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「おまえを憎みたいのに、そんなことは私にはできない。カメリアが好きだ。手に入らないと分かってもどうしようもない。一緒に死んでくれ」  アラステアの言葉にカメリアは胸が熱くなった。なんという甘美な言葉だろう。  ――一緒に死ぬ。ああ、そうできたらどんなにいいか。  アラステアがぎゅっと抱きしめてくる。ただし、彼とカメリアの間には彼の剣があった。 「すぐに追いかけるから」  アラステアの悲痛な言葉にカメリアは頭を何度も横に振った。 「……アラ……ステア……さま……死んでは駄目……です」  ――だって、私は死ねないのに。  アラステアの絶望と熱の混じった瞳にカメリアは泣きたくなる。一緒に死ねるのならどんなにいいか。こんなに一途に思われて嬉しくないわけがない。  打算や裏も無くただひたすらに好きだと言ってくれている相手。それが若さゆえの錯覚だったとしても。  そんなに思われたことなど今まで無かった。  嬉しくて悲しい。  ずぶずぶと背中を貫く痛みは、今まで経験したことが無いもので火傷みたいにカメリアの体を抉っていく。  でも。  それでもカメリアは死なない。どんなに深く刺したとしても。  だから、アラステアも死んではいけない。  清廉な心を持てなくなるほど汚れていく自分と同じくらいになるまで生きて欲しい。一緒に死ねないなら、共に生きて欲しい。できるだけ長く。生きる場所は違っても。 「あなたは……死んでは……いけません」  がはっと口から血を吐きながら、カメリアは最後の力を振り絞ってアラステアを突き飛ばす。そして、剣が刺さったまま窓を破って身を投げた。  大きな音にきっと皆が気付くはず。  死なないでアラステア。  そう願いながらカメリアは地面に激突した。  初雪が覆う城のすぐ下の固い敷石の上に赤い血が広がっている。まるで赤い花びらのような形に。 「ああ、やっちゃたか、あの候子」 「戸の外で候子が聞き耳立てているのを知ってらっしゃったくせに」  そこに二人の人影が立つ。 「回収しようか。ベアトリス頼む」 「え~っ」  ぶつくさと文句を言いながらベアトリスと呼ばれた魔導師が倒れているカメリアを担いだ。 「人使いが荒いですよ、ルーク様。カメリアも可哀そうに」 「カメリアは経験値が少ないまま上級魔導師になったからねえ、荒療治も必要だと思ってさ」 「だからって殺す必要は無いですけどね」  ベアトリスが竜道を開ける。 「だって死なないだろ」 「死にはしませんが、だからと言って痛くないわけじゃありませんよ。このことはガリオール様にちくって差し上げますからね」 「おい、ちょっ……」  慌ててルークはベアトリスの後を追って竜道に飛び込んだ。  喉がひりついて水が欲しくなり、カメリアは目を覚ます。自分がなんでここに寝ているのかとしばし逡巡する。  ――ああ、そうだった。私は刺されて……。  急に蘇った記憶に潰されそうになる。見慣れた天井の模様に思わず涙がこぼれた。  ――ここは、ハンゲルの廟だ。  薄い香の香りと壁や天井、床にまであるレーン文字の意匠も。ほんのわずかに離れていただけなのに懐かしい。今まで自分は己の才覚だけで生きてきたと思ってきたけど。  守られていた。身寄りの無い小さい子供が飢え無いとうこと。教育を受け、食欲を満たし、寝る場所を与えられる、それは他では得られなかった。  そして、自分は手厚く庇護されていたのだと廟を出たことによって実感したのだ。  ほっとした気持ちと同じくらい残念で悔しい思いが一挙に押し寄せてくる。上級魔導師としての最初の仕事を自分は上手くこなせなかった。  求められていたのは道化のような役回りだったとしても。もっと何かできることはあったのではないか。  あのトーラスをこれからの住処だと思っていた。侯爵を助けて領民のためにできるだけの事をしたい……そう願っていたのに。  そこにギィと重い扉が軋む音がした。  顔を向けると入ってきたのは魔導師庁長官のガリオールだった。カメリアは驚いて体を起こそうとしたが、あまりの痛みにそのまま寝台に沈んでしまう。 「カメリア、そのままでいい。まだ傷が完全に塞がっていないのだ。動くのは明日くらいにしなさい」  はいと大人しく枕に頭をつけたのを見て、ガリオールは寝台の側に椅子を持って来て座った。 「ルークが先走ったようで、おまえに大変な思いをさせてしまい、すまなかった」 「いえ、そんな」 「それでどうする」  ガリオールの問いは確認の意味か。その答えによってこれからの進路を量るようなずっしりと重い問いかけだった。 「お許しをいただけるなら、トーラスに戻りたいと思っております。州宰としての職責をまっとうしたいのです」  カメリアの答えにガリオールは、やはりなとため息まじりの笑みを浮かべた。今の答えは正解だったのだろうか。違うとしても、カメリアは他を選ぶ気は無かったのだけれど。 「魔導師に危害を加えた候子をどうする?」 「候子はなにもなさっておりません。私がうっかり窓から落ちただけです」  それを聞いて、分かった、分かったとガリオールは苦笑しながら立ち上がる。きっとカメリアがそう言うことは織り込み済みだったのだろう。 「ベアトリスが再任を申し出ていたが、ではおまえでいいのだな」  念を押されるが、カメリアの心は決まっていた。逃げ帰るようなことはしたくない。 「やらせてください」 「まったく。私の印を持ち出して勝手に書類を偽造し、おまえを州宰に任命したと思ったら、こんなことになってしまって。やはり、ルークのやることは滅茶苦茶だ」  吐き出すような愚痴の後、ガリオールはカメリアの胸元に手を置いた。 「ルークのやったことは滅茶苦茶だが、おまえがこの任をやり遂げることができる技量をもっていることを私は信じている。そうでなければ、おまえに竜印を施しはしない」 「ガリオール様」  ゆっくりと瞬きを一つ。  それだけ。  落ち付いたいつもの声。  なのに、カメリアは身の内が満たされていく。ガリオールは生真面目で表情もあまり変わらない。冗談も無駄話や嘘も言わない。その彼が自分を信じていると言うのだ。優しく口当たりの良い慰めよりも数倍もカメリアの胸に熱く響く。 「しっかり励め」  そう言うと、ガリオールは部屋を出て行った。
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