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「分ったんだ、今の。うん、いいよ、気に入った」
「分ってなかったら死んでましたよ、絶対」
「だよね」
怒り心頭のカメリアに構わず、猫は前足で顔を拭くと、「おいで」の言葉と同時に歩き出す。
「どこへ?」
「ああ、あの山の上まで……」
猫の顔の方向は紛れも無くハンゲル山だ。ここから見てもハンゲル山は険しい。屋根は剣の刃渡りと言われるほど両側の斜面が急峻で歩きで登るとしたら三日はかかる。
それでもこの国の黎明期にはハンゲル山には歩きで行くしかなかったと聞くが……。
断るべきだ。廟主が帰るまでは留守番しないといけないのは本当のことだし。
「まさか、今から登るんですか」
「ん~それもいいけど、今はこっちで」
不安そうなカメリアに猫は印を組むと呪文を唱えた。
「アルベルト! ルーファス! サイロス! 解せよ! ハンゲルの廟へ通せ」
ぽっかりと真っ黒な穴が空間に現れる。これが何かはカメリアは知っていた。見たのは初めてだけど。
竜道。
ああ、やっぱりこの猫は上級魔導師だったんだとカメリアは思う。そして一体何を考えているんだとも。
猫の前足で印なんか組めるわけがない。この猫は呪文だけで竜道を開くことができるくせに、わざとやって見せているのだ。
「これって、私は通れません。上級魔導師じゃないと焼け死ぬって聞いています」
「そうそう、あっという間に真っ黒になるよ」
楽しそうに猫の尻尾が左右に揺れた。
「じゃあ、行きたくないです」
ああ……すごい魔導師かもしれない。
きっとそうなんだろう。猫の姿のまま竜道を出すぐらいなんだろうから。
――でも、話しをするほど苛々する。
カメリアは知らないが、誰もが一度は感じる思いを抱いて、灰色の猫を恨めしく見つめた。
「大丈夫、これを首にかけておけば下級だろうがクソガキだって通れる」
ほれ、とどこから出したのか猫は燻銀のペンダントを口に咥えていた。自分のことを下級だと言われるのは事実なのでいいが、クソガキ呼ばわりにはちょっとむかつく。
でも、そうか、とカメリアは合点がいく。
廟主もこれを使って竜道を行ったのか。自分の前では大変だという顔で廟を出て行ったが、出た途端に竜道を開けたのだ。
何でそんなことをするのか? 自分は大変なのだと思わせたいのか? たかだか雑用をする子供相手に。
はっきり言ってこの廟に来て、まだ日にちが浅い。でも、ここの廟主はなんだか好きになれなかった。廟にいる他の下級魔導師たちも挙動がおかしい。 廟主はやたらとベタベタ触ってくる。まだ、子供の自分を慮っているのだろうと思うことにしているが、作ったような優しい声音には鳥肌が立つ。
大人の考えることは分からないと思いながら「お預かりします」と、カメリアは猫の口からペンダントを取って自分の首にかけた。
ほんのお使いみたいなノリでついて行ったのだが、そのままカメリアはハンゲル山から帰ることは無かった。
彼を連れて来た魔導師は、なんとこの国の魔導師の中でも最高峰の位置にいる魔導師で、全国の廟を纏める総廟長のルークだったのだ。
その七年後、異例の若さで魔導師のガリオールの前で試験を受け、上級魔導師になる。なった途端にカメリアはルークに呼ばれた。
「やっぱり、私の目は確かだった。さすが私」
「今回の試験、ルークさまのゴリ押しだったと聞きましたけど」
いつもだったらこんな半端な時期に試験はしないし、受けるのは自分だけだった。それをみても、どうやら今回は異例のことなのは自分でも分かる。
「どうだって受かれば、オーライじゃない? ガリオールが私の推挙で手心を加える気なんてないと思うし」
それよりさあとルークは引き出しから紙を一枚取り出した。
「せっかく上級魔導師になったんだから、武者修行ってどう?」
「武者修行ですか」
また、自分の上司は一体何を言い出すのか? といぶかしげに首を傾げるカメリアに向けてルークは机の紙を彼の方へ滑らせた。
「ここの州宰だ。ちょっと寒いけどここに近いし、ホームシックになったらいつでも帰ってこれるだろ?」
「お言葉ですが、竜道を使うんだから、距離なんて関係ないです」
「ったく、いつの間に師匠に口応えするようになったんだか。いいからそこでキャリアを積み上げてここに帰っておいで」
ルークはぷうと両頬を膨らませたが、きっとそれを指摘してもらいたいはずだとカメリアは思う。が、わざと知らん顔した。だって、それどころじゃなかったからだ。
簡単に州宰というが、州候を補助して州の政事を指揮する役職だ。若干十七歳の自分に務まるのだろうかとカメリアは心配だ。
「できるでしょうか」
「できるって。魔導師なんて外見若くても歳食ってると皆思ってるから、本当に十七歳なんて思いやしない。二百年は生きてますって顔をしとけ」
そんな安請け合いのアドヴァイスをもらい、カメリアはトーラスの州宰として赴任したのだった。
魔導師は歳が分からない――そうは言っても十代に見える上級魔導師はなかなかいない。たいそう驚かれはしたが、ボロを出すこともなくカメリアはここでやりがいも感じながら仕事に励んでいた。
ただ、二歳下のこの州の候子とどう接したらいいのかが分からない。他の官吏や、侯爵や貴族たちは見た目は若いが、実は自分より歳が上なのだろうと、カメリアに対してそれなりの対応をする。
それなのに、トーラス州の候子、アラステアは最初からカメリアを同じくらいの年頃の友人みたいに接してくるのだ。
ハンゲルの廟に上がってから、同じ年頃の友人などという者を持ったことがない。ただひたすら親しんでくれる相手につい心を緩めてしまったのがいけなかったのか。
どこで休憩時間を知っているのかと思うほど、タイミング良く声をかけてくるアラステアと州城の庭を散策したり、池で鯉を釣ったり。
幼い頃に体験してなかった経験はとてもカメリアを魅了してしまう。木登りも乗馬も楽しくて仕方ない。
周りは、候子に懐かれて仕方なく付き合っているのだろうと思っているのかもしれないが、実際カメリアは十代なのだ。バリバリ遊びたい盛りで、今も小川めがけて二人は馬を競争させていた。
「カメリア、ずいぶん上手くなったけど、ここは私がもらうからね」
そう言いながら馬の尻に鞭を入れるアラステアを見ると、勝たせてやろうという思いなんて吹っ飛んでいく。
「そうはさせません」
高揚する気分は他では得られない。汗を掻いて大声を出す。カメリアも急いで馬に鞭を入れる。疾走する馬はほぼ並ぶように走り、気付いた時には目の前が小川だった。
「危ない、カメリア」
アラステアの叫び声とほぼ同時に馬は棒立ちになり、カメリアはその勢いに馬上から振り落とされた。痛いと思う暇も無く意識が遠のく。
「……リア」
うっすらと覚醒した耳に自分を呼ぶ声が聞えた。大丈夫だと言おうとしたカメリアの口が柔らかいもので塞がれる。
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