私が泣いた理由

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「私が泣いた理由を知って何になるのだ?」 伯爵とまわりから呼ばれている 60代の男。中肉中背のクマのような(それはツキノワグマの毛のように黒々とイキがいい。)顔面いっぱいの毛むくじゃらをたたえている。挨拶した後の第一声は、腹から声が通るようなしっかりとした声量。警戒してなのか?拒絶するように僕に強い言葉を放った。突然来た僕も良くないが、顔を見たとたんに怒鳴ることはないだろう。 「気になる人がいるんです。唐突に理由を聞くほど他人の問題に首を突っ込みたい訳じゃないのです。」 「君は、先ほど探偵を生業としています、少しお話しを伺いたいと言っていたな?失礼じゃないか。突然にアポイントメントも無しに見知らぬ者を自宅に迎える事になったこちらの身にもなってほしいものだ。」 僕も悪い。無いより連絡は、あってからの訪問のほうがいいのは分かっている。社会人なら当たり前だよな。でも今回はアポを取っていたら何時までも今後きっと永遠に約束が取れない相手の気がした。 「申し遅れました。ある人から依頼がありました。私、一人で探偵事務所をやっています。ハイ、まあこういう者です。こちらへは電車を乗り継いで来ました。3時間位ですか。事前に道のりは、googleマップ調べて来ましたが、ここのお家って載ってないんですね。他にも駅前など色々見回してたら少し遅れてお昼の時間にかかってしまいました、スイマセン。」 伯爵は僕が渡した探偵事務所の名刺をジッと見つめていた。 「その依頼とは始めに玄関口で聞いてきた「私が泣いた理由」についてか。」 玄関を入り明るく広い板張りの廊下の奥の部屋に通して貰えるところまで来た。セピア色のダイニングテーブルとそれと同色のイス。形と大きさはバラバラの他のダイニングセットから持ってきたんじゃないかと思われる6脚。それらは定規を引いたような線の上に綺麗に立たされている。さらに背もたれの高さを一致させるために不自然にひとつひとつ脚が切りとられ、高さが調整されていた。ざん切りな切れ端を隠すようにその脚には牙をむいた古ネコの絵が編み込まれた小さな靴下が履かせられていた。これはまるで年をとったボロボロの魔法のほうきが整列させられたように、不自然で悲しい気持ち悪さ。 でもきっと物を大事にする人なんだろう。 古いものを集めては今の自分の生活に合うように手直する。嫌いじゃない。というよりむしろ好感が持てた。昔、僕も大事な人に教わった。壊れたものや古いものを修理して使い続けるのを良くやっている。捨てられないんだ。市役所の妙に青やオレンジの色の鮮やかな、ごみ袋。小さい頃に、ごみ袋に捨てた縫いぐるみと瞳孔と瞳孔があった瞬間の悲しさや、その後の恐怖を感じた記憶が忘れられなくて。 左後ろの部屋は台所らしく、奥では、数人の男女の話し声と金属をぶつけ合うコォーンーッとしたお玉と思われる高音が空気の上方へ響き抜ける。開け放たれた大きな窓の外には崖の上に立つ屋敷らしく風が入ってくる。空の向こうは、青い水平線がゆっくり横たえ薄いグレーの雲が形を少しずつ変えながら左から右へ移動している。見ていた僕の鼻にも潮風が抜け笑いかける。うーん、いいかおり。昼食はエビチャーハンと推理した。(推理ではなく自然現象で運ばれたかおりだけど取り敢えず探偵なので。) 「君も食べていきなさい。この辺の魚介はそっちでは食べられない味だと思う。」伯爵はそう言うと、テーブル上に咲いたばかりという大輪の黄色の薔薇を窓の外の海の青さに染まる透明なグラスにピッチャーから水を注いで挿した。注いだ水流を見ながら美しい昼食を過ごせそうでうっとりした。 しっかり記憶して家に帰ったら絵を描こう。本業は絵画制作をしている。 水彩画のフォトフレームをイメージした。 古ネコの靴下の脚の椅子は、座ると床にぴったり着地した座り心地。 ああ…ちゃんと座る人の事を考えて調節されているんだと感心した。 僕はパッと目で見た美しさや均整のとれた様子を重視し過ぎる所があると 以前にお世話になっている尊敬している人から注意されたことがある。 内面の美しさも伴って美はより深みを増すと。 気をつけているけど未だにそういう所はあるなと久々に気付けた。 「とても素敵なお家と庭、それに窓の外の海の青さは素晴らしいですね。」 