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後編
週明けの朝、最寄り駅を降りて大学に向かった。
しばらく歩いていると前方にワタル君が友達と歩いているのが見えた。
朝からすごく元気そうだ。
ワタル君の友達が身振り手振りで何かを話していて、ワタル君はその話に驚いたり笑ったりしている。
急にワタル君が友達にのしかかって、友達が重みで倒れそうになってる。
危ないなあ、と思っていたら、誰かが私の横を通り過ぎた。
ふんわりと甘い花の香りがその人の去ったあとに残る。
ワタル君と同じゼミの女の子だった。
ワタル君の方へ走り寄った。
「もう、危ないって、何やってるの」
彼女がワタル君の肩に手を置いた。
ワタル君がイタズラが見つかった子供のような表情で彼女を見て笑った。
友達も彼女に楽しそうに話しかけた。
私は声をかける気がしなくなって、後ろにいる事に気づかれないようにゆっくりと歩いた。
ワタル君は印象もソフトだから女の子に警戒されないし、一緒にふざけてる姿もたまに見る。
でも彼女は私一人。
そう言い聞かせてきた。
だから大丈夫だと。
いつも平気なフリをしていた。
嫉妬してるなんてワタル君に知られたくない。
でないと自我が崩壊しそうだった。
それが私のワタル君にしている最大の隠し事。
そう思っていた。
その日は授業が終わって、教室で友達と別れた後、待っていてもワタル君は来なかった。
携帯をみたら、ワタル君からのラインが来ていた。
授業からの流れで急遽ゼミの飲み会が決まったらしい。
了解、とスタンプを押してから一人教室を出る。
今からでも急いだらさっき教室で別れた友達に追いつくだろうか、とも思ったけど疲れそうだからやめた。
帰りに本屋に寄る。
いつもは建築関係のコーナーをワタル君が見ている間に私は好きな作家の小説をチェックしたりするから常に一緒という訳ではない。
なのに今日は一人でいるのは寂しい。
晩御飯も頑張って作ろうという気も失せて、スーパーにはよらずに冷蔵庫に残っているもので間に合わそうにした。
なのに家に帰ったら明日のパンも牛乳が足りない。
今更駅前のスーパーまで戻るのが嫌で、まだ家に近い普段行かないコンビニまで買いに行く事にして家を出た。
近道になりそうな路地があったのでなんとなく入る。
それが失敗だった。
急に道が狭くなって行き止まりになってしまった。
「あーあ」
つい声に出してしまう。
ワタル君と散歩する時もよくそうやって知らない道に入って道がわからなくなったりする。
でも二人でいるとそれはそれでまた楽しくて、時々地図アプリの助けを借りながら迷路を脱出をするかのように歩いた。
でも今は一人だ。
行き止まりの柵に向かって歩いた。
向こう側は初めて見る景色だった。
柵の向こうは急に道がなくなっていた。
こちら側が崖のてっぺんで、
その向こうの崖の下には広い空間があった。
手つかずの荒れた空き地、その奥にはマンションの駐車場が連なっているのが見えた。
こんなに住宅が密接している中でそこだけが何もなくぽっかりと空いているのが異様にみえた。
きっとまだ私の見たことのないこんな所が身近にたくさんあるのだろう。
私はこれからもずっとこうやって散歩して発見していくのだろうか、と思った。
20年、30年後も。
この狭い世界で。
急に息が苦しくなった。
私はずっと変われないままなのか。
システマティックな中学、高校を卒業し、やっと自由な大学生になっても、私は相変わらず引っ込み思案で世渡り下手な人間だ。
どういう訳か高スペックのワタル君と付き合っている、でも私自身が変わった訳ではない。
ワタル君がハイブランドのジャンパーを着こなしていても私がおしゃれになる訳でもない。
ワタル君に友達がたくさんいてもその人達が私の友達という訳ではない。
ワタル君が建築という自分の好きな事に向かって大学でもプライベートでもまっすぐに進んでいる事も頼もしく思う。
でも、私は何の目標もなくただただ生きてるだけ。
ワタル君と一緒にいるだけで幸せで、ワタル君に良い事があれば素直に良かったと感じている。
でもそれは私の自身の事ではない。
私が成長してる訳ではない。
私はずっと変わらないでここにいるのだ。
ワタル君と自分と比較してしまうと
私達は全く釣り合っていない
「あーあ」
私はその場にしゃがみこんでしまった。
「もしもし、ほのか」
夜に掛かってきたワタル君からの電話に2、3度私は出なかった。
