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最終話
「で、なんでそんなに不機嫌なんだ、きみは」
「ぎりぎり禁域を外して領内でやってる上に、国府への届け出までしているおかげで、そこの上がりはほとんど州が独占してる」
「いや、それは別に怒るとこじゃないだろう? 国府に収める税金はしっかり収めているんだから」
「セヴルーガの十倍は稼いでいるんだぞ、セヴルーガの件があったから、手つかずの他の湖に手を入れられたんじゃないか。だったら、上手くやればそっちも半分ぶん捕れたはずなのにっ」
くそ、裏切りやがってとルークは喚く。その相手とは件の州宰のことだろう。
きみは守銭奴か。リチャードはため息をつく。
いや、悔しがっているのはお金の問題じゃない。トーラス州の弱みに付け込んで上手くやったと思っていたのに、こんなに早くひっくり返された。それも子飼いの魔導師のせいで――そのことにルークは腹を立てているのだ。
「そういや、あの州にはあの頃枢密使を送ることになってたんだぞ。枢密使より情報が早いって問題があると思うが」
リチャードの指摘にルークは「たまたま」と惚けるが、要は各州にいる州宰が魔導師庁に報告する前にこの男にタレ込んでいるのだ。
州宰たち上級魔導師の大半は歴代の王子で、いわばルークが養い親だ。結びつきは固いのは必然か。だが、ルークが先に知ることで大事になることも多い。
「叩き上げの魔導師からは、おまえは王子出身の魔導師をえこひいきしていると聞いたことがある」
「へえ、そんなこと言ってるんだ?」
ルークはちらりとリチャードを見る。
「まあ、王子出身者は赤子の頃から世話してるからな。可愛いのは本当だ。叩き上げの魔導師は生意気なやつが多いのも……じゃ、そういうことでいいんじゃないか?」
「嘘つけ」
本当に目をかけているのは逆なんじゃないかとリチャードは思う。ルークもガリオールも叩き上げだ。極貧で廟に子供の頃、売られてきたと聞いたことがある。
叩き上げの魔導師は当たり前だが本当に実力がある者しかいない。王子出身者は生まれながらに上級魔導師になることが決められている。
才気溢れて負けん気も強い魔導師たち――それはすなわちルークと同じ。なんだ、かんだと構い倒しているのはきっと気になって仕方ないからだ。
「あれ、リッチー拗ねてるの? おまえは私にとっていつだって『と・く・べ・つ』だよ。可愛い雛ちゃんの頃から変わらず」
リチャードの声に棘があるのを即座に察知して、ルークの唇が楽しそうにくっと上がった。
「気色悪い。どっちがどっちでも別にいい」
顔を歪めてみせながら、自分はやっぱり拗ねているのかとリチャードは思う。王子出身の魔導師にとって、親と呼べるに等しい存在なのはルークなのだ。自分が子供だった頃など何百年も昔のことなのに。
まったく大人げないことだが。親の愛情を知らない王子たちにとって、認めたくはないがルークの愛情の風向きには敏感になるらしい。
「まあ結局、それもなんだかんだ上手くいったんだから結果オーライだろ」
「君ってやつは……」
ここでがつんと言ってやらなければと口を開きかけたリチャードが別の気配に気づく。
「ルーク様、探しましたよ」
声をかけられてリチャードは大きく振り返る。
「今日こそは溜まっている仕事をいくつかでもこなしてください」
腰に手をやった魔導師はまだ十代に見える。柔らかな金髪に青い目。ルーク付きの文官魔導師だったら上級魔導師だろう。でも、リチャードは面識が無かった。
「おい、『リチャードさま』のお部屋に勝手に入るなんて無礼だな、おまえは」
無礼が歩き回っている態のルークが言ったところで、説得力が無い。その上、入って来た魔導師にルークはべえと舌を出した。確かにこんな上司じゃ、見つけ次第捕獲しようと思うのは想像に難くないとリチャードは思う。
大変だなあと思いながらふと、リチャードはその魔導師に目がいく。
「おまえ、名前は?」
「はい、今年トーラス州の州宰の任期を終え、こちらに戻りました。カメリアと申します」
魔導師の応えにリチャードは頷く。
やっぱり。
可愛い顔を裏切る眼差しの強さ。ルークの話の登場人物として想像していた通りの印象だった。上級魔導師になった途端にトーラスに行ったのなら、見覚えが無いのも頷ける。
「さっき、きみの話を聞いていたんだ。すまないが立ち入ったことを聞いていいか?」
私生活のことなど聞くなんて不作法なことだとリチャードだって思う。それでも、いや、それだからこそ、これだけは聞きたいと思う。
「はい、なんでしょうか」
「今年亡くなったトーラスの州候ときみは、その……」
歯切れ悪くなったリチャードの問いにカメリアはにっこりと笑顔になった。
「有り態に申しますと夫婦同然でした。廟でこのことを大っぴらにはできませんけど。アラステアさまは一生独身を貫き、妹君の御子息を後継にお決めになりました。お最後を看取ることができて私は幸せでございます」
「そうか」
そうか……幸せだったのだ。
良かった。上級魔導師だからといって不幸せなばかりじゃない。そう思えることがとても嬉しい。ルークにもそう思ってもらえたらとリチャードは思う。
ある意味、生きることに厭いている、それがルークという男だ。自分自身が一番魔導師である自分を嫌っている。死に取りつかれていると言ってもいい。
「ルーク、あのな……」
「見てみろ、私のおかげだ。州が潤ったのも、カメリアが候子とイチャつけたのも全部。それなのにベアトリスめ、あのときガリオールに告げ口しやがってっ」
しかし、リチャードの思いは、ぶつぶつ文句を言うルークにはまるで届いていない。
「一体、おまえガリオールに何をされたんだ、ルーク?」
「はあ? 言うもんか。私は仕事が忙しいんだ。行くぞ、カメリア」
がばりと椅子から立ち上がると、ルークはカメリアを引き連れて足早に部屋を出て行った。
リチャードの赤い髪の色繋がりでルークは椿を連想したのだろうか。カメリアという名前の魔導師に繋げて。たわいもない思い出話だったのか、またそこに裏があるのか。ルークの思惑など思いもよらないけれど。
自分にとっては救われる話だったとリチャードは反芻するように先程の話を思い出した。
カメリアにとっての六十年は長かったのか、短かったのか。
いずれにせよ、幸せだったのだ。
見かけの年齢はきっとどんどん二人を引き離していっても、二人の思いは死が二人を分かつまで同じだった。
長く長く終りの無い人生のどこかで、こんなひと時を持てたことをきっとカメリアは忘れないだろう。
今を生きるしかない。
下を見てはいけない。考えれば考えるほど深い底なし沼に足を取られる。
でも、光があるなら生きていける。
自分もいつか光を手に入れてみせるとリチャードはゆっくりと笑った。
終り
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