1.秋風はまだ夏の余韻

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そこで、彼女の世話役のような男性がやってきた。 「誰?」 彼は僕を一瞥(いちべつ)してから、彼女に聞いた。背が高く、顔も整い、少しウェーブのかかった髪型とそれに合わせた落ち着いた服装から、スマートな印象を抱く。彼氏だろうかと思い、僕は少し身構える。 「同じ学校の人。名前は、えと……なんて言うんですか?」 彼女は僕の方を見て、苦笑いを浮かべる。お互い、名前も知らない。 「木野山理月(きのやまりつき)」 「木野山くんですねっ。私は池森(いけもり)小鳥(ことり)です。こっちは、兄の優真(ゆうま)」 「どうも」と池森さんの兄が少し不審な目を向けて、頭を軽く下げる。 「初めまして」と僕は恐る恐る挨拶する。 「木野山くんは、この前、私が音楽室でこっそりピアノ弾いてたときに、聞きに来てくれたんだよ」 池森さんは兄に僕との関係をそう説明する。すると、池森兄はふーんと言って、僕を見た。 「何でしょうか?」と僕は少し嫌な顔をして言う。 「いや、どうして、小鳥の演奏を聞くのかなと思って」 「どうしてって、聞こえたから、聞いてただけですけど」 僕がそう答えると、池森兄はふーんとまた言って、まじまじと僕の顔を見た。なんか失礼な人だ。 「あんまり嘘は得意そうじゃなさそうだから、まあいいか」 「はあ」 僕はどう返せばいいかわからず、そんな中途半端な相槌を打つ。 「お兄ちゃん、ちょっとそれは失礼だと思う」 池森さんが少し不機嫌そうな顔をして言う。それに対して、兄の方は面倒くさそうに、はいはいと適当に返事する。それから、池森さんが僕の方を向く。 「ごめんなさい」 「いや、別にいいよ」 僕は池森さんの申し訳なさそうな表情に伝播したのか、こちらも妙に罪悪感を抱く。問題はこっちの兄の方であって、池森さんは関係ない。 ここに僕が居続けても、誰も得しない状況なので、僕は早々に立ち去ることにする。 「じゃあ、もう行くから」 「あ、じゃあ、またね」 池森さんが少し寂しそうな笑顔を向けて僕に手を小さく振ってくれる。僕は日頃から表情を作る練習をしていないので、無表情で少し頷く程度しかできず、そのままその場を後にした。 またね、か。その響きは、どうも僕の心にはくすぐったかった。
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