私の首元に留まるピンの影もなかった。  後になって考えると、それに相対する私は、ある意味では対極的で、またある意味では重なっていたのだ。  互いに不干渉を貫く。目も合わさず、声もかけない。  これは、としてなのか、或いは。  通り過ぎると、彼女からは愛らしい香りがした。 「待ちなさい、滝夢奏(たきゆめそう)さん」  私が言うと、少ししてから彼女は振り返る。  しかし風紀委員長としては、不干渉のままでいるわけにもいかない。適切な格好をできない生徒には、相応の言葉で以て接しなければならない。  半ば声を掛けられると予感していたようなその顔には、気怠さ以外に、何かが隠れている気がして。 「何?天下の生徒会副会長の遥美麗(はるかみれい)様が、底辺のあーしに何の用?」 ――その私は、随分と尊大だな。  それも、装いきった、重ね着の私。 「心当たりならあるんじゃないかしら?その髪や、スカートや、他にね」  垂れる黒の長髪を耳の後ろに流しながら、私はいつも通りの毅然(きぜん)とした態度で声を張った。公の場に出る事も多く、学院でも生徒や先生と、事務的な会話を幾度となく繰り返してきた私には、どんな声がどんな場所に効果的か、瞬時に嗅ぎ分けて出せるようになっていた。  私の空気を張り詰める声色に、彼女、滝夢奏は――憧れてしまうくらい、自由に笑った。 「は?そんなのあーしの勝手でしょ。大体、院則なんて守ってるやつの方が少ないし。まずあーしからじゃなくて、お嬢様方から直されたらどう?」  挑戦的な口調の中にも、どこか弱さが垣間見える。  イメージするつもりもなく、脳裏で重なるのは、気味の悪い笑顔を浮かべた私自身だった。 「あら?学院全体の風紀を正すなら、まずあなたのような例からやるべきだと思ったのだけれど」  皮肉に皮肉で返すように、私は身長的にも、上から見下ろすように言い捨てる。 ――が。 「ふん。風紀委員長さんがあーしにご高説くれるってのはありがたいけど、あいにくとあーしは縛られるつもりはないから」  頑として同じ姿勢を貫く彼女。  このまま別れては、きっと次に会うのはずっと先になるだろうと思って、無駄だろうとは思ったが、 「もし、あなたにその気があるなら、生徒会室に来なさい。私に出来ることなら何でもするわ」  振り返りながらそう告げて、この会話はここまでと、打ち切る意志を見せる。  私の後ろで、彼女も同じように歩いて行くのが分かった。  この時は、きっとこう言っても彼女が来ることはないだろうと思っていた。  けれど、振り返ってみればこの時私が彼女に重ねたイメージは、何かの予兆だったのかもしれない。  ふと、そんな風に思い出すことがある。  冷たい夕闇の春の風と一緒に、に訪れた雨みたいだった。乾いた地面を濡らした雨。鼻をつく独特なにおいが特別な記憶に根を張ったみたいだ。  私の言葉をどう受け取ったのだろう、と滝夢奏のことを考えていた。彼女にまつわる問題の解決のためとはいえ、図々しかっただろうか、早計だっただろうかと思案する。  結論が出る前に職員室についてしまった私は、そのまま鍵を返して、学校を後にした。  結局、どちらともうまく考えがまとまらない私をからかうみたいに、夕方の春の風は、肌を撫でるように過ぎていった。
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