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「せ…、センパ…ッイ、速い…ッ、速いです…っ…!!」
ぜぇぜぇと息をする松芝の情けない声に、俺はようやく立ち止まった。
まぁ、そりゃそうか、毎日鍛えてる俺とこいつじゃ体力の差は歴然である。
ふぇぇ…と音を上げる松芝の後ろは夜道が広がるばかりで、誰も追いかけて来ていないことが確認できた。
「情けねーな、こんくらいのダッシュで男がひーひー言ってんじゃねぇ。モデル様だかなんだかしんねーけどもっと鍛えたほうがいいんじゃねーの。」
息一つ乱れていない俺は、はぁはぁとまだ荒い息遣いの松芝の上から呆れたような声を投げつける。
さっきのコイツの様子がやけに心に引っ掛かって、俺はいつもより大袈裟なくらいの煽り文句をぶつけていた。
「…ドキドキ吊り橋効果…、…愛の逃避行…。」
…そんな俺にボソッと打ち返された鳥肌モノの妄言に、俺はそうだもう一度本屋にコイツを置き去りにしてこようそうしようと本気で思い直す。
情けを見せたことを本気で後悔した。
「…センパイ、手…、あったかい…。」
言われて俺はそこで初めて、松芝の手を握ったままであることに気づいたのだった。
「ほらよ。」
殆ど投げつけるように水が入ったペットボトルを松芝の方へ放り投げると、ヤツは意外と上手にそれをキャッチした。
「あ、ありがとうございます…!…センパイから初めて、モノを貰ってしまった…!!!」
感動したような目で自販機で買ったなんの変哲もない水を、キラキラと眺める松芝に俺はもうツッコむことすら諦めた。
両手でペットボトルを大切に持つそいつを横目に、自分もゼロカロリーのコーラを口に含む。
夜の公園には気持ちの良い風が吹き抜けていた。
「…助けてくれて、ありがとうございました。」
「…別に…。」
ふいに松芝が顔を上げてこちらに小さな笑顔を向けた。
さっきの囲まれてた時との表情の差に俺は少し戸惑う。
さらに言えば、モデルをしてる時のあの別人みたいな顔も。
一体ホントのコイツはどこにいるんだろう…なんてことを思い掛けて、いや、どーでもいいわ関係ねーわと思い直した。
「あ、そうだ…!センパイ、これ!! 」
そう言って松芝はいそいそと手に持っていた紙袋から、場違いなほど綺麗にラッピングされた箱を取り出す。
「ちょっと待ってくださいね♪」
いや待たないと言い返した俺の返事などは当然の如く耳に入っていないようで、ヤツは鼻歌交じりに箱にかかっているリボンを長くて細い指で丁寧にほどいていく。
ラッピングを綺麗にほどいたヤツが、じゃん…!という自発的な寒い効果音と共に俺の方に付きだしたのは、2つ並んだカップケーキ?のようなものだった。
「良かった、走ったからぐちゃぐちゃになってたらどうしよう…って心配だったけど…。センパイこれ!!手作りなんです!センパイ部活の後お腹空くって言ってたでしょ?」
満面のキラキラした笑みに俺は思わずどこからツッコもうかと悩みすぎて逆に思考が停止してしまった。
カップケーキの甘い香りだけがほのかに周囲に揺蕩う。
「…。」
思考と共に動きも停止し、俺はそのやたらクオリティの高いお菓子たちをただ凝視していた。
箱の中まで丁寧に緩衝材が敷き詰められ、ふりふりのなんかよくわからないペーパーや謎のハート型の飾りで可愛くラッピングされていた。
…これ、すべてコイツがやったのか…?
その姿を想像しかけたが、あまりに怖すぎて止めた。
「おからパウダーを使ってて、高タンパク低カロリーですよ。運動の後でも食べやすいように甘さ控えめです!あ、こっちはココア味です。」
「…お前料理もできんの。」
どんだけハイスペックなんだよコイツ。
いやもうハイスペックとかそういう問題ではない気がする。
「いえ、特にしたことはなかったんですけど、でもレシピさえあればなんでも作れそうだな、って思いました。センパイのためだったら。」
「…。…変なもん入ってねーだろうな?」
「入れていいんですか!?」
「…。」
キラキラと目を輝かせるコイツはやっぱりいつもの松芝だ。
それになんとなく安堵する俺がいた。
…まぁ、このお菓子たちに罪はないし、それに部活終わりで本屋に来たから確かに死ぬほど腹も減っている。
鼻を擽るカップケーキの甘い甘い香りが、どうにも俺を誘惑する。
じゃあ、まぁ遠慮なくもらうわ、とそれを口にした俺を松芝が期待と不安が入り雑じったような表情で見つめていた。
…ん。
「美味い。」
「ホントですか!?良かった…。」
「いや、マジで美味い。何これバナナとか入ってんの?」
「はい!疲労回復に良いって聞いたんで、バナナとアーモンドも入れてます!」
…すげぇな、こいつ。
「…センパイのために、アスリートフードマイスターみたいな資格、取ろうかなって…、」
「…。」
前言撤回。
少し視線を外して顔を赤らめ乙女のようにもじもじし始めるコイツを、少しでも見直しかけた俺が間違いだった。
やっぱりどっかのネジがぶっ飛んでいる。
お菓子は死ぬほど美味いが、コイツの思考回路はやはり色々とオカシイ。
「…なぁ。」
「はい。」
2つとも綺麗に平らげ、程よく満たされた小腹にコーラを流し込み、俺は改めてそんな俺をほやほやした顔で眺める松芝に視線を向けた。
「さっきなんか様子おかしかっただろ、お前。本屋で囲まれてた時。いや、お前がおかしいのはいつもだけど、なんかいつも以上におかしかったっつーか…。なんかあったの?」
「…っ、」
俺の言葉に松芝がその大きな瞳を見開く。
「や、別に話したくねーならいいけど。なんかあんならケーキの礼に聞いてやらなくもねーよ。」
どうせまたキラキラしたヤバい目でセンパイ…!!とか言うんだろうな、と思ってたら、松芝の反応は俺が想像していたものとは全く違い、むしろ地面に目を向けて塞ぎ込むように俯いてしまった。
暫しの沈黙が流れる。
あれ。なんかやばいこと聞いたかな、と思っていたら松芝がゆっくりと口を開いた。
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