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赤い糸
俺には赤い糸が見える。
ただの赤い糸では無い。
小指に結ばれているであろう、赤い糸だ。
いつから見えるようになったかと言えば、今日の夕方から。
そう、なんとついさっき。
高校二年生に上がって三日目の事だ。
「じゃ、今日はここまで」
との声にハッと頭を上げて周りを見渡すと、クラス内で勝手に決められた図書委員の初会議が終わったところ。
どうやら会議の途中からずっと居眠りを貫いていたらしい。
隣に座っていた筈の隣のクラスの委員も無情にも眠っている俺に声を掛ける事無く帰って行ったようだ。
ざわざわと賑やかな教室が少しずつ人が居なくなり、数人残っているだけの話声が聞こえる中、寝起きの俺の眼にふと映ったもの。
それが赤い糸だった。
(さて、どうしたもんか)
薄く細いけれど、確かに赤い糸。
一瞬誰かの悪戯かとも思ったが、自分の小指から伸びている糸は限りなく何処までも伸び、しかもそれだけでなく、他人のモノまで見える。
マジか。
そろりと指の先で撫でてみれば、きちんと触れるそれ。
糸だ。
その質感は紛れも無い糸。
けれど、力一杯に引っ張ってみても千切れる感じも無く、無駄な丈夫さを感じさせられる。
一体どうしろと?
まさか他人様の糸を辿り、恋のキューピットでもしろと言う神からの天命かとも思ったがあまりに長い糸。校庭を見ても、校内を歩くだけでも複雑に広げられた糸から個人を特定するのは難しいようだ。
これで街中にでも行ったら赤い絨毯のようになるのかもしれない。
眼には見えるし、触れる事も出来るが存在は無いに等しいのだろう。歩くにも扉を開けるにも靴を履くにも何の邪魔にもならない糸は生活する上には困るものではないらしい。
玄関を出てしばし小指を見詰める。
俺の指にもある赤い糸は、『本物の赤い糸』なのであれば、所謂そう言う、例の、あれ、なのだろうか。
運命の、赤い糸、ってやつ?
別に運命とかを信じている訳じゃないけど、こうして目に見えているからにはその説しか浮かばない。
と、言う事は、だ。
俺にも運命の相手が居る、と言う事?
彼女居ない歴17年、陰キャ代表、ぼっちの俺に?
そう思うと、ドキドキしてしまう。
一体何故こんなものが見えるのか、だとか、頭が可笑しくなったのだろうか、とか、色々な疑問はあるけれど、もしそうならば若干の期待がある訳で。
だって、それって、こんな俺でも運命と言うものがあるんだ。
見た目もぱっとしなければ、世に放つような頭がある訳でも無い。運動だって普通としか言いようがなく、その上社交的でないタイプ。
モテる筈もなければ、当たり前に恋人なんて出来た事も無い。唯一大事にしていた友人も高校が違ってしまい、結果ぼっちの末路ときたもんだ。
まあ、そんな事はおいといて。
他の人には見えていない赤い糸は当然帰宅していく生徒達にもある訳だが器用にもこんがらがると言う事は無さそうで、けれど集結しているところは濃い赤が目立つ。
そちらにと眼をやれば、校庭近くに設置してあるベンチに人の塊が見える。
女子に囲まれた男達。
俺から見たら、いや誰から見ても所謂一軍と呼ばれる生徒達。
当たり前だが女子に囲まれて楽しそうに談笑しているのはイケメンと呼ばれる男等でその中でも一際眼を惹くのはスラリと長い脚を組み、薄い笑みを浮かべている、隣のクラスの男だ。先程まで同じ委員会で同じ教室に居た、そう隣の席に座り、眠りこけている俺に声を掛ける事無くとっとと出てきたであろう彼。
つるんでいる男達が賑やかな所為か物静かに見えるが、そのスタイルと端正な顔立ちが目立ち、カリスマ性とオーラとでも言うべきか、俺でも感じるカリスマ性。
きっとこれから一生あんな風に話す事なんて無いんだろう、なんて思っていたが図書委員会なんて地味な委員会で一緒だったのは驚きだった。
横目でチラリと見遣れば、やっぱりある赤い糸。
誰とでも遊んでそうな彼等でも小指に巻かれた糸があると言う事は運命の相手が何処かに居るという事なのだろうか。
ふっと顔を上げた彼と眼が合ったような気がするけれど、すぐにまた誰かに話しかけられたらしくそちらに顔を向ける。
俺も早く帰ってゴロゴロしたい。もう糸の事は帰ってから考えよう。
風呂に入っても、飯を食っても、朝起きても、
「…ある」
赤い糸はそのまま。
ついでに母親に向かって、赤い糸見える?なんて聞いてみたが、ただただ気まずそうな、気の毒そうな顔をされるだけで気まずくなってしまったから二度と言わない。
そして、翌日。
「あ、れ」
赤い糸は昨日よりも薄くなっている。
触ってみても触れている感覚が無い。
まさかと思うが一夜にして俺の運命の相手とやらは心変わりしてしまったのだろうか。
「えー…んだよ、もう」
朝から下がるテンションは底知らず。
これは赤い糸だ、この先に未来の伴侶がいるっ!!なんて胸を弾ませていた訳ではないけれど、気持ちの良いものでは無い。
(少しは期待したけどさぁ…)
もやる気持ちを抑えつつ、仕方なしに本日も定期の学校へと向かうべく、俺は溜め息を混ぜつつ制服へと着替えた。
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