赤い糸

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* ーーーー、 ーーーーーか? 「ーーーーの、」 「え、」 「あの、大丈夫ですか?」 ぱちっと眼を開ければ、目の前で不安そうに此方を伺う女の子に俺はきゅっと胃が引き攣るのを感じる。 何、俺何してた? 此処、どこだっけ、 「ーーーあ、」 そうだ。 此処は図書館。座っているのは図書館のカウンター。 図書委員会は週に一度、放課後にこうして校内の図書館で本の整理から、利用者への貸出、返却処理を行うのだ。 そうして今日は俺のクラスの日。 「本を、借りたいんですけど…」 「あ、ごめん、」 一年生であろう女の子が遠慮気味にそう本を差し出すのを慌てて受け取り処理を済ませる。 何をぼーっとしていたんだ、もしかして寝てた? 少しだけ顔に熱を感じながら本を渡せば、はにかんだ笑みを浮かべて白く小さな手でそれを受け取ってくれるが、 (あ、) 赤い糸が見える。 しっかり、はっきり。 彼女の小指にも、俺の小指にも。 自分だけが薄くなってしまったと思っていた赤い糸だが、他人の糸も見え辛くなってしまっていた為に、神からのギフトも一日の物だったのかぁなんて思いつつ、まじで俺どっか可笑しかったのかもなんて密かに不安におもっていたのだが、此処に来てまさか見え始めるとは。 おかえりなさい、俺の運命。 ーーーーん? じっと小指を見詰めると糸が少しだけ太い気がするのは気のせいだろうか。 昨日よりも丈夫な気がする。 強いて言うならば、絹のようだったものが刺繍糸くらいになったような。 何故? さっきの女の子は普通に細い糸だった筈。 「何してんの?」 「へ、」 急に声を掛けられ、びくっと肩を揺らし声がした方へと顔を上げれば、俺を見下ろす男がひとり。 「大丈夫?何かぼーっとしてね?」 「あ、だ、いじょう、ぶ」 しどろもどろにそう返せば、ようやっと脳が機能してきたのか記憶がぐるりと回ってくる。 と、言うよりもこの男の顔面の強さで圧が掛かったとでも言うべきか、一瞬止まった息が少しずつまた呼吸を始めた。 「そう?」 ふふっと笑う男。 隣のクラスの、綺麗なこの男、木崎だ。俺はこの木崎と今日は委員会の仕事をしていたんだ。 一軍男子なんて話もしなきゃお近づきになるなんて事無いだろうなんて思っていた矢先のこの二人きりでの仕事。 ぼっちで社交性も無い俺が緊張しない訳も無く、程良い距離を取りつつ作業していたのに、この男はこんなに気さくに声を掛けてくれるものなんだな。 陽キャすげぇ。 しかもこの狭いカウンター内で隣に座り出し、身体ごと俺に向けてくる。 「やっぱ図書館の利用者なんて少ないよな」 「そう、だな」 「返却された本の整理も終わったし」 「お疲れ、さま」 「あと十五分くらいで終わるし、もうまったり進めよう」 ーーーーやばい、雑談モードだ。 正直こんな男に何の話題を振ればいいのか、さっぱりなんだけど。 俺の顔引き攣ってない? 露骨に嫌そうな顔してないだろうか。 真正面を向かなきゃ誤魔化せる? 此処に来て仕事をするコミュ障が張り切って出しゃばって来そうだ。 呼んで無いのに、ウォーミングアップを始めてる。 そうだ、作業日誌を書こう。少しは気が紛れるし、適当な返事を返しても許される筈。 カウンターの引き出しにある日誌を取り出し、俺と木崎の名前を記入し、作業内容を書き込もうとするも、 「へぇ、俺の名前知ってるんだ」 その感嘆するような声に俺は手を止めた。 「い、いや、知ってるっしょ…目立つ、し」 「目立つから知ってんの?」 「あー…まぁ、同じ学年だし…」 嫌でも話は聞こえてくるし。 「俺も知ってるけどさぁ、」 「え?」 「鹿野、鹿野宗介、かのそーすけ、でしょ」 三日月に象れた眼にぞわりと脇腹を撫でられたような感覚にさせられる。 日誌に書いた俺の名前をさも知っているように言っただけかとも思ったが下の名前は教えた覚えは無い。 「よ、く、知ってんね…」 そんなぼやけた答えしか出ない俺に、木崎がまた笑う。 「まぁね。俺結構人の名前と顔覚えるの得意でさ」 「す、げぇ、俺そう言うの全然で…」 なるほど、それが人から人気を得るコツのひとつなのかもしれない。誰だってこんなイケメンから顔と名前を覚えられたら嬉しいものだ。 現に俺も少しだけ警戒を解いてしまいそうになるチョロい男。 さらりとした髪を掻き上げる木崎の右手の小指に見える、赤い糸。 持ち主と同じで、鮮やかで綺麗な赤。 (あぁ、こいつにも…相手が居るんだよなぁ) そう思ったら何となくだが、不思議と木崎も結局は俺と同じ人間だという安堵感がじわりと宿り、ぎこちなくではあるがほんの少しだけ口元を緩める事が出来たようだ。 その日から、赤い糸もずっと見えるけれど木崎もよく見るようになった。 と、いうよりもアイツの方からアクションを起こす事が多くなった。 ーーー気がする。 移動教室中、すれ違った廊下で軽く手を振られたり、昼休みに飯を食っていれば声を掛けられたり。 時折、ぼうっとしてしまう俺を心配してくれているのか、『大丈夫?』と。 こちらも好きで呆けている訳じゃないのだが、そう声を掛けられれば確かに最近ぼーっとしている事があるような、ないような。 もしかして何かストレスを抱えていたりして、とも思ったが元気に飯が食えて寝れているのだからその恐れは低い。 けれどわざわざ木崎が声を掛けてくれるくらいなのだから、自分で思うよりも重傷だったりするのかもしれない。 そんな訳でだか、図書委員の仕事も流石に気まずさは無くなってきた。 彼の微笑みは人をリラックスさせる効果もあるのかと思うくらいに俺もクスッと笑わせてもらう事が増えたようだ。 「ねぇ、鹿野」 「何だよ」 「鹿野って友達居ないの?」 こんな失礼な質問をされるも、顔が良いと許されるのだから凄い。 作り物みたいな顔がパチリと瞬きしながら俺を見る。 「ーーー居るけど、その学校が違うって言うか」 「他校?」 「そう、その、アイツ此処の試験…落ちやがって、って感じで、」 「あぁ、なるべくしてなった結果じゃんそれ」 あははと笑いながら返却された本にバーコードを通す木崎を横目に少しだけ唇を尖らせる俺は今日も日誌を書く。 すっかり書き慣れた木崎の名前。 不思議なものだな、と、ふっと自分の小指を見詰めた。 (また、だ) 赤がまた強くなっている。 気がする、ではない。確実に赤く染まっている。
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