君がくれたもの

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君の死体を抱きしめて、僕は海の底を目指した。 尾びれを動かす事もせず、ただ重力の従うままゆっくりと沈んでいく。 腕の中の少年はその細い四肢をかつて生きていた地上へと向けていて、時折波で木の枝のように固く揺れた。 他の人魚がいないかちらりと辺りを見渡した時、波や泡とは違う感触で視界が滲んだ。涙だ。 もう一度少年の死体を強く抱きしめたが、抱きしめ返される事の無い虚無にぼろぼろと涙が溢れる。 目の奥が熱い。 瞼を強く閉じ涙を海に溶かすと、誰にも見つからない僕だけの秘密基地へと落ちていく。 少年と出会ったのは数週間前だった。 あまりの退屈さに、こっそりと行ってはいけない場所に行ったのだ。そこは人魚と人間の戦争の始まりの場所。特に何かある訳では無いのだが、不吉だとか何とかで当時の女王がそこに行くのを禁じたらしい。 少し泳いでみたが、本当に何も無かった。少し期待しただけにがっかりして泡を吐くと、残った僅かな期待を込めて海面へと出た。 もうほとんど落ちている陽に背を向け、肩から上を海面に出す。 陸地には段差が多く、誰も手を付けないそこは垂直な所まで木や草が生い茂っていて、時折赤や黄色らしき実が波風を受けて揺れている。 大して変わり映えする景色では無く、苦しくなる息を整えようと水面に顔を向ける直前。 一人の人間が視界に映った。 目を見開いた。思い切り顔を上げると、やはりそこには人間が一人、向こうも驚きで口を開けてこちらを見ていた。 勢いよく水中へ潜る。どぶん、と大きく白い泡が周りを囲う。 人間に会ってはいけない。 彼らは僕達を殺すし、僕達も彼らを殺さなくちゃならない。 だが人間なんてとっくの昔に絶滅したと思っていた。 自分の母もその母も、人間なんて見た事も無いだろう。 仲間を呼ばれたらどうしよう。早く逃げて誰かに伝えた方が。でもここに来た事がバレてしまう。 どうしようどうしようと目を回していたが、ふと気が付くと、辺りはとても静かで波の音しか聞こえなかった。 水中で耳ヒレを澄ましてみたが、声も何も聞こえない。代わりにばくばくと聞こえる心臓の音を必死に抑えながら、そうっと鼻から上だけで陸を見てみた。 やはり人間が一人そこにいた。先ほどと同じようにこちらを見ている。 自分と似たような大きさの少年だった。 彼は仲間を呼ぶ気配も無く、ただこちらを見ている。 好奇心が勝ってしまった。 「……君、人間?」 水中から言葉が届くのだろうか。その疑問はすぐに消えた。 少し間を開けて、少年は確かに頷いた。 「……人魚?本当に?」 空中で声が聞こえるなんて初めての経験だった。直接頭に響くようで、くらくらして、心臓がさらに跳ね上がった。 頷き返すと、少年は嬉しそうに目を輝かせた。
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