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「カメリア、大丈夫なのか」  一週間後にトーラスに戻ったカメリアに州候は青い顔で出迎えた。魔導師、それも上級魔導師に危害を加えたということで、どんな罰が下るかずっと怯え暮らしていたのだ。しかも、落ちたはずのカメリアは大量の血痕を残して姿を消していた。  それが、何事も無かったように登城してきたのだ。驚くなというほうが無理だ。 「体調不良でお休みをいただいてご迷惑をおかけいたしましたが、今日からはまた、仕事に励みますのでよろしくお願いします」  カメリアは何も言わない。  あの事件は無かったことになっている。  しかし、あの大量の血痕と息子の証言は嘘じゃない。なら、どうして?  やはり、魔導師は人間ではないのか。 「仕事に就くのは明日からでいいのではないか。今日はゆっくりしていなさい」 「ありがとうございます」  深く頭を下げて出て行くカメリアに安堵と同時に恐怖を覚えて侯爵はそのまま動けなかった。  カメリアはそのまま、城の中に足を進める。今日一日、休みがあるならやっておきたいことがある。  だから行かなきゃ。  会いたかった人の所に。 「アラステア様」 「カ……」  呼びかけに応じて、顔を向けたアラステアの表情が歪む。一瞬花が咲いたみたいに浮んでそれはすぐに消えた。 「アラステア様、私が気持ち悪いですか。私は不死の化け物です。だからあなたが苦しむことなんかありませ……」 「カメリア」  カメリアの言葉を遮って、アラステアが抱きついてきた。  どんな時でもアラステアは自分の心に正直だ。カメリアの生死も何も知らされなくて、絶望の淵に沈んでいた。 「きみを追うこともできず、ずっと辛くて。酷いことを言って悪かった。きみのせいなんかじゃないことくらい分かっていたんだ」  州の政治がらみのことなどまるで知らなかった自分が不甲斐なくてカメリアに当たったのだ。裏で策を巡らしながら子供の相手をしていたと思うと悔しかった。  それでも、カメリアを好きなことに変わりはしない。  しがみつくアラステアの背にカメリアは自分の手を回わす。 「アラステア様、申し訳ありませんでした。あなたに隠していたことがあります。聞いて貰えますか」  え? と涙で濡れた顔を上げたアラステアは僅かに背の高い相手を見る。 「実を言うと、私はあなたとそう歳は違わないのです。上級魔導師になったばかりで、あなたや侯爵様にだって意見を言える度量も経験も無い」   言いづらかったことをやっと言えて、それはそれですっきりしたのだけれど気になるのはアラステアの反応だった。 「カメリア、それは本当か……一体いくつなんだ」 「十七です」 「十七……?」  軽蔑されるか、それとも怒りだすか。こんな頼りない子供を州宰に送ったと魔導師庁に抗議することになるかもしれない。  でも、もう嘘をつきたくなかった。 「それと……」 「まだ、何かあるのか」  はいと応えるもののカメリアの歯切れが悪い。唇を噛んでもじもじとする姿はなんだか可憐な少女のようだが。 「カメリア、何だ」 「私の事をアラステア様は、まだ好ましいと思っていらっしゃいますか」  小さく呟くような声にアラステアの拗ねたような声音が応える。 「当たり前だ。きみがどう思ってようとそれは変わらない。何度でも言う。君が好きだ」 「あの……私もです」 「どうせ、ダメだとか、いけませんとか言うのだろう……え? えええ? 今何て言った?」 「だから、私もアラステア様をお慕い申し上げていると」  時間が止まったようにしばしアラステアは動かない。今言った言葉が聞えなかったのだろうか。でも、もう一回言うなんて無理だとカメリアは思う。  今だって心臓がいつもより三倍も大きくなったのかと思うくらい心音が大きくて、部屋中に響いているのではないかと心配なのに。  ぱちぱちと瞬きを繰り返した後、いきなりアラステアの手にぐっと力が入る。 