僕はいかにもなことを言ったけど、心から今、本当に思ったことをありのまま言った。 「私はあの頃に結婚はしていないけど一緒に住んでいる女性がいた。 本当は結婚する予定で指輪も送っていたが、色々あって一緒にいられなくなった。私の心変わりなんだがね。長期出張中に他国で知り合った女性と結婚。 残してきた彼女はまだ若かくて夢見るところがあり、私みたいな年寄りより も、もっと若者と一緒になったほうが将来的にはいいと思った。」 よくある話しだけど、目の前で実際にそのように人生を選択してきた人を目の前にすると心穏やかではいられなくて感情が高ぶり自然に涙がでた。涙が流れるたびに何故ここに来たのか?伯爵が話している女性の正体や本当の依頼者について思い出し始めた。 そんな僕の様子をみて言葉を選びながら伯爵はさらに続けた。 「でもねやっぱり気になって中途半端で繋がりを続けて持ってしまって。ズルさってやつ。彼女の想いが真剣なら真剣なほど…私もその状況が普通になり離れられなくなった…」 「悪いとは思わなかったのですか?戻ってくると今でも彼女は信じているのです。」 そう、この伯爵の昔捨てた女は今の僕の彼女だ。そして目の前にいる伯爵、この髭だらけの男は僕の父。小さい頃に生き別れになった父。探偵になって居場所を探しこの前やっとわかった。父は母と別れてから一度も会っていないせいか僕のことを見ても知らん顔で覚えていないみたいだ。名前も口にしない。悔しさと寂しさに涙があふれ身体は怒りに震えた。冷静に仕事を終えるため唇を噛み締め、自分に痛みを与え、なんとか冷静さと知性を取り戻した。 「依頼主は、お前だろ?大きくなったな青。」 僕は目を見開き泣きはらした顔をあげ、 父さん!と叫んだ。でもそれは声帯からでなくて心の声が先だった。 言葉より先に心の声が父の名前を口にした。 それでも伯爵、いや父にはわかったみたいだ。 父は一瞬やわらかく微笑んだあとに「青、自分を大事にするんだ。」 と最後に言い残して涙を流した。 その透明な雫の一粒は海の青さの中に消えていった。 青は絶叫したため風は心配になり青を抱きしめ涙を拭った。 そのためその日の海からの風は、午後からは、少し強めに吹いた。 涙が落ち着くと、 父だった伯爵もセピアのダイニングテーブルも古ネコの靴下も、 料理人たちもいなくなっていた。 でも大輪の黄色の薔薇はガラスのコップから離れて、 大地にたくさん咲いた。 今日は毎年6月の両親の墓参り。 少し早めの盆休みは、 繊細な心の青に海の蜃気楼を見せた。 生きていたら喧嘩も仲直りも出来たのに…と 呟いた。 帰りは1時間以上バス停で待ち、やっときたバスで30分走る。待っている間も大輪の黄色のバラの香りで心は穏やかに過ごせた。それから特急に乗って電光掲示板を見ると、春の終わりから初夏にかけて新緑の空が映る。天気予報はまだだけど梅雨の終わりに近づきつつあり、テレビや街は夏休みの話題でいっぱいだ。数年前からはじめた探偵事務所は今では一人でほぼ趣味的に調べている。事件や犯罪自体の疑問や謎を解いて依頼人の要望に応え生活や精神的な安心を回復し無事に過ごして貰えるよう導く。というのは、一人所長の一番の願いである。それを踏まえた上で、あえて僕個人何故このような職種?を選んだのかという疑問を投げかけられたとしたら、こう答えている。「犯罪を繰り返す人々の愚かさ、そしてそのたびに繰り返す改心。なぜ繰り返されるのか?繰り返す事件という名の事象とそれを生み出したと思われる犯罪者自身の過去や、その者が認識している社会像と実社会とのズレのようなものに興味があり知りたい。昔、自分が実の父を殺そうとした感情に無理に蓋をせずありのまま生きるためにも。そして僕は誰かの依頼を受け今日も見知らぬがどこかで自分に似ている犯罪者達に会いに行く。「遅れました、探偵事務所の青です。すこし駅前からお宅まで周辺を拝見していました。依頼はだいたいどんな事でも引き受けたいと思っています。僕はこんなんですがご依頼はきちんと解決をお約束いたしますのでご安心下さい。では…まずお話から…伺います…、」                               <終>
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