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今考えれば、それは“命があることのありがたさ”を伝えることはもちろん、“存在しなかったことになれば、姉が不憫”という思いがあったからではないか。「お母さんにいってはいけないよ」―――内緒話をするようにつけ加えられた言葉から想像できる。
両親はこのことを、わたしには明かさずにするつもりだったらしい。
祖母との約束をわたしは守った。「両親もつらいんだ」という気持ちが、幼心にも理解できたから。
一方で、「願っていればいつか必ず逢える」―――その言葉を、額面通りわたしは信じてもいた。
おそらく、「いずれ天国で……」との意味だったのだろうが、姉の死を受け入れながらその言葉を疑わない矛盾、それを自身に指摘できるほど、そのころのわたしは大人ではなかった。
だからそれから散歩するときには、片方の手で祖母の手を握り、もう片方の手で、見えない姉の手を握った。いずれ逢えたときの予行練習と思っていた。
同時にそうすることによって、
姉はどんな顔をしているんだろう……?
どんな声で、どんな話し方をするんだろう……?
そんな想像が自ずとわき、そして脳裏に、彼女の姿が徐々に描かれていった。
たまに祖母の耳に口を寄せ、
「今お姉ちゃん、なにしているんだろう?」
「どこにいるんだろう?」
「どんな友だちと遊んでいるんだろう?」
と、囁いてみたりもした。
そのときの祖母の答えはどんなものだったか……。
おそらくあたりさわりのない返答だったと思うが、どこかに寂しげな響きを感じていたようにも……。
ほかにも若くして亡くなっている者が家族内にいることを、わたしは小学校へあがると、やはり祖母から知った。どんなきっかけでかは忘れてしまったが……。
それは母の初婚の相手、いわゆる姉の父だった。
祖母によると、なんでも姉が生まれてくることを喜び、いっそう仕事に精を出しすぎた結果、躰を壊して……。ということだったらしい。今でいう過労死か……。
本当の死因は知らされなかったが、初婚の相手の存在に関してだけは、母はわたしに隠そうとしなかった。彼の位牌が先祖代々のそれと並び、うちの仏壇に安置されているので、いずれわかると思ったのかもしれない。なので昔から、お盆、お彼岸には、現在の夫(わたしの父だが)も含めた家族みんなで、彼の墓前にも花を手向けている。
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