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結局。
貞操の危機は守られた。
さっきは多少血迷ったものの、適切な距離を開け、適切な位置を保ったまま、俺と松芝はもうしばらく夜風に当たりながら他愛ない会話を続けていた。
コイツとゆっくりこうして話すのは、実は告白を受けて以来初めてで、まぁなんだかあのまま終わると思ってたのに妙なことになってるよな、って思いは否めない。
…否めないが、不思議と嫌でもないのがまた、怖くもあり…。
「…じゃ、まぁそろそろ帰るか。」
携帯で時刻を確認すると、結構いい時間になっており、俺は立ち上がった。
「…そうですね。…あ、センパイ。」
ふ、と距離を詰めた松芝がそっと手を伸ばす。
「!?」
瞬時に身構えた俺の肩をぽんぽん、と払うと松芝はふ、と見とれてしまいそうな笑顔を見せた。
「…葉っぱ、ついてました。」
「…おぉ…。ありがと…。」
ちょっと騒がしい胸に危険を感じ、俺は松芝から目を反らす。
「…センパイは、俺のこと、絶対絶対好きになる。」
「はぁ!?」
ふいに聞こえてきたとんでもなく恐ろしい言葉に俺は全力で振り返った。
「何言い出してんだお前!?」
「…良く当たるって雑誌の恋愛占いに書いてたんです。将来こうなって欲しいって言葉を口に出すといいって。」
「いや怖い!」
にっこり微笑む松芝に俺は引きつった表情を返す。
「俺のこと光大って呼びたくなる、俺といつもいつも一緒にいたくなる、俺とキスしたくなる…、」
「変な呪いかけてくんな!!」
お構い無しに続ける松芝に俺は二発目の頭突きを食らわせてやろうかと構え始める。
「…まだ、帰りたくなくなる。」
「…。」
そんな俺を真っ直ぐ見ながら、少しだけ淋しげに松芝が溢した。
「…なんて。流石にもうこんな時間ですもんね。今日はほんとに、ありがとうございました。センパイとたくさん話せて、良かった。嬉しかったです。」
「…。急に引くなよ…。」
松芝はもう不穏な呪いの言葉の数々を吐くことはなく、ゆっくりと立ち上がる。
20センチほどの身長差のある綺麗な面差しが、俺を優しく見つめていた。
「…また、作ってこいよ。ほんと、美味かったから、ケーキ…。」
「…はい。」
待て待てこれじゃまたこうして会いたいって言ってるようなもんじゃねーか。
やばくねーか、俺!?
迷っているところにふ、と影が指したかと思うと。
つ、と頬に柔らかく温かいものが触れて、瞬時に離れた。
「!?…お前…っ!!なっ、何を…っ!?」
パニックになる俺に松芝は落ち着き払った笑みを見せる。
「…ケーキの残りが付いてました。」
「!?嘘付け!!つか付いてたんなら普通に指で取れ!!」
「味見忘れてたんで。」
こ、コノヤロー…!!
「調子乗んな、バカストーカー!!
刺身は塩で食ってます、みたいな顔しやがって!」
「えー、普通に醤油ですよ?」
「朝は採れたて小松菜のフレッシュなスムージー作ってます、みたいなヤツは苦手なんだよ!!」
「いや、別に作らないですけど、あ、でもスポーツしてる身体にも凄くいいみたいだから、毎朝俺がセンパイに作って、センパイを起こして…。…ふふ、幸臣さんスムージー出来ましたよー、なんて…。」
「…。」
うっとりと幸せそうな表情を浮かべるコイツを、俺は言葉も失ったまま激しい脱力感と共に見つめる。
腕にはいつものトリハダだ。
…けど、こいつがさっき触れた頬がやたらと熱い。
胸がやたらとうるさい。
「…ふざけんなボケ!!」
それらを振り払うように脇腹に一発入れると、さほど平気な様子でヤツは痛いですよー、などと嬉しそうにほざく。
あぁ、付き合うとか死ぬほど無理だって思うのになんだかコイツとの時間を段々と心地よく感じ始めているのはきっと気のせいだ。
気のせいだろ…?
気のせいだって思いたい。
どこか顔を赤くしながら無遠慮に足蹴にする俺に、それでも幸せそうに笑顔を向けるこの綺麗な長身の男。
さっさと歩き始めた俺の後ろを、まるで尻尾を振りながら一途に追いかけてくる犬かのように着いてくる。
その姿を視界の端に確認しながら、俺はまた騒ぎ始めた胸の鼓動に目を反らすように大きく息を吐いたのだった。
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