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 枢密使とは、国の警察組織である検非違使とは別の魔導師の不正を捜査する役人だ。魔導師を国家の官である検非違使が検挙し、裁くことはできない。  そのためにあるのが枢密局で、長にレイモンドール建国の王ヴァイロンの息子が就いている。  その枢密局がここに? 何で?  何がここで起こっているのか。自分は何も見てはいない。いや、見つけるのは自分の役目だったはずなのに。  青くなるカメリアを余所にルークが「ベアトリス」と呼ぶ。それに応えて黒い闇が出現した。 「ルーク様」  頭を垂れて現れたのは、前州宰のベアトリス。数か月前にカメリアが引き継ぎを受けた相手だった。 「どうだった?」 「ルーク様の読み通りでした」  交わされる二人の会話が分らない。前州宰が何でトーラスに留まっているのかさえ。胸にもやもやと溜まっていくもの――きっとそれはろくでもないものだとカメリアは思った。 「何があるんですか、ここに」 「カメリア、このトーラスの財政をどう思う?」  財政? そう問われてカメリアは考える。さしたる特産物も産業も無い。魔導師以外には禁域となっているゴート山脈を背にしているおかげで首都サイトス側に行くには迂回しなくてはならない不便な土地。  寒さに強い小麦、芋類などの農作物を栽培している。慎ましいといえば聞こえがいいが、要はレイモンドールにある州の中でも財政は最下位を争うような州だ。それに帳簿を見ても不正をしているような気配は無かったと思う。 「確かに豊かではありませんが、誠実で堅実だと思っておりますが」  カメリアの応えに「うんうん、そうかもね」ルークが軽く相づちを打つ。そしてベアトリスが渡した書類に目を通し始めた。 「カメリア、目の前にあるものを素直に読むだけじゃ、真実は分からない。出された手じゃない方の、背中に回された方に何を握っているのかを見ようとすることが肝心なんだ」  それは、どういうことかと聞く前にルークが読んでいた書類をカメリアに差し出す。 「見てもよろしいんですか?」 「もちろん」  そこにあったのは、まさに裏帳簿と言えるもので、この州にこんな金がと思うほどの金額の動きが記されていた。 「一体どうやって、こんな……」 「芋や麦で作ったわけじゃないのは確かだけどね」  ルークの言葉にカメリアはがっくりと項垂れた。自分は一体何をしていたのか。もっと真摯に仕事に取り組まなければならなかったのだと今更思う。 「申し訳ありません」 「いいよ、小うるさいベアトリスがいなくなって、州候もやり易いと大きく動くと思ってね。泳がしていたんだから」  いつものように綺麗に微笑むルークに二の句が告げない。  それじゃあ、今回の人事はこのためだったと……。ころりと騙される新しい州宰にさぞや州候は喜んでいたのだろう。  ――そんな。半人前だと分かっていた。それがいいと、ぼんくらに見えるほうがいいと抜擢された、そういうことか。 「何、落ち込んでいる? 役に立ったんだからいいだろ? いい働きだったよ、カメリア」  ルークがカメリアの頭に手を置く。 「ベアトリスだって、おかしいと気付くのに三年かかっている。おまえが来た早々分かってみろ。ショックで総ハゲになるぞ」  なあとルークがベアトリスに視線を向ければ、「禿げません」とベアトリスは答えた。 「ガセル湖という湖があるのを知っているだろ。ゴート山脈の近くにある湖だ」  視線が自分に戻って、カメリアは頷く。 「ゴート山脈の境界ぎりぎりということで、立ち入りを禁止されている禁域です」  上手く質問に答えられたのを喜ぶように、ルークの目が細くなる。それを見て、子供扱いされているとカメリアの気分はまた沈む。  セヴルーガという魚を知っているか? そう聞かれて今度はカメリアの首は横に振られた。  