今の気持ちのままじゃワタル君にどんな風に接してしまうか自分でもわからなかったから。
次に掛かってきたのは夜中の3時だった。
さすがに悪いと思って電話に出た。
「…何?」
「何、なんてほのかは相変わらずつれないなあ、何度か電話したんだよ」
笑いながらやさしく咎めるようにワタル君は言った。
「ごめんなさい」
「いや、声が聞きたいだけだったんだ、しつこく電話してごめんな。
ほのかが側にいないって考えると我慢できなくなって」
この人たらしめ、と心の中で思う。
そんな風に言われたら誰でも惹かれちゃうじゃない。
「ううん、心配かけた私が悪い」
「ほのか大好き」
甘えた声でワタル君は言った。
ワタル君は大分と酔ってるのだろうか。
電話の向こうは静かだけど家の中ではない気がした。
「ワタル君、今外にいるのかな、大丈夫?」
「本当にほのかはつれない」
ワタル君は、はあぁと、ため息をついた。
「だって心配で」
「うん、ごめん、俺しつこいよね」
ワタル君は続けた。
「ほのかと離れて飲んでる時はさ
その場はまあ普通にか楽しいんだけど
いつも最後はほのかに会いたくなるんだ
なんかほのかが、いつか俺の前から消えてしまう気がして
寂しくなってくるんだ」
ワタル君の言葉にギクッとする。
「ごめんな、夜遅くに、また電話する」
ワタル君は電話を切った。
慌てて私から電話する。
このままだとお互い苦しい夜を過ごす事がわかってるから。
「ワタル君」
「うん…」
家の側をバイクが通り過ぎた。
するとその音が続けて受話器の向こうからする。
「ワタル君、今どこにいるの」
「言わない」
「言わないと私探しに行っちゃうよ」
「何言ってるの」
私は携帯を持ったまま静かに部屋を出た。
階段を降りて玄関で靴をはく。
何かを悟ったのかワタル君が歩く音がした。
玄関を出てポーチを抜けて外に出ると向こうに人影が見えた。
ワタル君だ。
駆け寄っ行くとふざけて手をひろげて待っている。
仕方ないなあ、と思いながらその胸に飛び込んだ。
ワタル君は私を抱きしめて持ち上げるとくるくると回った。
すごく嬉しそうだ。
「どうやって来たの?終電の時間もとっくに過ぎてるよ」
家の近所はあまりにも静かだから声が少し声がひびいた。
とりあえず、駅の方へ歩き出した。
「電車なかったからさ、歩いて来た」
満足そうな顔でワタル君は言った。
「歩いて!」
駅3つ分はある距離を歩いたんだ。
妙に感動してしまう。
駅は既に閉まっていて静かだったが、バスのロータリー付近はまだライトがついていて明るかった。
二人でバスの待ち合いのベンチに座る。
ほのかはまた何か考え始めたのだろう。
顔をしかめて下を向いている。
僕は今日ははっきりほのかの話を聞こう、と思った。
何か今、すれ違いそうな気がしたから。
ゆっくりとほのかが話し出すのを待った。
ほのかはポツポツと自分の欠点を話しだした。
そしてほのかは僕と違うという。
なんとなく言いたい事はわかった。
ほのかは今の自分に不満があって変わりたいと思った。
ただじっとしてる自分が嫌になったんだ。
「だからって僕から離れようなんて思わないでね」
僕はほのかを抱きしめた。
冗談じゃない。
ほのか自身が変わりたいからといって僕たちが別れる理由にはならない。
そんなの、とんだもらい事故じゃないか。
僕は説得を始めた。
みんながみんな目標を持っている訳ではないよ。
僕だってなんとなく好きな事をしているだけで、しっかり先の事考えてる訳じゃない。
僕の周りの人間だってほのかと同じようなもんだよ。
それにそんな事どうだっていい。
僕がほのかと付き合ってるのは、ただ大好きな君を愛おしみたいだけだよ。
ほのかの外見が嫌いだったら付き合ってないし、付き合うのには社交性が必要があるなんて僕は考えた事もない。
それに僕は今こんな時間ここまで押しかけてきて何してるの?
電話に出てくれないからってだけで、こんな夜中に家まで来てるんだよ。
僕は君にこんなに甘えてるのにほのかはそういうところにちっとも気づかない。
ホントに君は僕をかいかぶり過ぎてる。
彼女が僕の言うことに納得してくれたかどうかはわからない。
でもさっきよりは落ち着いて来たように思えた。
抱きしめる手を緩めて僕はほのかの顔を覗き込んだ。
ほのかは全くわかってないんだから。
僕がすごいというのならそのすごい僕が夢中になってる相手の君はもっとすごいんだよ。
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