「そ、その好きは『友人』という意味じゃないのか」 「いいえ、違うと思います。でもどうしたらいいのか……あの、私は何分にもそちらは不勉強でして」  ――もうダメだ。これ以上説明とか無理。  なんだかハンゲル山の山頂に術も無しに立っていると錯覚するほど空気が薄い……気がする。  真っ赤になったカメリアの唇にアラステアの指が触れる。それだけなのに触れた方も、触れられた方もお互いの体から静電気が流れ込んだみたいにびくんと肩が揺れた。 「あ、あの」 「していいか」  していいかと言うのはきっと口付けのことだ。そんなこと聞かずにやってくれればいいのに。  聞かれると答えなきゃいけない。  そんな……恥ずかしい。 「カメリア」  催促するように名前を呼ばれ、切羽詰まったカメリアは自分からアラステアの唇に自分のそれをくっ付けた。  すると、すぐに頭の後ろを押さえられ、アラステアがぐいと自分の唇を押しつけてくる。息が苦しい。息を吸おうとして軽く口を開けたら、アラステアの口も開いた。  そのままくっ付けるとお互いの唇の内側が合わさって、そこからじんと甘い痺れが唇から全身に回わる。  初めての感覚に驚いてしまい、カメリアはアラステアの胸に手をついてしまう。 「カメリア、良くなかった?」 「いいえ……あの、びっくりして」  そう答えたカメリアにアラステアはくすりと笑った。 「同じだ。あんまり気持ち良いんで驚いた」  言葉はいつもの子供っぽい内容なのに、アラステアの顔はいつもと違うとカメリアは思う。  熱っぽいのに弱ってるわけじゃない。こんな顔もするのだとちょっと怖くなってしまうくらいの『男』の顔。  もしかしたら自分も同じなのかと。  そう思ったら火が点いたのかのようにどこもかしこも熱くなる。  でも、この先が分からない。  それはアラステアも同じだったようで、小さくため息の音が聞えた。 「私は口付けしか知らない。でも、きみが待ってくれるならゆっくり二人で大人になればいいと思うんだ。付き合い方もだんだん変わっていけばいい」  カメリアに負けないくらい赤く茹だりながらアラステアは告げる。何も知らないと宣言するみたいだが、嘘はつけない。 「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします」  ことんと頭を下げるカメリアに慌ててアラステアも頭を下げる。  二人で頭を下げて――どちらともなく噴き出して笑いあった。急に変わることはできない。ゆっくり育てていけばいい。  くっ付けあうだけの口付けが、濃厚なそれに変わるのもそう遠い日ではない。  そしてカメリアは決意する。  魔導師庁に吼え面をかかせてやる――と。 「なあ、ルーク。それはいつの話だ? トーラス州といえば、結構裕福じゃないか」  リチャードが首を傾げる。赤い燃えるような髪が頬づえを突く右手に流れて机に集まった。 「最近、トーラスの州候が亡くなって。七十五歳だったから、そうさな、六十年前ってところだな」  ルークはそう言った後、なぜか目の前にあった椅子を蹴り飛ばした。がしゃんと大きな音がして椅子は壁にぶつかって倒れた。 「ガセル湖の周辺は湖水地帯で大小数々の湖がある。そこにセヴルーガで儲けた金を注ぎ込んで、淡水真珠の養殖を始めてさ。それが高品質と色のバリエーションが多いってんで、外国からの引き合いが凄いらしい」  不満げなルークを前にリチャードは「そうか」と声を上げた。 「思い出したよ。トーラスといえば、真珠で有名じゃないか。トーラスもモンドと一緒で北部なのに地熱のせいで冬も湖が凍らない。良い利用法を考えたなと感心していたんだ。まさか、それがほんの数十年の歴史だったとは気付かなかったな」  ふむふむとリチャードが納得している横でルークはぶうとふくれている。
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