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「そうですか。それにしてもこのテーブルの細工は見事なものですね。象嵌細工だと思いましたが螺鈿ですね……いや、これは貝ではないか」  ルークはさも魅せられているようにテーブルに指を滑らせた。 「そ、それはセヴルーガの鱗だ」  言わされた感たっぷりに侯爵が答える。 「ああ、そうですね。この透明感は貝ではない。まだ、新しい物に見えますが、すばらしい意匠だ。さぞお高かったんでしょうね」  にこにこ。  何の邪気も無いような顔をしながら、ルークはどんどん州候を追い詰めていく。カメリアはそれをただ見ているしかない。 「さ、さて、どうだったか……」  もう額にも脇にも汗を掻いている。セヴルーガの名前を出したのが偶然だと思えるわけが無い。 「なんか、体調がお悪そうなので単刀直入にお話しさせていただきます。ゴート山脈沿いの地域の件です」 「そ、それは……」  焦って人を呼ぼうとする州候に向けてルークは素早く印を切る。「縛」そう呟くと州候はどたんと椅子に崩れ落ちた。 「これは、あなたのためですよ。人を呼んで事を大きくするのはお止めなさい。別にセヴルーガ猟を止めろと言ってるのではないのですから」  え? と州候は目を瞬かせる。見つかって断罪される――そう思っていた。しかし、やったことは後悔してはいない。  豊かな州には思いもよらないことだろう。つい、最近まで州候がパンとスープだけの食事を取っていたなどと。勿論、そこまで州が困窮しているのではない。  領民の生活を知っているからこそ、彼には自分だけに整えられた豪華な食事など摂る気持ちになれなかった。  毎冬、この季節を無事に超えられるだろうかと州候を継いだ時から常に胃の痛い思いで暮らしてきた。  農民たちは、この国ならみんな冬の間は細工物を作ることで生活している。しかし、他の州のように資金に余裕が無いために、高価な家具を作ることなどできない。象嵌などに使う金属や美しい貝も、宝石の一つも手に入らなければ他の州の製品と競争などできはしない。  どうにかしたい――そう思っていたところに偶然に手に入った宝だ。どうしたって使いたい。そう思ってはいけなかったのか?  実際、セヴルーガの鱗を加工し始めると農民は潤い、余った鱗は高く売れ、その卵さえ高値で売れる。肉は燻して保存すれば冬の蛋白源にもなった。この資金で道を作り、護岸整備をし、いずれは上下水道を州全域にと思っていた。  このテーブルセットもセヴルーガの鱗を初めて使ったからと献上された物だった。晴れがましい顔で献上してきた代表に負けないほど、自分も嬉しかったのを覚えている。  セヴルーガの恩恵無しにこの州はきっと成り立たない。もう後戻りはできない。  この魔導師と刺し違えても――そこまで思い詰めていた州候は目の前の魔導師の言葉の意味が分らず、困惑していた。  そんな物騒な顔をしないでくださいとその魔導師は笑う。 「これからは、魔導師が現地で作業の監督をすることにして、売り上げの半分は廟に上納してもらいます。どうですか?」 「……は?」  まるでやり手の商人と相対しているような気分になって、侯爵の口がぽかんと空く。 「と、いうことは内々に収めていただけると?」 「国府に邪魔されないように、こちらの言う通りにしていただければ」  あ、そうそうとルークは思い出したように続ける。 「まあ、あなたは思慮深い方だと思いますが、念のためにガセル湖に居た者は全員確保していることもお忘れなきように」  一枚の書類を懐から出すと、すいっとテーブルの上を滑らせるように置く。ルークが「解」と呟くと今まで動けなかった縛りが嘘のように力が抜け、がっくりと州候は椅子に沈み込んだ。  それにサインをさせると、ルークは竜道を開く。 「カメリア、後でハンゲルに顔を出してね。じゃ、帰るから」  一瞬、ルークは扉を見る。しかし、視線はすぐに逸らされ、暗闇は人を一人飲み込むとそのまま収縮したかのように消えてしまった。 「まったく、魔導師とは恐ろしいものだな」  カメリアに向けた州候の目は冷たく猜疑の色に染まっていた。彼の目が以前のように温かくなることはもうないのだろう。返す言葉も無く、お辞儀をしてカメリアは部屋を退出する。  ショックを受けているのはカメリアだって同じだ。国の法をこんなにもあっさりと破っていいのかという思いが身体の中で燻っていた。  暗澹たる思いで自室に帰ろうとしたカメリアは、柱の陰から手が伸びてきて、そのままどこかの部屋に連れ込まれる。 「お放しください、アラステア様」 「さっきの話、本当か」 「聞いておられましたか」  頷くカメリアにアラステアの声が尖る。 「これを探る目的でおまえは来たのか?」 「そ、それは」  違う、何も知らされてなかった。でも、加担していたことにはなる。魔導師として自分は部外者だと逃げるわけにはいかない。自分は知らなかったと言えば、己の存在価値をも否定することになる。  答えないカメリアに「そうか」とアラステアは剣を抜いた。 「子供の私に付き合って遊んでいたのも、どうせこちらを油断させるためのフェイクだったんだな」  ――違う。 「ばかな子供だと腹の中で笑っていたんだ」  ――そんなことは……。 「父上のした事は、確かに国の法を破ることだ。でも領民のためにしていることで、私たちの享楽のために使っているんじゃないっ」  壁際に追い詰められながらカメリアは、アラステアを抱き締めて慰めたかった。追い詰められているのは実は彼だと分かって。  ぜいたくな生活をしているなら、すぐに自分にだって分ったはずだ。慎ましい生活を送っていたからこそ、見抜けなかった。  セヴルーガだってきっと乱獲して絶滅しないように最低限の数しか獲ってないに違いない。  禁域としてトーラス領を一部詐取しているのは魔導師庁だ。領民の為に使われるのならガセル湖だけでもトーラスに返すべきで、利益を半分も奪うなどカメリアには考えられない。  魔導師にとって、国民の生き死になどどうでもいいことなのだろうか。魔導師と国府は手を携えて国を正しい方向に進めていくものだと。  ――そう思っていた。それくらい自分は子供だったのか。 「アラステア様」  背中に当たった固い感触にカメリアはもう後退できないと知る。アラステアの真っ直ぐな心はカメリアを許さないだろう。  好きだと打ち明けてきたときのように。自分の気持ちに嘘をつけない。眩しいほど清廉で剛直な心。  自分もそんな心根でいたかった。そんなアラステアを好きだった。  ――そうか、私もアラステアが好きだったんだ。  こんな場面で嬉しいと思うのはおかしい。そう思うのにカメリアは胸が温かくなるのを抑えられない。  思わず伸ばしかけた手が止まる。  泣かないでくださいと胸の内でアラステアに呼びかけた。
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