ルークの説明によるとセヴルーガは、魚といっても体長は大人の男性を超えるほどになるらしい。その魚の鱗は美しく分厚く固い。乾燥させても脆くなることも無く、工芸品を飾る材料として宝石と並ぶほど珍重されている。しかし、国内では獲れないので輸入に頼っていた。  レイモンドール国の冬は屋外に出ることは適わないほど厳しい。四か月もの間、分厚い雪の下でできる仕事を見出し、高級家具や宝飾品などを作ることで国は大きく発展したのだ。  その材料を国内で調達できれば、利鞘は大きくなり、より豊かになる。 「偶然か故意か。州府の者が禁域に入ったのは間違いない。そして、ガセル湖でセヴルーガらしき魚を見つけ、冬の間、その加工に精出していたんだろう。そいつの雌の腹からは高級食材の卵も取れるし。ウハウハだよな」  ああ、食べたくなったと恨めしそうにルークは文句を言う。確かにその収入は申告できるものではないだろう。立ち入り禁止の場所なのだから。 「でもそうなるとこれは、魔導師は関係してませんよね」  だったら、枢密局ではなく検非違使が取り扱う案件だ。ゴート山脈にある結界が破られた、あるいはそこを行き来している。そうなれば魔導師が関わっている恐れがある。  でも、緩衝地帯扱いになってはいるが、そこはトーラスの州域だ。そうなれば、魔導師の介在しない犯罪は管轄外じゃないのか。 「だから、おまえはひよっこだって言われるんだよ。いいかい、国府に知れるとこの資源には手が出せなくなる。それとも、国府の直轄になるか」  人差し指を口に近づけてルークはニンマリと笑う。裏取引を持ちかけるつもりだ。禁域に人が出入りしているのをそろそろ枢密使や検非違使も気付くだろうがその前に話をつける。 「魔導師を介在させることで、セヴルーガ猟を廟が目零しする。その代わり、儲けの半分は廟に上納させる」 「は、半分?」  それはまた……どんな悪徳業者なんだ。税金なら一割ほどなのに。そう思ったことが顔に出ていたのか、ルークはカメリアの目の前で指を振った。 「取り上げられるよりはいいだろう? ベアトリス、今からガセル湖に行って、そこらの人間を皆捕縛しろ」 「承知しました」  ベアトリスが闇に消えた。  淡い恋心の相談の場だったはずが。  いつの間にか殺伐とした謀りごとの場に姿を変えている。 「じゃ、お前も着替えて一緒に州候のところに行こうじゃないか。儲け話は一番乗りしなきゃ意味が無い」  商売人のような言葉だ。この人は、他人を駒のように動かす時と悪戯っ子のように笑う時のどれが本当の顔なのだろう。 「早くしないと、煩いのが来るからな」  それが誰なのか、ルークは口にしなかった。  もう侯爵は奥の私室に戻っていたが、州宰であるカメリアの訪問に快く応じた。以前なら自分が受け入れられていると思って嬉しかったろうが、今はそれが自分を小者に見ている証だと思えてならない。  こんな夜中に訪ねてくることの意味。これが自分ではなく、ベアトリスだったならもっと動揺するのだろうか。 「一体どうした? カメリア」  にこやかに自分の目に前の椅子を指し示す侯爵は、カメリアの後ろに立つ長身の魔導師を見て眉を顰めた。 「カメリア、この者は?」 「私は総廟長の任を杯命しております上級魔導師のルークです」  愛想の良い顔で挨拶してきた魔導師に侯爵はごくりと唾を飲み込んだ。  ――総廟長だと? なんでそんな大物がここに……。 「寒いですか? 手が震えていらっしゃいます。上に何か羽織った方がよろしいのでは」 「い、いや別に寒くはない」  挨拶程度しか交わしてないのに、なぜか恐ろしくて堪らない。背中についっと汗が流れ、冷やりとする。  気温のせいではない。それでも体中の産毛が逆立つのを抑えられなかった。
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