1.秋風はまだ夏の余韻

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観客たちはいつもの人混みへと変わり、僕だけがまだ彼女から目を離せずにいた。荷物をまとめて帰ろうとする彼女。僕は声もかけられず、近づくこともできず、かといってここから去ることも考えられない。 心にあるこのぎこちない拮抗はいったい何なんだ。 自分らしくない。僕は諦めるように息を吐きだした。そして、彼女から目を離して、ようやく足を動かした。そして。 「あっ!」 彼女がふと声を上げた。僕はそれで彼女の方を見ると、目が合った。僕はびっくりして、足を止めた。ここで、慌てて逃げるのも変だったし、動揺を悟られまいと心を落ち着かせる。 彼女はなんだか嬉しそうな顔をして、僕の方に近寄ってくる。僕はそんな彼女に少し引いて、半歩ほど後退してしまう。 「来てくれてたんですね!」 「いや、ここ帰り道だから」 「演奏は聞いてなかったんですか?」 彼女は少し不安げな顔をして質問する。そんな表情されると、聞いてなかったと嘘は答えられない。僕は少し顔を引きつらせて、内心恥ずかしい気持ちを抱えて答える。 「聞いてた」 「本当ですかっ⁉」 今にも飛び跳ねる勢いで嬉しそうな声を上げて、彼女は笑顔になる。僕は彼女の顔が上手く見れなくて、顔を背ける。 「ああ、たまたま通りかかって」 「えー、そうなんですね。聞いてて、どうでした?」 感想を求められて、僕はより一層困惑する。当たり障りのない感想を言うのも心がないし、かといって真面目に言うのも恥ずかしい。無視するわけにもいかないから、僕はどうにかちょうどいい感想を考える。 「よかったと思う。でも、やっぱり最後までは弾けないんだな」 ちょうどいい感想が上手く言えない。 「えへへ、最後までは難しかったですね。でも、よかったと言われたので、十分です」 僕の口下手な感想に対して、彼女は素直に嬉しがった。どうやら、最後まで弾けなくても、いい感想が聞けたらいいと考えているようだった。 そんなのでいいのか、とはさすがに言わない。
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